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    <title>FERMAT</title>
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    <updated>2010-03-09T03:16:58Z</updated>
    <subtitle>FERMATは、Communications Visionaryとして、変化の激しいメディア・コミュニケーションの未来を見通しながら、新たな何か＝&quot;X&quot;の誕生を促すファシリテーターを目指します。</subtitle>
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    <title>Avatarがオスカーを逃した訳</title>
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    <published>2010-03-08T14:59:19Z</published>
    <updated>2010-03-09T03:16:58Z</updated>
    
    <summary>今回のアカデミー賞作品賞は、興行成績だけならダントツにナンバーワンだった&quot; Avatar&quot;を押さえて&quot;The Hurt Locker&quot;が受賞した。最も金のかかっていない映画が、最も金のかかった映画を打ち負かした。 Twitter上で半ば冗談のつもりで、Avatarが受賞したらハリウッドの俳優が仕事を失う未来を肯定しかねないから、一種のラッダイト運動として、Avatarに対する反対票としてThe H...</summary>
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            <category term="News" />
    
    <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://www.defermat.com/">
        <![CDATA[今回のアカデミー賞作品賞は、興行成績だけならダントツにナンバーワンだった" Avatar"を押さえて"The Hurt Locker"が受賞した。最も金のかかっていない映画が、最も金のかかった映画を打ち負かした。

Twitter上で半ば冗談のつもりで、Avatarが受賞したらハリウッドの俳優が仕事を失う未来を肯定しかねないから、一種のラッダイト運動として、Avatarに対する反対票としてThe Hurt Lockerが選択されたのではないか、と呟いていたのだが、あながちその推測は間違っていなかったようだ。そう思わせるのが、次の映画業界誌The Hollywood Reporterの記事。

<a href="http://www.hollywoodreporter.com/hr/content_display/news/e3i88e2a9a4c588f4229a134e30d10949f1">Why Oscar didn't embrace 'Avatar'</a>
【The Hollywood Reporter： March 8, 2010】

これによれば、Avatarが選択されなかったのは、どうやら本当に俳優ギルドの受けが悪かったから、ということのようだ。

では、The Hurt Lockerはどうして受賞したのか、というと、この映画がイラク戦争を扱った映画であり、上映する側が最初からアゲンストの風に晒されることを意識して、マーケティングやPRをした結果であった、ということのようだ。

記事中にあるように、"The Iraq War Curse"、つまり「イラク戦争の呪い」を払うために、当初からプレスへの説得活動が必要だった。The Hurt Lockerの配給会社であるSummit Entertainmentは新興の中小配給会社であったため、そもそも上映館の確保のところから映画関係者を説得して回る必要があった。そのための諸活動が回り回って後のアカデミー賞候補に至る評価を得る素地となった。

たとえば、SummitはThe Hurt Lockerの上映をわざと夏にした。秋にはシリアスな物語の映画が目白押しとなるのが予測されたから。また、PR会社の42 Westと契約し、PRの焦点を、映画そのものではなく、監督であるBigelowと脚本家のMark Boalに絞り、彼らの人間性に照準したPRを行った。12月にDVDを配布し、関係者にとにかく映画を見てもらうことを心がけ、「イラク戦争の呪い」を払拭するのに力を入れた。

結果的に、映画関係者が集まるNYやLAでthe Producer's GuildやBroadcast Criticsなどの制作者周りの支持を取り付けることができた。

対してAvatarならびにその配給会社である20世紀Foxは何をしていたのか、という問いが当然ながら浮上する。

そもそも、SF作品はアカデミー賞では劣勢に立たされることが多い。77年のStarWarsはWoody AllenのAnnie Hallにオスカーを取られた。同様に、82年のETはGandhi（ガンジー）に負けた。

こういう前史があるのだから、FoxはAvatarのPRに力を入れてもよかったはずなのだが、実際は、メディアとの接触のほとんどを監督であるJames Cameronに委ねてしまった。そして、Cameronの主張は、どうしてCG映像を評価してもらえないのか、という彼の懸念に集中した。

だが、映画がフルCG化することは長い目で見れば、映画の中で俳優がはたす役割が著しく小さくなる予感をもたらす。俳優の多くはバイプレイヤーであり、従って俳優ギルドから見ればCameronの主張を好ましく受け取ることはできない。将来的に自分たちの仕事がなくなる可能性があるから。そして、こうした懸念は、アカデミー賞投票者の最大クラスターである俳優・女優にアンチAvatarの態度を取らせた。Cameronが得意げに語ったことは、ハリウッドの多くの俳優・女優の顰蹙を買ってしまったわけだ。

ということで、結果的に今回の結果でわかったのは、「ハリウッド関係者の、ハリウッド関係者による、ハリウッド関係者のための映画賞」が、アカデミー賞であり、オスカーであった、ということだ。

文字どおり、フルCG映画がもたらす映画制作の現場からの人間の締め出し予想に対して、ハリウッドの住人がノーと言ったわけだ。

それは裏返すと、イラク戦争の呪いをThe Hurt Lockerが必ずしも払拭し尽くしたことを意味するわけではない。従って、ハリウッド住人がプロパガンダ映画を全面肯定したわけでもない（The Hurt Lockerを未見の段階では、その脚本がわからないため、正直私にはまだ判断ができない。というかコメントができない）。

とはいえ、結果的にThe Hurt Lockerが選択された事実だけは残るので、ハリウッドが戦争プロパガンダを肯定したと取られても仕方ないのでもあるのだが。

もっとも、もともとハリウッドにはデモクラット支持のリベラルが多いことを考えれば、彼ら自身が戦争を全面肯定することはあり得ないといえる。その一方で、戦争を映画のモチーフから完全に閉め出すことも表現の自由の点から自己矛盾となる。だから、一定数の戦争映画はハリウッドで制作される。もちろん、そのいくつかには国防総省のお墨付きが得られる類のプロパガンダ、というか軍人リクルートを訴えるための映画もあることになる。

ということで、今回のアカデミー賞は、予測市場におけるカスケードが起こってしまったと思えばいいのかもしれない。公式にはAvatarの優位は明確だが、しかし、皆がAvatarを支持するなら自分はThe Hurt Lockerを支持してもいいだろう。こんな風に思った投票者が相当数折り、それがカスケード=雪崩現象を起こした。

人が集団で選ぶものは必ずしもその集団の意志を反映するものではない。また、選択は必ず相対的な比較の下でなされる。従って、得られた結果が絶対的な価値を持つことはない。この二点をとりあえず理解しておけばいいのだろう。

作品賞や監督賞を逃したAvatarだが、撮影賞、美術賞、視覚効果賞、の三つは手堅く確保した。映画製作の現場を変えるポテンシャルは正当に評価されたともいえる。

従って、The Hurt Locker受賞の事実よりも、本格的に映画のあり方がコンピュータによって規定される時代の幕が開けられたこと。そのことに対する人間の抵抗は想像以上に大きいこと。このあたりのことを教訓として学んでおくのがよい。

だから、やはり一種のラッダイト運動だったのだ。]]>
        
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    <title>FacebookのIPO問題が炙り出すVC主導型起業スキームの臨界</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.defermat.com/cms/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=1/entry_id=723" title="FacebookのIPO問題が炙り出すVC主導型起業スキームの臨界" />
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    <published>2010-03-04T14:40:40Z</published>
    <updated>2010-03-05T04:24:10Z</updated>
    
    <summary>随分前からIPOの期待が高まっているFacebookだが、25歳の若きCEOであるMark ZuckerbergはIPOを急がない、とのこと。 Facebook CEO in No Rush To &apos;Friend&apos; Wall Street 【Wall Street Journal： March 3, 2010】 記事全体では、FaebookのIPOについては、社外からの期待も高ければ、社内からの希...</summary>
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            <category term="Notes" />
    
    <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://www.defermat.com/">
        <![CDATA[随分前からIPOの期待が高まっているFacebookだが、25歳の若きCEOであるMark ZuckerbergはIPOを急がない、とのこと。

<a href="http://online.wsj.com/article/SB10001424052748703787304575075942803630712.html?mod=WSJ_Tech_INTL_LSMODULE">Facebook CEO in No Rush To 'Friend' Wall Street</a>
【Wall Street Journal： March 3, 2010】

記事全体では、FaebookのIPOについては、社外からの期待も高ければ、社内からの希望も多いと伝えている。引き続き、世界中で4億7000万人の登録ユーザー数を誇るSNSであるFacebookのIPOについては期待を繋いでいてよいという論調になっている。

Zuckerbergによれば単純にIPOのタイミングを窺っているということらしい。

IPOに向けて、株主構成に手を加えており、Google同様、議決権のありなしのある株式構成（dual structure）にしており、IPO後も経営権の維持に努める姿勢を示している。

その一方で、早期IPOを望む社員に対しては、株式の引き取り手として外部の投資家と交渉し相対で社員持株の買い上げを進めている。Microsoftを始めそうした大手の外部資本も既に入り始めている。

ZuckerbergがIPOを躊躇しているように見えるのは、盤石な収益モデルをFacebookがいまだ確立していないからだろう。収益モデルが確定し、他方で次なる投資目標が明確になれば、そのための資金確保のためにIPOをする理由と目的がはっきりする。しかし、今はまだそうした目標が明確でない。むしろ、現行のSNS事業だけであれば巨大な投資資金が必要というわけでもない。そのため、是が非でもIPOを、という理由に欠ける。

SNSはコミュニティサイトであり、そこで交換されるものが基本的には情報とコミュニケーションであることを踏まえれば、事業としては一種の出版業といえる。そして、出版業は本質的には大きく成長するようなものではない（それは足下のアメリカの出版不況を考えれば容易に想像がつく）。出版事業であれば、むしろ適度に蓄財を進めつつも、適度に読者共同体にそうした営業収益を還元することも含めて、新たな出版企画が一種の贈与的な動きとして進められる。

そうした、収益蓄積→利用者還元、というサイクルは共同体維持のためにも必要になる。いわば、贈与の実践であり、場の主催者に集まった収益の再配分、ということになる。

おそらくは、こうしたSNS的コミュニティの特質が、上場して資金を獲得してガンガン成長する、というスキームと折り合いが悪い。少なくともZuckerbergは折り合いが悪いと見ているのでないかと感じる。

つまり、コミュニティの場合、その場に必要な資金は、参加者が別の手段で用立てる。コミュニティの外部から資金が一方的に流れ込み、それが環流することでコミュニティが維持される、という具合。

そして、このままなら未上場のままでも、SNSの場は維持できる。

あるいは、逆に、参加者自らが全員株主になるという手もある。しかし、さすがに4億7000万人が株主というのはありえないだろう。

そうすると、アメリカの社会経済的な文脈では、SNSはnon-profit company (NPC) とし、ユーザーを含めたcontributions（寄付金）と特定の事業収益をコミュニティ運営の原資とし、資金が必要な場合は通常のNPC同様債券を発行する、というのでもいいのかもしれない。

したがってFacebookのIPO問題は、ユーザーベースの拡大、というのがさしあたっての経営目標になっているWeb2.0以後の企業群にとっても経営の舵取りにあたってのメルクマールになるのだろう。

既に多くの投資家から資金提供を受けているため、FacebookがIPOをしないという選択肢はありえない。とはいえ、仮にFacebookが上場したとしても、限りなくNPC的な性格を持つ企業になっていくのかもしれない。

ZuckerbergはFacebookの社外取締役としてMarc Andreessenの他にWashington Post Co.のChairman であるDonald Grahamを招聘している。

Washington Postのようなアメリカの新聞大手は、創業者が他の事業で得られた元手から起業し、マス消費という社会風潮の中で成長していった。しかし、最初の事業資金は見知ったもの通しの間での出資（たいていの場合は家族や一族郎党からの出資）でまかなっていた時代であったため、上場をするかどうかも創業者で決められた。

もしかするとZuckerbergのケースは、直接金融中心で、VCのような第三者による出資が可能になった（当たり前になった）時代だからこそ抱え込まざるを得ない「IPOのジレンマ」なのかもしれない。つまり、起業資金は第三者が出してくれる。あるいは追加資金も第三者が出してくれる。しかし、それらの資金はIPOによる創業者利益の獲得という期待に則っている。

もちろん、事業が失敗してそうしたIPO期待に応えられないケースは山のようにある。だが、Facebookの場合は、既に日本国民の総数を超えるような、その意味では20世紀では想像もつかない数のユーザー数を誇るほどの規模になっている。これをマネタイズしない手はない、という期待は嫌が応にでも高まる。

しかし、その一方で、この4億7000万人が一瞬のうちにFacebookを離脱することは決してありえないことではない。そして、その瞬間にFacebookというサービスの存在は地球上から消滅する。

それくらい泡沫の夢になる可能性をZuckerbergは直観しているのではないだろうか。

もともとFacebookはHarvard Collegeの写真付き学生簿（facebook）としてスタートした。多分、その時の発想は単純な利便性や、あるいはそうすることによって周りの友人から褒められる軽い功名心なり承認欲求から発したものだったのかもしれない。

それが、システムとしてのウェブが持つ特性であるネットワーク外部性もあってユーザー数はねずみ算式に増えていく。その果てが4億7000万人の登録ユーザー数だ。

そして、この4億7000万人は、個々の小さな好意や善意の下で結集している。その結集の糸をもしかしたらIPOによる真性ビジネス化によって断ち切ってしまうのではないか。そうした不安がZuckerbergの脳裏を時折よぎっているのではないだろうか。

FacebookのIPOは、このように20世紀の最後の10年に花開いたIPO型VC投資のスキームについてもしかしたらノーを突きつける、あるいは、そこまでいかなくとも大きな修正を迫るものになるのでないか。なぜなら、とにもかくにも、4億7000万人のグローバル・コミュニティを果たして企業としての体裁で、あるいは、企業としてのマネジメントで維持できるものなのかどうか、という問いに直面しなければならないからだ。

FacebookのIPOは単なる一企業のIPOに止まらない要素を持つ。この観点から、引き続き注目していきたい。]]>
        
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    <title>「Twitterは誘惑する」</title>
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    <published>2010-03-01T13:41:47Z</published>
    <updated>2010-03-02T03:14:53Z</updated>
    
    <summary>「Twitterは稼げるのか？」 今、最も気になるタイトルの特集記事を見つけた。 Can Twitter Make Money? 【MIT Technology Review： Feburuary 23, 2010】 とはいえ、記事を最後まで読んでも肝心の回答、つまり、Twitterは稼げるのかどうか、について明確なYes/Noは与えられていない。 先日公表されたように、目下のところは、Googl...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://www.defermat.com/">
        <![CDATA[「Twitterは稼げるのか？」

今、最も気になるタイトルの特集記事を見つけた。

<a href="http://www.technologyreview.com/web/24555/">Can Twitter Make Money?</a>
【MIT Technology Review： Feburuary 23, 2010】

とはいえ、記事を最後まで読んでも肝心の回答、つまり、Twitterは稼げるのかどうか、について明確なYes/Noは与えられていない。

先日公表されたように、目下のところは、GoogleならびにMicrosoft (Bing)との間で、全てのTweetsのリアルタイムフィードを提供する契約を結び、その契約料として、伝えられるところによれば、二社合計で2500万ドル（約25億円程度）を得た。これがTwitterにとって初めての売上であった。

この契約についての判断は微妙だ。リアルタイムフィードから利益を直接生み出す方策については、さしあたって外部化してしまったことになるからだ。ただし、GoogleとMicrosoftの双方への提供契約になるので、この二社の間でリアルタイムフィードの活用方法を巡る開発競争が生じることが期待できる。Google、Microsoft、の二社が鎬を削るわけだから期待は嫌が応にでも高まる。

その間、Twitterは更なるユーザーの獲得に専念することになる。それは、Twitter自身の使い勝手の向上、ということになる。だが、ここでも微妙なのはTwitterという会社はmicrobloggingに関する技術を専有していない。あるのは、ブランドとユーザーベースだけ。だから、ある日突然、Twitterに相当するサービスを他社が始めてもそれ自体を防ぐ手だては法的にはない（だから、たとえば、Google Buzzのようなサービスが登場することになる）。

そのこともあってか、むしろ積極的にAPIを公開し、外部のデベロッパーによって、Twitter名で獲得したユーザーたちの利用満足が高まるようなソフトウェアの開発を促している。たとえばTweetDeckやTweetMemeがそれにあたる。あるいは、Bit.lyのように140字の字数制限を有効利用するためのURL短縮サービスのようなサイトも現れる。

だから、本当に突き詰めると、Twitterとはユーザーベースしかない。したがって、ネットワーク外部性を最大限活用して先行者優位を維持すべくユーザーの獲得に専念する。それは、ユーザーにとってのTwitterの利用方法の提案や、そのための利用環境の整備が中心の作業となる。

裏返すと、それくらいTwitterという存在は普遍的なサービスカテゴリーとして位置づけられるポテンシャルがあるサービスだということ。つまり、メールやメッセンジャーのように、商品名がカテゴリー名を代表してしまうようなサービス。つまりは、それが、Twitterのブランド、ということになる。

そして、ブランドに照準するということは、

Twitterは私たちを誘惑するのか？

という問いに帰着することになる。

*

この話題は、数週間前、Twitter上で数人と議論したもの。

その時のやりとりでは、「Twitterは確かに私たちを誘惑する」というもので、写真論やメディア論などを援用し、たとえば、精神分析やバルトなどの立論構成に基づくことで、多分、それらしい論を展開することは可能だろう、ということだった。

この場でその論を展開する余裕はないのだが（実はまだ考案中）、しかし、そこでの主旨は、Twitterという枠組みは、そのタイムラインによるTweetsという単位の情報の流れや、そのephemeral（揮発性の高い）な接触の仕方によってもっぱら「放送」的なコンテントとしてとらえられがちなのだが、その（外部からの）印象に囚われてはいけない、というものだった。

Twitterの特徴は、原則、個々のユーザーはそれぞれ全く別のタイムラインを眺めているところにある。だから、もしも、多くの人びとがTwitterに惹かれてやまない、というような事態が生じるとすれば、それは、そのタイムラインの中に流れ続ける個々のTweet＝コンテントに求めるのではなく、そうしたコンテントの流れを生み出すタイムラインやTwitterの形式の方にこそ求めるべきだ、ということだった。

そして、その形式≒枠組を論じるのに、写真のようなむしろ動かない、しかし、フレームとして「現実」を切り取る枠組みが有効なのではないか、というのがTwitterの中で議論していたことだった。

だから、この視点に従えば、Twitterはその形式だけで人びとを魅了していく可能性があるということになる。

もちろん、写真同様、個々に人びとの関心を集める「強いコンテント」としてのTweetsは必要だろう。それは、著名人によるTweetsであったり、あるいは、newsであったり、・・・、ということになる。

ただ、それはTwitterの利便性を増すだけの話。普及の後押しや、Twitter自身のプロモーションにはつながるだろうが、Twitterそのものの魅力の説明にはならない。

*

そういう意味では、Twitter社が発表した、広告を中心にしたマネタイズ案は、Twitter社自身、自分たちの持つ魅力に気付いていないことを露呈させている。

<a href="http://mediamemo.allthingsd.com/20100226/twitters-ad-plan-copy-google/">Twitter’s Ad Plan: Copy Google</a>
【All Things Digital： Feburuary 26, 2010】

ここで提案されているのは、基本的にGoogle型の検索型広告。Twitterのユーザーが何らかの検索をした場合、その検索ワードに合わせて広告主のTweetをTLに滑り込ませる、というもの。

検索しないと広告が流れないとか、利用者の属性をどう判断するのか、という論点は上の記事が指摘しているので、そちらを見て欲しい。

だが、これではTwitterの魅力＝誘惑する力に気付いていないことになる。

このあたりは、むしろ、従来型の広告会社のクリエイティブに是非とも知恵を絞って欲しいところ。ポイントは滑り込ませ方の部分。

たとえば、上の写真論的分析から考えれば、街頭に張られている写真に基づくポスターにおいて、いかに歩行者の一瞥を得るようにするか、というのと同じ頭の使い方でTLを滑り込ませる方式を考える、ということなのだろう。いや、言っていて全く具体性がないことはわかっているのだが、逆に、具体的なクライアントの具体的な素材にあわせて試行錯誤していくところだと思う。

何が言いたいかというと：

TLの中に「私を見て！」という金切り声的なメッセージや、スパムまがいの奇天烈なメッセージを滑り込ませてもただ単に不快になるだけ。

ウェブの広告については、マイニングやマッチングというテクノロジーで処理できる要素が増えてきて「届けられ方」という点では確かにrelevancy（適合度）は上がっているのだが、その一方でそのメッセージの方は、とりあえず知らせておけばいいでしょ、的なものが数多く見られる。つまり、ビークルの最適化ばかりが行われ、メッセージのありように無頓着になりつつある。

もっといえば、メッセージ＝広告表現（通常クリエイティブといわれるもの）が人びとを魅了する、誘惑する、という部分が忘却されつつあるように思える。

この点は、Twitterに限らずウェブ全般で考え直してみてもいい頃合いではないかと思う。それこそ広告費の規模でもインターネットが新聞を抜き、後はテレビとの頂上対決が控えているだけのタイミングでもあるわけだから。

いずれにしても、「魅了」とか「誘惑」というラインでウェブを捉え直す。

そのための出発点として、Twitterはいい機会を与えてくれると思っている。]]>
        *****

追記 (03.02.2010)

Twitterの誘惑論については、Twitter上で意見をやりとりした@shionkonoさんと@i_kenさんに多くを負っていることを追記しておきます。お二人ともありがとうございました。

多分、ウェブの登場によって、全般的に表現環境/ツールとしてのウェブが全面に出て、その変化の方がさしあたって「目新しい」ため、目新しさに寄生するのが本筋の広告（by北田暁大『広告の誕生』）としては「ウェブでXXXができます」と言っていればとりあえず「広告らしさ」を保っていられたのだろうが、そのいわばアタッカーの、トリックスターの戦略だけではそろそろ息切れするのではないか、というのが上で記したこと。

同じ問題意識から、最近は、制作環境の話、generativityの話がいささか加速気味になってきているのではないかと思い始めている。技術者が礼賛するのは彼らの仕事や目的がウェブ上の環境整備/改善にあるわけだから当然として、ただ、それを使う側の実作者（アート、デザイン、各種メディア表現など）、あるいは、場の主催者（ウェブ・コミュニティや建築家など）などが、とりあえず人を集めれば何とかなる集合知万歳、となるのには直感的に違和感を感じることが多い。多分、制作や編集の意思決定は実作者や主催者の側が選択する必要があると感じているからだろう。つまり、ある種の表現主義の提案が必要だと感じているということ。

このあたりはかなり深い問題につながっているように感じているので、しばらく温めて考えていきたいし、機会があればその考えをまとめてみたいと思う。
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    <title>Democratized Innovation： 産業/工業/製造業の未来像</title>
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    <published>2010-02-28T14:36:36Z</published>
    <updated>2010-03-01T05:30:43Z</updated>
    
    <summary>2月26日深夜に放送された『朝まで生テレビ（朝生）』は、若手起業家を招いて、日本経済の未来を考えるというものだった。 この『朝生』は、堀江貴文、東浩紀、の両氏が出演するから、ということで見始めた。番組中盤から異様な存在感を示した猪子寿之氏（チームラボ社長）によって、ＩＴ系の話に焦点が集まり、イノベーションや製造業の未来、という話題につながった。 猪子氏が参入するまでは、日本でイノベーションと言うと...</summary>
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            <category term="Notes" />
    
    <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://www.defermat.com/">
        <![CDATA[2月26日深夜に放送された『朝まで生テレビ（朝生）』は、若手起業家を招いて、日本経済の未来を考えるというものだった。

この『朝生』は、堀江貴文、東浩紀、の両氏が出演するから、ということで見始めた。番組中盤から異様な存在感を示した猪子寿之氏（チームラボ社長）によって、ＩＴ系の話に焦点が集まり、イノベーションや製造業の未来、という話題につながった。

猪子氏が参入するまでは、日本でイノベーションと言うときに真っ先に想定される製造業の話につながらなかった。パネリストの数人がリクルート出身者であり、彼らの事業領域はある意味でリクルート的な、人材派遣やマッチングという、（ソフトな意味での）「ネットワーク」系ビジネスであった。個人的には面白いと思った井戸実氏は、不況を逆手に取った「居抜き」戦略で飲食事業に新機軸をもたらしていた。

いずれも興味深い話だが、マクロ経済との連関が見えにくい。というのも、マクロ経済で語られるイノベーションは、国家経済（集計量としてのGDP）レベルでの生産関数を変えるもの。そして、日本の場合は上場企業の割合からいっても製造業の生産性に関わる文脈で検討しないと難しい。

だから、パネリストの水野和夫氏が教科書的に「イノベーション」に言及しても、飲食事業や人材マッチングサービス事業が話題では、ビジネスの現状というミクロな個々の動きと、日本経済の今後というマクロな指針、との間のリンクが見えにくかった。

猪子氏の発言自体も、WinnyやYouTubeを例に出した話に過ぎなかったが、とはいえ、ここからようやく、技術革新を育成する（というか、阻害しない）という視点につながった。

興味深かったのは、年配のパネリストの何人かが、ITに関わる産業を、いまだにマネーゲームのような、単に情報を操作するだけのフロー主体のビジネスであると捉えていた点。つまり、実業ではなく虚業であり、それゆえ断罪の対象になる、という考えをいまだに持っていたこと。そして、そんな虚業よりも、実業たる製造業をどうするか、という論点をいまだに提案しようとしていたこと。

これに対して、「いやソフトウェアももの作りだ。Googleも製造業として富を生み出しているのだ」と半ば反射的に反論したのが猪子氏だった。Twitterのハッシュタグ（#asanama）を見る限り、この発言を支持する人は多い。つまり、この「ソフトウェアは製造業か否か」は、世代を分かつ大きな分断線となる論点だったことになる。

もちろん、私も猪子氏に同意する。製造業の中核には間違いなくソフトウェアがあるし、その正否が商品や事業の正否に直接リンクすることも多い。なによりも、SEという存在は一昔前の工場労働者のように製品としてのソフトウェアのパーツ群を扱う存在だからだ。コンピュータに向かって仕事をしている人たちが全てホワイトカラーであるわけではない。むしろ、ホワイトカラーもブルーカラーも区分けができないのが情報産業の労働の現場である。

こうした事態を直感的に理解できていない人びとが50代以上のインテリ層にすらいるというのは今後の情報政策のみならず各種政策（労働、福祉、等）の立案上、不安にさせられる。

猪子氏による「ソフトウェア＝もの作り」の発言が、こうした年配者の認識の払拭につながるものとなることを切に願うところだ。

*

その上で、だが、事態はさらにもう一段進もうとしている。

製造業≒工業≒産業の今後の変貌について記しているのが、次のChris Andersonの論考。

<a href="http://www.wired.com/magazine/2010/01/ff_newrevolution ow to Build Your Dream">In the Next Industrial Revolution, Atoms Are the New Bits</a>
【WIRED： January 25, 2010】

もの作りの世界にも、ソフトウェア世界でのルールが適用され始めている。あたかもソフトウェアを作るように、ハードウェアの作り方も変わってきている。上の猪子氏の発言にひきつければ、ソフトウェアももの作りである、ばかりでなく、ソフトウェアの製造様式がそのままハードウェアの製造様式を更新し改変する。

ソフトウェア自体が二重の意味でもの作りの中核になる。

一つには、製造物の制御部分がソフトウェアによる制御に移行する点。これは従来からあるマイコン制御の延長線上にあるが、それがよりオープンなものになる（たとえばAndroid OS）。もう一つは、もの自体の設計・組立がソフトウェアの製造工程のようにモジュール化され、オープン化される。

こういう工程の変容を、Andersonは産業のdemocratize（民主化）が進む、としている。

彼が“Long Tail”や“Free”の作者であることかも想像できるように、情報化やウェブの普及によって情報の生産と消費について起こったことと同様のことがハードウェアの生産と消費にも起こるとしている。

上の論考ではOpen Source流の開発・製造工程を導入している自動車会社などを紹介している。また、理論的背景としては、MIT教授のEric von Hippelを参照している。製造工程に必要な工具類も、そもそもOpen Sourceを活用した、安価だが精密な仕事をできる道具も増えている（このあたりは、<a href="http://www.defermat.com/journal/2009/000645.php">以前紹介したhackerspace</a>とも関係する話）。

こうしてもの作りの工程自体が様変わりする。Andersonは5つの過程を示している。

Invent　（発明）
Design　（設計）
Prototype　（試作）
Manufacture　（製造）
Sell　（販売）

下流のSellについてはAmazonやWalmartを中心に既に十分にリアリティのある話になっていたわけだが、これが上流から一気通貫することになる。それぞれの工程でソフトウェアが支援ツールとして導入され、コミュニケーションツールによって関係者のやりとりが強化される。最終組立はアウトソースしてもいい（ここでは中国が想定されている）。そして、この工程を実際に支持するために、パーツパーツのモジュール化も進められていく。

モジュール化への適応は、しばしば部品数の多い製造業（自動車以上のもの）では不可能と言われてきた。モジュール化をできるだけ否定しようとする立場をとる識者もいる（これも<a href="http://www.defermat.com/journal/2009/000678.php">前のエントリー</a>で少し触れたことがある）。だが、自動車業界でも電気自動車（EV）の動きの中では、部品の製造・調達構造そのものが激変する可能性もある。

Andersonはこうした状況から、今後の生産組織はネットワークを活用したバーチャルカンパニーが中心になると考え、DIY Dronesというコミュニティサイトを立ち上げた、と論考の最後に記している。

* 

最後のDIY Dronesを読んだあたりで、上のAndersonの論考自体が、DIY Dronesの正当化記事であるように見えなくもない。そうしたポジショントークの可能性も踏まえた上で、しかし、今後の「製造業」の可能性としては、従来の巨大な一企業に対して、小企業群による連繋型の分業生産体制が作られることを頭の片隅においていいだろう。

いや、そもそも「企業」という言葉を使うのも適切ではなくなるのかもしれない。あるいは、「産業≒工業」という言葉を無前提で使うのも事態の正確な理解を阻むのかもしれない。

識者によるが、既に「エコシステム」という言葉を従来の「産業構造」に代わる言葉として利用する人もいる。

産業構造という言葉によって、経済体制が一次から三次までのソリッドな産業構造に峻別され、かつ、個々の産業内で川上から川下までの産業連関が想定され、各種統計データが用意された。しかし、こうした経済体制の見方は20世紀になってから定着したものに過ぎない。当たり前のことだが、産業革命以前には「産業」概念はない。そして、産業革命が基本的に「（熱/電気）エネルギー革命」であったことを踏まえれば、「情報革命」は次元の異なる経済進化といえる。

おそらくはこうした認識を持つ人たちが、「産業構造」に代わって「エコシステム」を選択しているのだと思う。

そうであれば、エコシステムにおける基本単位は、Andersonのいうように産業がdemocratizeされた何か＝X、となるのだろう。そして、そのXの核をさしあたっては、従来ある法人や個人が引き受け、それが徐々に変質していく、ということかもしれない。

そう思うと、アメリカはdemocratized industriesの時代には、上述のXを探究するためのベースとなる組織形態が多いことがアドバンテージとなり得る。アメリカにおいては、法人の他にLLPやLLCがある。あるいは、法人にもfor-profitとnon-profitがあるからだ。しかも、こうした会社組織の形式については、判例法の国であるアメリカは、今後現れる新組織の実例を判例の小宇宙の中で検討することで、具体的に彫啄していくこともできる。

*

こう考えるならば、冒頭触れた『朝生』の中で猪子氏が述べた「ソフトウェア＝製造業」という認識は単なる出発点に過ぎないことがわかる（だから、早急にこの認識を日本のマスコミは広めるべきだ）。

私たちは既に21世紀を10年生きた。コンピュータやウェブが日常に浸透しその効果を十分体感できる環境の中に生きている。こうした経験的事実を踏み台にしながら、「エネルギーの時代」の「産業構造」に代わる、「情報の時代」の「エコシステム」の下での「もの作り」のあり方を模索してもいいのではないだろか。

そうすることで、democratized innovationの時代、誰もがinnovationを勝ち取る機会を公平に享受できる時代を迎えることができるように思える。

まずは、「もの作り」の概念を更新することから始めなければならない。
「もの」についても。「作る」についても。]]>
        
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    <title>いまさらですがTwitter始めました。</title>
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    <published>2010-02-27T02:56:24Z</published>
    <updated>2010-02-28T14:41:23Z</updated>
    
    <summary>IDは fermat1665 。 こちらもよろしくお願いします。 iPadのお披露目と、オバマのthe State of the Union（一般教書演説）の日にスタートできたのは、よかったです。 カラダは一つなので、こちらのブログとどう使い分けていくか、あるいは、書き分けていくか、についてはしばらく試行錯誤すると思いますが、よろしくお願いします。 今までブログエントリーにはならず終いで消えたボツ...</summary>
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        <![CDATA[IDは fermat1665 。

こちらもよろしくお願いします。

iPadのお披露目と、オバマのthe State of the Union（一般教書演説）の日にスタートできたのは、よかったです。

カラダは一つなので、こちらのブログとどう使い分けていくか、あるいは、書き分けていくか、についてはしばらく試行錯誤すると思いますが、よろしくお願いします。

今までブログエントリーにはならず終いで消えたボツネタ（苦笑）もあったのですが、それらもtweetならokかもしれません。

たとえば、アメリカの映画やテレビドラマなどのネタは、日本だとタイミングが合わないので面白いのだけど、盛り上がり感を伝えるところから書くのが億劫だったのでお蔵入りしていました。Avatarにしても、Julie & Juliaにしても、夏ぐらいに一度盛り上がってたんですけどね。

そういうナマモノ的なものに触れるには、Twitterの方があってるかもしれません。

ところで、TwitterにしてもiPhoneにしても、昨年12月にふらりと立ち寄った<a href="http://www.defermat.com/journal/2009/000668.php">フランス大使館のシンポジウム</a>で図らずも居合わせてしまった高揚感に、当てられてしまった感じです。

「現場に居合わせる」ことの大事さを再認させられました。

それ以来、いろいろなことが、一連のもの、として捉えられています。

おいおい、そうしたことも触れていこうかと思います。

ということで、どうぞ、よろしくお願いします。

*****

（追記）

このエントリーは最初2010年1月28日にポストしましたが、Twitter IDの告知のために日付を変えて当サイトのトップページにしばらく置くようにします。ご了解下さい。]]>
        
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    <title>シリコンバレーはWall Streetではない。アメリカは一つではない。</title>
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    <published>2010-02-25T14:59:38Z</published>
    <updated>2010-02-26T05:24:26Z</updated>
    
    <summary>シリコンバレーの老舗VCであるKleiner Perkins Caufield &amp; Byersの元パートナーであったTom Perkinsが、シリコンバレーを擁護する論考をWSJに寄せている。 Silicon Valley Is Not Wall Street 【Wall Street Journal： February 24, 2010】 ワシントンDCの連邦政府が、NYのWall Street...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://www.defermat.com/">
        <![CDATA[シリコンバレーの老舗VCであるKleiner Perkins Caufield & Byersの元パートナーであったTom Perkinsが、シリコンバレーを擁護する論考をWSJに寄せている。

<a href="http://online.wsj.com/article/SB10001424052748704454304575081591449816712.html?mod=WSJ_Opinion_LEFTTopOpinion&mg=com-wsj">Silicon Valley Is Not Wall Street</a>
【Wall Street Journal： February 24, 2010】

ワシントンDCの連邦政府が、NYのWall Streetの投資銀行やヘッジファンドと同じように、シリコンバレーのVCを規制しようとしていることに対する反論。

投資銀行業務が基本的に有価証券の売買取引の手数料収入から成り立っているのに対して、VCは投資先であるスタータップの成長に全てが掛かっていることを強調している。

投資銀行業務が基本的にフローの扱いであって、仮にM&Aやバイアウトが成功しても、その後の企業の成長は投資銀行とは関係ない。だから、企業の成長や、あるいは、その企業の雇用吸収力などには投資銀行は関心を示さない。

対して、VCは投資先企業の成長しかリターンがない。首尾よくそのスタータップが成長すれば、新たな雇用も創造する。

だから、投資銀行とVCを一緒くたにするのはやめてくれ、というのがPerkinsの主張のポイント。

アメリカの景気回復も先がなかなかみえないところで、雇用創造力を強調するのは理解できる。カリフォルニアに限らずスタータップが新規雇用の源泉であり、その会社が成長することが経済のエンジンになる、という主張。

このあたりは、アメリカの産業経済が地域的なバリエーションに富むことも加味した方がいい。

たとえば、今回のトヨタヒアリングで、当たり前のことながら、アメリカの自動車産業のお膝元であるミシガンやオハイオなどのIndustrial States出身の議員からの質問が詰問調の厳しいものであったのに対して、トヨタに限らず外国の自動車メーカーの工場を誘致している南部諸州出身の議員はトヨタ擁護にまわっていた。

去年の春先にあったGM救済においては、Industrial Statesの州知事や連邦議会議員らがひたすら救済の必要性を訴えていたのに対して、テネシーやテキサスなどの南部諸州は救済は市場原理に反するし政府が介入すべきでないと猛烈に主張していた。その対立と全く同じ分断線が今回のトヨタヒアリングでは見られた。

だから、上のPerkinsの主張も、DCやNYの金融資本家中心の発想に対して反論をするだけでなく、どさくさに紛れてDCやNYの人間が南西部の産業活力を制御しようという意図に対する反抗でもある。

アメリカは一枚岩ではない。そういう意味では、日本の報道も、たとえば、自国の政府に対して「政府民主党」という言葉を使うように、「アメリカ連邦政府民主党」とでも使う方がいいのかもしれない（もっとも、議院内閣制でないアメリカでは、政府と与党とは必ずしもオーバーラップしないので、こういう表現も適切でないといえばそうなのだが）。

確認したいのは、アメリカは日本人が思うほど国家が国民を覆っているようなところではない、ということ。Perkinsの主張もそういう文脈で捉えておきたい。]]>
        
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    <title>“Being INNOVATIVE”とは何か？： Fast Companyによる「世界で最もイノベイティブな会社たち」</title>
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    <published>2010-02-23T07:22:10Z</published>
    <updated>2010-02-23T07:26:46Z</updated>
    
    <summary>Fast Companyがイノベイティブな会社50選をランキングで発表している。 The World&apos;s Most Innovative Companies 100 （このエントリーの最後に50社のリストを再掲してある。） 50社のリストを見ると、トップ5こそ、日頃よく耳にするIT系の企業になるが、6位以下はかなり不思議な顔ぶれになる。それは、上のリンク先頁の左側にある産業カテゴリーを見ればわかる...</summary>
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            <category term="News" />
    
    <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://www.defermat.com/">
        <![CDATA[Fast Companyがイノベイティブな会社50選をランキングで発表している。

<a href="http://www.fastcompany.com/mic/2010">The World's Most Innovative Companies 100</a>

（このエントリーの最後に50社のリストを再掲してある。）

50社のリストを見ると、トップ5こそ、日頃よく耳にするIT系の企業になるが、6位以下はかなり不思議な顔ぶれになる。それは、上のリンク先頁の左側にある産業カテゴリーを見ればわかる通り、エネルギー、食品から、建築、デザインまでと、産業横断的なリストになっているから。

たとえば、建築事務所のMVRDVが44位にいたり、ユニクロのFast Retailingが41位にいたりする。あるいは、デザイン会社のIdeoが35位という具合。

面白いところでは、22位にランクされているIndian Premier League。何かと思ってクリックしてみたら、インドの「クリケット（！）」のプロリーグであった（写真を見ると、選手の様子がアメフトとベースボールを足して二で割ったような恰好でユニーク）。

8位のNovartisは難病・奇病を中心に製薬開発をしている。この会社など、そもそも開発ターゲットとしてハードルの高いところを考えているところ、つまり経営戦略そのものがある意味イノベイティブな戦術を呼び込んでいるようにも思える。

38位のNgmocoは、アメリカの大手ゲーム開発会社Electronic Artsを辞めた人たちがつくったiPhone上のモバイルゲーム開発会社。これは、App Economyが喧伝される中、起業した事実そのものが、イノベイティブなチャレンジに見えてくる。

もっとも、ランキングの決定方法に関する記述がどうも見あたらないようなので、あまりランキングそのものを真剣に受け止めても仕方がないのかもしれない。昨年も同じランキングを発表しているようだから、選定基準がきちんとあり、それに沿ってなされている、ととりあえずは了解しておいていいのだろう。

そういう意味ではランキングの順位には拘泥せずに、ここにリスト化された会社情報を一つ一つたどりながら、 “Being Innovative（イノベイティブであること）”とはどういうことか、について思考をめぐらす、そのためのきっかけぐらいに考えておいた方がいいのかもしれない。

イノベイティブという言葉はわかったようでわからない、掴み所のない言葉であることは確か。とはいえ、現在進行中の世界的な経済低迷の中では、別に日本に限らず、世界中の国で重要視されている言葉であることは間違いない（だからこそのFast Companyでの特集）。

そうした変革の契機を促すきっかけとしてイノベイティブを考え直してみるのも一つの手だと思う。

***

50社のリスト

1 Facebook
2 Amazon
3 Apple
4 Google
5 Huawei

6 First Solar
7 PG&E
8 Novartis
9 Walmart
10 HP

11 Hulu
12 Netflix
13 Nike
14 Intel
15 Spotify

16 BYD
17 Cisco Systems
18 IBM
19 GE
20 Disney

21 Gilt Groupe
22 Indian Premier League
23 PatientsLikeMe
24 Grey New York
25 BMW Designworks USA

26 Synthetic Genomics
27 FiLife
28 Frito-Lay
29 Alibaba
30 MITRE

31 HTC
32 DillerScofidio + Renfro
33 Firstborn
34 Sportvision
35 Ideo

36 Samsung
37 Glam Media
38 Ngmoco
39 VNL
40 Aldi Sud

41 Fast Retailing
42 Huayi Brothers
43 Athenahealth
44 MVRDV
45 Alstom

46 Quantcast
47 Good Guide
48 Microsoft
49 Politico
50 Twitter

***
]]>
        
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    <title>Google, energy marketerへ： Civilの水平展開でGoogle流のリアルワールドへの浸透始まる。</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.defermat.com/cms/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=1/entry_id=715" title="Google, energy marketerへ： Civilの水平展開でGoogle流のリアルワールドへの浸透始まる。" />
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    <published>2010-02-19T08:00:09Z</published>
    <updated>2010-02-19T08:06:59Z</updated>
    
    <summary>Googleが、The Federal Energy Regulatory Commission（連邦エネルギー規制委員会）の承認を受け、正式に、energy marketerとなった。 Google Cleared on Power Bid 【Wall Street Journal： February 18, 2010】 これにより、Googleはエネルギー（電力）の売買が可能になった。通常、e...</summary>
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            <category term="News" />
    
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        <![CDATA[Googleが、The Federal Energy Regulatory Commission（連邦エネルギー規制委員会）の承認を受け、正式に、energy marketerとなった。

<a href="http://online.wsj.com/article/SB10001424052748703315004575073650351018606.html?mod=WSJ_Tech_LEFTTopNews">Google Cleared on Power Bid</a>
【Wall Street Journal： February 18, 2010】

これにより、Googleはエネルギー（電力）の売買が可能になった。通常、energy marketerには、発電設備をもった事業者が申請するのだが、今回のGoogleのように大量のエネルギーを利用する企業については、大量購入したエネルギーを再販するために、上記の認可が必要になる。

WSJの記事にあるように、Googleが申請をした背景には二つの理由がある。一つは、自社のエネルギー利用の管理のため。主にデータセンターに利用されるエネルギーのマネジメント。Googleは今のところ発電設備も送電設備も所有していないと記されているが、今後はわからない。

もう一つの理由は、再生可能エネルギーへのアクセスをよくしていくこと。

なお、いまのところは、認可を得た結果Googleに配備されるエネルギー管理技術を（おそらくは）サービスとして売り出すことはしないし、再販を投機的に利用するつもりもないという。

先日発表されたブロードバンドサービスへの参入表明とあわせると、かつてのエンロンが想起されるが、そうしたことにはならない、と公表しているわけだ。

記事の最後にあるようにGoogleはPowerMeterというサービスで一般家庭の電力マネジメントサービスに、電力会社と協力して進出している。いわば、既存の電力サービス網を“hack”し、徐々にそのサービス網のあり方を変えていこうとしている。

携帯電話やガジェットにおいてしばしば「電池」の性能がスペック上の問題にされるように、電力は、ウェブの世界においては基礎中の基礎にあたるインフラだ。大規模データセンターによるCloud Computingを提供する予定のGoogleからすれば、電力の問題は社内の問題であると同時にユーザーの問題＝社外の問題でもある。それをできるだけ円滑に管理しようと試みているわけだ。

記事中にあるutilitiesというのは、電気・ガス・水道、のような生活の基本インフラを指す。ここでは、電力が対象の話であったが、これらutilitiesの管理ネットワーク一般に対して、Googleが参入していくと言うこともあり得るだろう。

先日のエントリーで「<a href="http://www.defermat.com/journal/2010/000711.php">CivilからSocialへ</a>」というように、ウェブの世界ではGoogleが単なるインフラ的整備から人びとの関係性・社交性のオルタナティブな有り様を提案する方向に向かっていると論じた。この「CivilからSocialへ」の展開を、縦方向の、垂直方向の展開とすれば、このutilitiesへの参入は「Civil XからCivil Yへ」の展開であり、横方向、水平方向の展開と捉えることもできる。

utilitiesについては、公共料金規制などの管轄は、州や市などの地方政府の公益委員会になる。そのため、utilitiesのネットワークに関わるのであれば、Googleはそうした地方政府とのやりとりも増えていくことになる。それに伴って、今まではウェブという浮遊した存在の中でビジネスを行ってきたGoogleは徐々にリアルワールドの実務担当者との折衝も増えていく。そして、それはとりもなおさず、Google的なウェブ的な発想、思考様式が、少しずつウェブの外にもしみ出していくことを含意する。

はたしてGoogle流の伝道は首尾よく進むのだろうか。]]>
        
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    <title>Googleと知の宇宙</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.defermat.com/journal/2010/000714.php" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.defermat.com/cms/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=1/entry_id=714" title="Googleと知の宇宙" />
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    <published>2010-02-18T08:30:23Z</published>
    <updated>2010-02-19T08:19:37Z</updated>
    
    <summary>Google Bookに対する訴訟の妥結には、まだまだ時間がかかりそうだ。 Google Book Settlement Hearing Could Be a Marathon 【Wall Street Journal： February 17, 2010】 電子出版の未来に大きな影響を及ぼすと考えられているGoogle Bookについては、その訴訟の和解案がいつの間にか業界標準ルールへと転じそう...</summary>
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            <category term="News" />
    
    <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://www.defermat.com/">
        <![CDATA[Google Bookに対する訴訟の妥結には、まだまだ時間がかかりそうだ。

<a href="http://blogs.wsj.com/digits/2010/02/17/google-book-settlement-hearing-could-be-a-marathon/?mod=rss_WSJBlog&mod=">Google Book Settlement Hearing Could Be a Marathon</a>
【Wall Street Journal： February 17, 2010】

電子出版の未来に大きな影響を及ぼすと考えられているGoogle Bookについては、その訴訟の和解案がいつの間にか業界標準ルールへと転じそうな情勢にある。それは、既に様々なところで指摘されている、アメリカ特有の、Class Actionという訴訟制度によっている。簡単にいうと、一つの訴訟が、その個別事件の当事者ではない、しかし、関係者である人びと・法人にも影響を与えうる、という制度だ。そのため、Googleが作家や出版社団体と交わした妥協案＝和解案が、広く関係者を縛ることになる。

そうした情勢に対して、多くの関係者たちが異議を唱えていた。上のWSJの記事は、和解案に対する公判のヒアリングがようやく行われることを伝えている。このヒアリングでは、当事者の意見だけでなく、反対者の異議も発表される。

繰り返しになるが、この和解案は出版に関わる人びとに大きな影響を与える。引き続きその動向については注目したい。

*

と、さらっとこのエントリーを終わらせようと思っていたのだが、Googleは、同じ日に、面白いことを仕掛けてきた。

<a href="http://online.wsj.com/article/SB10001424052748703444804575071810188462120.html?mod=WSJ_Tech_LEFTTopNews">Google Gives to Wikipedia</a>
【Wall Street Journal： February 17, 2010】

Wikipediaに200万ドル（約2億円）の寄付をGoogleが行うという。この寄付の公表をする際、Googleの共同設立者であるSergey Brinは、Wikipediaを「インターネット最大の勝利」とし、「コミュニティが生成するコンテントの膨大な貯水池（repository）」は、ウェブの利用者の誰にとっても有益だと述べ、Wikipediaの存在を褒め称えている。

上のGoogle Bookの動きのある日にこのことが公表されることには一定の意図があるようには思えるが、それはさしおいても、ウェブ上の知的アーカイブの生成を支援する、という振る舞いは、Google Bookの話を進めていく際に、「大義」を調達する上で十分に意味があることだ。

GoogleについてはフランスがGoogle Taxの導入を検討中だということが伝えられているが、それは、フランス文化を「搾取」した結果の収益を全てアメリカに送金されてはたまらない、というフランスの文化政策的発想から生じたアイデアであった。

だから、アメリカであるかフランスであるかは問わず、Wikipediaという百科事典プラットフォームを維持することに寄付を行うことは、ある意味でGoogle Taxで想定された「文化活動への資金の環流」というスキームを、Googleなりに実践することと捉えることもできる。つまり、ビジネス活動からの収益を、公益性の高い文化事業に還元する、という動きだ。

興味深いのは、そうした「寄付」行為によって、GoogleとWikipediaの間にも一種のエコシステム的結合が生じることだ。

まさに、前田累が『紙の本が亡びるとき？』で指摘した、Google/Wikipedia連合の誕生であり、知の増殖が停止条件なく際限なく進んでいく世界が確保されていくことになる。

それは、同時に、前田が懸念した「切断のない」テキスト、「固着性のない」テキストの増大が約束されることでもある。裏返すと、「固着性のある」「流動性の低い」テキスト＝紙の書籍、の居場所がますます少なくなっていくことでもある。

そして、この点において、Google Bookにおける電子書籍/デジタル書籍の動きが、Googleを介してWikipediaと直結する。つまり、既にあったテキスト＝知の宝庫としての書籍群と、今この瞬間にも生成されつつあるテキスト＝Wikipedia、の双方がウェブ上でリンクされる可能性を見ることになる。それは壮大な夢だが、その壮大さが、アメリカ人であることや英語圏にいることによらないWikipediaというプラットフォームを依り代に選ぶことで、Googleは、というよりは、Brinは、自らの夢の実現を自分たちの外部の存在（この場合はWikipedia）に委ねることができる。Googleのビジネス活動と一線を引いたところで、ウェブ上の知の宝庫作りを行うことができる。

Googleの試みをバベルの塔の再来だと揶揄するのは簡単だ。しかし、ここまで本気で行っていることに対して、Googleの外部にいる人たちはどのようにうけとめたらよいのか。これは熟考に値する問いだと思う。

既に、多くの若い人たち、とりわけ、ドン・タプスコット（“wikinomics”の著者）いうところの「デジタルネイティブ」の子らにとっては、メディアへの接触は「出力の選択」という意識で見られている。そして、その出力の選択方法として、各種デジタルガジェットによるビューワーや紙が挙げられる。

そういう意味では、改めて、Bookとは何か、伝承すべきBookの本質＝魂・精神とは何か、というような問いから愚直に考え直すべき時期が来ているのかもしれない。

Googleの描く「知の宇宙」は、どうやら本気の夢なのだから。]]>
        
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<entry>
    <title>Windows Phone 7 はPC産業の変容を演出するのか。</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.defermat.com/journal/2010/000713.php" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.defermat.com/cms/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=1/entry_id=713" title="Windows Phone 7 はPC産業の変容を演出するのか。" />
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    <published>2010-02-16T09:50:22Z</published>
    <updated>2010-02-16T10:06:09Z</updated>
    
    <summary>Microsoftが遅ればせながら陣容を整え直した上でSmartphone市場に参入する。 Microsoft Targets Phones 【Wall Street Journal： February 13, 2010】 Microsoft Starts Over in Phone Software 【New York Times： February 13, 2010】 Windows Phon...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://www.defermat.com/">
        <![CDATA[Microsoftが遅ればせながら陣容を整え直した上でSmartphone市場に参入する。

<a href="http://online.wsj.com/article/SB10001424052748703525704575061253074391256.html?mod=WSJ_Tech_LEFTTopNews">Microsoft Targets Phones</a>
【Wall Street Journal： February 13, 2010】

<a href="http://www.nytimes.com/2010/02/16/technology/16phone.html?ref=technology">Microsoft Starts Over in Phone Software</a>
【New York Times： February 13, 2010】

Windows Phone 7（WP７）がそれ。従来のWindows MobileがPCのWindowsシリーズのUIを踏襲していたのに対して、WP7は設計思想をWindowシリーズから断絶しSmartphoneらしいものに変えてきた。

Hubと呼ばれる機能で、カテゴリー別にウェブ上の複数アプリで利用するデータと統合管理しようとするところは、ビジネス仕様を重視するMicrosoftらしい仕様。

既存のベンダーやキャリアを配慮した座組になっている。基本はソフトウェアベースで、WP7シリーズはベンダーが製造・販売する。ただし、HP、Dellなどのベンダーも独自にソフトウェアを開発し搭載する。

このあたりの、ソフトウェアとハードウェアの開発が綺麗に分断されなくなっている当たりが、SmartphoneがPCのカテゴリーキラーであると多くの企業が思っていることの現れといえる。

*

ということで、アメリカの市場はSmartphoneをPCの次に来る商品として明確に位置づけたといってよい。

AppleとGoogleがそれぞれ企業文化（Elegance vs Algorithm）を反映したエッジのある商品・サービスを提供すれば、その背後をMicrosoftやNokiaがピッタリついてくるといったイメージ。

AppleやGoogleｇが既存のPC産業のしがらみに縛られなくていい分、好き勝手に新しいこと＝新機軸を思い切って試みようとしているのに比べれば、今回のMicrosoftの動きは、当のPC産業のしがらみの中でどう新しい市場の立ち上がりにコミットしていくかという課題への対応の一つといえる。

WP7シリーズの販売は次のホリデーシーズンという。その間に適宜商品スペックのリリースはされるのだろうが、しかし、その間にもAppleやGoogleが販売実績を作りつつ市場イメージを形成していく。そこに後続のMicrosoftらがどう巻き返してくるのか。

既に重厚長大企業並みに官僚化されているとは伝えられるものの、Microsoftからも、たとえば、MS Photosynthのような情報工学の粋を集めたようなソフトウェアが突然リリースされたりする。だから、Microsoftに全くチャンスがないというわけではもちろんない。その意味では、HPもDellもIntelもそう。

むしろ、Microsoftの縛りが消えていく中で、アセンブラやチップメーカーと位置づけられた企業がどのように変容していくのか、経営学の観点からはとても興味深い事例になっていくと思う。市場環境の明らかな変化に対して、どこまで自分たちの既存の地位や市場を捨てて、自分たちの営業活動を再定義できるのか。注目に値する。

そして、もちろん、こうした後続大企業のプレッシャーがAppleとGoogleに更なる加速を強いることになる。

つまり、PC産業の変容（transform）という点で興味深いことが起きる。

これは、コンテントやサービスやあるいはそれらのエコシステムの構築、という点とは異なる文脈で面白い観察対象となる。

Microsoftの全力に是非とも期待したい。]]>
        
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    <title>CivilからSocialへ： 集合知によるSocial Engineering時代を開くGoogle Buzz</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.defermat.com/cms/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=1/entry_id=711" title="CivilからSocialへ： 集合知によるSocial Engineering時代を開くGoogle Buzz" />
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    <published>2010-02-14T12:32:56Z</published>
    <updated>2010-02-14T15:22:54Z</updated>
    
    <summary>GoogleがGoogle BuzzでSocial Network Serviceに参入した。 Generating Buzz 【Economist： February 11, 2010】 上のEconomistの記事が上手くまとめているように、基本的にはFacebookやTwitterの対抗としての参入だ。ただ、既に様々なところで指摘されているように、Google BuzzはG-mailでのやり...</summary>
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            <category term="Notes" />
    
    <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://www.defermat.com/">
        <![CDATA[GoogleがGoogle BuzzでSocial Network Serviceに参入した。

<a href="http://www.economist.com/businessfinance/displayStory.cfm?story_id=15501673&source=hptextfeature">Generating Buzz</a>
【Economist： February 11, 2010】

上のEconomistの記事が上手くまとめているように、基本的にはFacebookやTwitterの対抗としての参入だ。ただ、既に様々なところで指摘されているように、Google BuzzはG-mailでのやりとりの履歴から自動的にネットワークを構築してしまうようで、それがあまりにPrivacyへの配慮に欠ける行為だとして、開始早々非難を浴びることになった。既に、そのための手当もなされ始めている。

<a href="http://online.wsj.com/article/SB10001424052748704124704575064282294047738.html?mod=WSJ_Tech_LEFTTopNews">Google to Revamp Buzz Amid Privacy Concerns</a>
【Wall Street Journal： February 11, 2010】

G-mailの利用者が膨大な数に上ることを考えると、今後もしばらくはこのような修正行為が続くことだろう。ウェブの世界ではとりあえずベータ版からスタートというのが常識といえば常識だが、今回については拙速が過ぎたようだ。

裏返すと、そういう拙速な所作が必要なくらい、GoogleとしてはSNSの世界への足がかりを早期に確立したい、ということだったのだろう。

GoogleはちょうどサイバーセキュリティについてNSA（National Security Agency）と協力してあたるという発表もしたところ。今回のBuzzによって、期せずして、プライバシーの保護の問題に自ら触れてしまったことになる。

*

<a href="http://www.defermat.com/journal/2010/000710.php">前のエントリーでも触れたけれど</a>、Googleの動きは、もはや単なる一企業の動きとは思えないところがある。

ここのところの動きは、あまりにも、政府とか法とか外交とか、とにかく政治的で公共的なことに絡む話が目立ちすぎる。このあたりのGoogleの全方位の野心について、たとえば、次のSalonのように「Googleに囲まれた世界」を語る論考も目立つようになってきた。

<a href="http://www.salon.com/tech/htww/2010/02/10/google/index.html">It's Google's world, we just live in it</a>
【Salon： February 10, 2010】

Appleとともに、ウェブの世界を構築していく存在として注目を集めている。

それこそ、Lessig, Zittrain, Tim Wu, Benkler、・・・、など、ウェブと関わる法・秩序（≒アーキテクチャ）について研究している碩学たちが、過去10数年にわたって指摘してきた「論点・争点」についてGoogleは一つの解決策をデフォルトとして作ろうとしているように思える。それも、連邦政府公認のルールとして。Googleは、そのルールメイキングに躍起になっているように思える。

裏返すと、それくらい旧来秩序体系の根底にメスを入れていかない限り、ウェブの世界も先に進めないくらい煮詰まった状況に陥っている（あるいは早晩陥る）状況にあると認識している。一連の性急に見える動きは、Googleのそうした認識の表れなのかもしれない。

*

Googleは今、Social Engineeringの夢に取り憑かれている。

文字どおり、社会を工学的に設計し最適化する夢。そして、そのSocial Engineeringの夢から翻って彼らが行ってきたことを振り返ると、Googleは今までウェブでCivil Engineeringを行ってきたのではないだろうか。

Civil Engineeringというのは、日本語では通常「土木工学」と訳される。橋や道路、あるいはダムや鉄道を造る分野。都市機能の外輪をつくりだす工学分野。治水やエネルギー調達、交通路の確保など、人間にとって過酷な自然環境に手を加え、自然空間を人が住める場所、街や都市に変えていく技術。それがCivil Engineering。

GoogleがSearchを導入して以降行ってきたことは、基本的にウェブ版のCivil Engineeringであった。そう考えてみる。

SearchのためにBotによるCrawlingを行い、ウェブの世界の測量を行う。その測量結果に基づいて区画整理をし、人目につく一等地を見つけていく。いわば、土地の開墾と不動産開発をしているようなもの。

その土地にAdSenseやAdWordのような、貨幣の流れを作り、ともかくも、彼らが開墾した都市に形はどうあれお金が流れるようにする。

その都市に様々な人びとが持参金を携えてビジネスやコミュニティをつくりにやってくる。

FacebookやTwitterは、いわば自発的な集団、Associationとしてスタートした。ちょっとリアルワールドと異なるのは、仲間になるプロセスの部分。初発の関係性はリアルワールドの関係を投影する形でスタートするものの、事態が進む内に、むしろウェブ内部での出会いや繋がりが飛躍的に増大していく。Facebookが登録ユーザー数であれば既に日本の人口を越えていたり、Twitterが急速に普及を果たしてきているのも、ウェブの特性があればこそ。

Google Buzzで行おうとしたのは、だから、こうしたリアルワールドの投影＝射影としてスタートしたSNSサービスを、関係性の構築というところで、もっと大規模に、かつ、もっとラディカルにしようとする試みなのだろう。それがGoogleの創始者の一人であるBrinがS/N比の向上、という言葉でGoogle Buzzを説明していることの表れではないか。

いわば、いまある「人との関係性＝社交性＝社会性」をG-mailというアプリの利用実績に基づき、強制的にウェブの上に上げてしまう。「世界の全ての情報をネットに上げ、検索可能とする」ことを目指すGoogleらしい動き。この場合、「社会的関係＝Social Graph」が全て大規模に可視的にウェブに上げられてしまう。

その超大規模な関係性を一人一人の個人がプレッシャーで押しつぶされずにやりとりできるようなものにするために、大々的にコンピュータパワーを活用する。つまり、コンピュータの支援を受けた「コミュニケーションパワー」が新たに構築される。そうしてGoogle Buzzの参加者の一人一人を全て聖徳太子のようにしてしまう、そんな複数のコミュニケーションを同時並列的に処理できるような機能の実現をめざしているのではないか。

今ならTwitterの流れはTime Lineと、線形の一次元の流れとして表象されているが、これを、Time Plane（二次元）、Time Cube（三次元）、の流れに変えてでも認識可能なコミュニケーションパワーが設計される。

たとえば、線形一次元のTime Lineですら、既に個人の処理能力を超えているところがあり、その調整をするためには、いまのところはユーザーによる人力でフォロワー数を増減させることで対応されている。このTime Line管理のような部分に、Googleは大々的に情報科学・工学の成果を投入することで、コミュニケーションの様相を一変させようと考えているに違いない。

このことがある意味でトンデモ構想であることは認めた上で、しかし、Brinらは、ウェブによって強化された（Enhanced）された集団≒Societyのあり方をGoogle Buzzで模索しようとする。これが、新たなSocietyを構築する工学＝Social Engineeringの開発を促すことになる。

*

ここで、二つの補足を行う。

一つはSocietyという言葉。日本では一般に「社会」と訳され、たとえば、具体的イメージとしては地域社会とか企業社会が想定される。人の集団というよりは、人が集まる「鋳型」の方を指す言葉。感覚的には「世間」というニュアンスでもある。

一方、英語のSocietyは、もっと多様で、集団やグループ、あるいは同好会、結社、というニュアンスでも使われる。とにかく人が自発的に集まった集団＝クラスターを指す言葉として。

だから、Social Engineeringというのも、日本語で「社会工学」というと、土木工学よりは上層の、けれども、人びとを収める鋳型としての「社会」を管理するものとして、たとえば、都市計画のようなニュアンスで取られがち。

しかし、Societyが自発的にクラスターという英語的ニュアンスで行けば、Social Engineeringはむしろ「人びとの関係性を操作する、あるいは、新たな関係性を創り出す工学」という意味になる。

そして、これが二番目の補足になるが、この「社会集団への操作的介入」というニュアンスがアメリカの場合強く、「自由を抑圧する」技術としてSocial Engineeringという言葉が否定的に取られることになる。とりわけ、JFKやジョンソンの頃の、50年代から60年代にかけての、デモクラット主導の「大きな政府」とのオーバーラップもあってこうしたニュアンスがある。

この二つの補足をした上で、しかし、Googleが今行おうとしているのは、ウェブ上のCivil Engineeringの経験やノウハウを使って、文字どおり人びとの集団化の動きに関わっていこうということだ。だから、プライバシーやセキュリティの問題は当然に浮上する。というか、社会の関係性を操作する、という振る舞いに対して、政治や法律の文脈で介入する視点・手段が、プライバシーやセキュリティぐらいしかない、というのが現状ではないか。

だから、今後は、Google Buzzが提案する様々な「（トンデモ）機能」に対して、それらの法的概念を彫啄するような動きも出てくるだろう。私たちは、工学的に強化された社会関係や、そうした工学的に強化された社会を所与の環境とした「社会把握」の方法を、これから創り上げていくのだと思う。そして、それは、統治の術として、政治学や法学の概念の更新や創造をも必要にしていくのだと思う。

*

ウェブ上の「Civil EngineeringからSocial Engineeringへ」。

こう捉えるとき、逆にCivil Engineeringについても考えが浮かんでくる。それは「Civil」という言葉。

上で、さらっと、Civil engineering＝土木工学、としたが、しかし、どう考えても「Civil＝土木」ではありえない。

Civilという言葉はとても多義的な言葉で、その多義性ゆえ、日本語にするとその痕跡が見えなくなる。

上の、civil engineering＝土木工学、に加えて、たとえば、Civil War=南北戦争（内戦）、civil right=公民権、civil law=ローマ法、という具合に。

見事に、日本語訳ではcivilの痕跡は消えている。

Civilは、ラテン語のキビタス（civitas）という言葉から派生して、キビタスは、ローマ帝国時代の市民（権）を表す言葉とされている。だから、人びとが集まって集団を作ったときの土台となる、ぐらいの意味がCivilに込められているのだと思う。

ちなみに、アメリカの場合、Civil Engineeringの評価が高い大学は中西部に多い。たとえば、ウィスコンシン大学など。もともと、中西部の大学は、東海岸の私立大学（アイビーリーグなど）と異なり、州立大学が最初にできたところが多い。それは、街を作るためには、文字どおり荒野を開墾し、治水や道路・橋を整備するのが急務の場所で、そのために実践的な知識を伝える必要があったため。

たぶん、Googleが捉えるウェブの現状は、準州から州に成り立てのころの、アメリカ中西部の地域のようなものなのだろう。街を作り、コミュニティや教会を作る。そこに人の関係性や、公益などの社会経済的関係も生まれてくる。

そう思うと、GoogleのCivilからSocialへの展開は、人の集団の新しい統治方法や統治ルールを生み出す展開だと考えられる。

そう思うと、Twitterになれるかどうか、とか、果たして成功するかどうか、といった話題は随分矮小化されたものであることに気付くと思う。

Googleは、フロンティア時代の中西部の社会の立ち上げにあたることを、いま、21世紀的環境の下で、ウェブの中で行おうとしている。

今流行の「集合知」による統治。

Google Buzzはそうした集合知的統治の前哨戦となる動きなのだ。]]>
        
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    <title>Googlized America： アメリカの風景を更新するGoogle</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.defermat.com/cms/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=1/entry_id=710" title="Googlized America： アメリカの風景を更新するGoogle" />
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    <published>2010-02-12T13:06:45Z</published>
    <updated>2010-02-14T05:45:02Z</updated>
    
    <summary>Googleが光ファイバベースのブロードバンドサービスを提供する計画を公表した。 Google Jolts Telecom Rivals  【Wall Street Journal： February 10, 2010】 Google to Offer Fast Broadband as Trial to Spur Providers 【New York Times： February 10, 2...</summary>
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        <![CDATA[Googleが光ファイバベースのブロードバンドサービスを提供する計画を公表した。

<a href="http://online.wsj.com/article/SB10001424052748704140104575057273487119574.html?mod=WSJ_Tech_LEFTTopNews">Google Jolts Telecom Rivals</a> 
【Wall Street Journal： February 10, 2010】

<a href="http://www.nytimes.com/2010/02/11/technology/companies/11google.html?ref=technology">Google to Offer Fast Broadband as Trial to Spur Providers</a>
【New York Times： February 10, 2010】

<a href="http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/02/10/AR2010021001649.html">Google to launch turbo-speed Internet trials</a>
【Washington Post： February 10, 2010】

既にワイヤレス・ブロードバンドに対しては、Nexus Oneの発売をはじめ、インターネット接続やIP電話、モバイルアドの会社への出資や買収を表明し、会社としてのコミットメントを明確にしていたわけだが、今回の動きでワイヤード（有線・固定）系にも戦略的な手を打つことになる。

好意的に解釈すれば、YouTubeやCloud Computingなどのサービスの活用を図るためにブロードバンド網は不可欠で、アプリケーションレイヤーでの投資計画を明確にしていくためにも、ブロードバンド網の配備スケジュールを自分たちでコントロールできた方が望ましい。だから、Googleに有利なエコシステムを、Googleの戦略スケジュールに沿ってくみ上げていくためにも、アクセス網の部分に、無線か有線かを問わず、進出していく、ということなのだろう。

もっとも、既存事業者であるテレコムやケーブルの事業者は、Googleから具体的な投資計画が示されていないことから、たんなるPR用のパフォーマンス（publicity stunt）に過ぎないと見ているようだ。

実際、Googleの計画は全米を対象としたものではなく、いくつかの都市をキメ打ちして参入すると伝えられている。そのため、既存事業者の投資計画に圧力をかける類の所作と思われても仕方がないところがある。

そのようなクリームスキミング（おいしいとこ取り）的な参入が噂されるため、本件はテクノロジーやビジネスが理由であるだけでなく、むしろ、オバマ政権のブロードバンド配備計画を側面から支援する、そうした「政治的動き」と見る向きすらある。

*

ただ、この「政治的動き」という場合、単にブロードバンド配備にとどまらない意味を持つ。

なぜなら、アメリカは、現在、20世紀のレガシーシステムになりつつある各種インフラ設備の更新に注力しているから。そして、Googleは、スマートグリッド計画のような、エネルギー分野にも進出を表明しているから。

IR的には、つまり、投資家向きにはキャッシュを固定する設備投資計画には難色を示す意見もあるようだが、Googleからすれば、

「ハイテク・スタータップ企業」　という認知から、
「政府のバックアップもある巨大企業」　という認知へと、

自社の位置づけを更新することも企図しているのかもしれない。

政府のインフラ整備の動きに寄り添い、先導する役割として。

*

たとえば、エネルギーの他にもアメリカでは、排出ガス制限という点から、大々的に鉄道の配備を見直そうという動きがある。

アメリカといえば20世紀のモータリゼーション（自動車社会化）を先導した国。LAやヒューストンのような、自動車による移動が前提の大都市を創り上げることで、20世紀後半の世界の大都市のイメージのひな形を用意した（もっとも、LAの場合は、東京と違って、無限定なスプロールではなく、エッジシティのような職住接近型のサブ都市を分泌していった、という動きもあるのだが）。

そのモータリゼーションの国アメリカで鉄道を見直す動きがある。とりわけ、高速鉄道＝新幹線を導入する動きが目立つ。

<a href="http://www.wired.com/magazine/2010/01/ff_fasttrack/">Superfast Bullet Trains Are Finally Coming to the U.S</a>.
【WIRED： February 2010】

モータリゼーションを先導したカリフォルニアでむしろ計画がさかんであったりする。

<a href="http://www.nytimes.com/2009/06/14/magazine/14Train-t.html?_r=1&ref=magazine">Getting Up to Speed</a>
【New York Times Magazine： June 10, 2009】

このように大々的にインフラを組み替えていこうという動きがオバマ政権になってから現実化してきている。そして、とりもなおさず、インフラを更新するということは、都市空間の風景が順次変わっていく、ということだ。

そういう動きの中でGoogleが様々な点から絡みつつある。今回のブロードバンドの動きもその一つに過ぎない。

*

ここで唐突だが、GoogleはNASAが50年間担ってきた「先端科学技術によるフロンティアの開発」という役割を、<a href="http://www.defermat.com/journal/2010/000709.php">この前のエントリーで記したように</a>、NASAが宇宙開発の最前線から一歩後退することになった現在、ひきつごうとしているように見える。

ただし、そのフロンティアは、アメリカの国土・景観をITを活用して造りかえていこうというものでその意味では「内なるフロンティア」。その担い手たるGoogleも正確にはシリコンバレーのトップバッター、先行者、という意味でだ。Google以外のハイテク企業ももちろんその「内なるフロンティア」の探検者の一人ということになる。

つまり、経済不況という要因も大きく影響しているが、オバマのアメリカは国内に向いた動きが中心になったということだ。一足飛びにアメリカの覇権が消えたなどというつもりはないが、おそらくは少しばかり成熟の道、つまり、欧州の国のように振る舞うことを始めたように思う。少なくとも内政においては。

そうした動きは、たとえば、冲方丁が『天地明察』の中で描いたように、保科正之が江戸幕府の統治の有り様を、武力による統治から文化による統治へと変転させるために、「改暦」という技術革新を用いて時代のフェーズが変わったことを人びとに知らしめようとしたことに近いと思う。スケールの大きい技術革新を媒介にして、あわせて時代が変わったことを文字どおり人びとに直観させ得心させるために。

だから、NASAのフロンティアからの後退（＝イノベーションの推進装置）と、Googleらハイテク企業のインフラへの関与は、表裏一体の出来事だと思う。Googleのブロードバンドへの進出もスマートグリッドへの進出も、こうした文脈で理解すべきだと思う。

*

NASAからGoogle(とシリコンバレーハイテク企業)へ、というのは、ぐるりと回って、東海岸的な歴史・文化から西海岸的な歴史・文化へ旋回した出来事として捉えることもできる。

それには60年代的カウンターカルチャーの話から入る必要がある。

60年代のNASAは、今日であればNSAのような存在。つまり、国家という権力が個人に覆い被さってくるような存在として捉えられていた。

だから、NASAの存在が、ある意味で、60年代のカウンターカルチャー・ムーブメント（対抗文化運動）を産み出す要因の一つだったといっていい。カウンターカルチャーがムーブメントとして継続するには、ビッグ・ブラザーの存在が必要だったから。

ちなみに、対抗運動をきっかけになって、後日アメリカ南西部に拡がった動きがニクソン→レーガン→ブッシュで体現された、アメリカの「保守革命」。つまり、（東海岸のエスタブリッシュメントへの）対抗運動自体、「保守革命」の遠因であった。

わかりやすくいうと、FDRからJFKにかけて、東海岸のBoston-NY-DCのラインで形成された、nationalなもの、アメリカ国民の統合、の「夢想」に対して、そんな東海岸主導の窮屈な統一はいらないと反旗を翻したのが、San Franciscoを中心に展開されたのがカウンターカルチャー・ムーブメント。

つまり、東海岸＝ビッグ・ブラザー、に対抗して提案されていたのがカウンターカルチャー・ムーブメント。そして、その運動が提案した「一見無軌道な生のあり方」に対して情動的反発からスタートしたのが、南部を中心に浮上した保守運動（conservatism）であった。

だから、カウンターカルチャーにしても、保守運動にしても、東海岸＝ビッグ・ブラザー＝FDR・JFK路線、に対してNoを突きつけることが原初的な動機だった。

その後の動きは、政治的には、ベトナム戦争とオイルショックに起因する財政危機によって、東海岸＝ビッグ・ブラザーが自壊し、ビッグ・ブラザーの母体がデモクラットであったが故に、政治的にはGOPの巻き返しが実現し（このあたりは二大政党制という二択からの選択に過ぎない）、80年代以降は、レーガノミクスの時代としてオバマの登場を待つまで続く。

一方のカウンターカルチャーは、政治的な運動としては低迷しながらも、その一部はテクノロジーと結びついて、PC/Webへと続く「情報革命」を用意する。

オバマの登場は、アフロアメリカン初の大統領という歴史的位置づけもさることながら、彼のシリコンバレーとの密月を考えれば、むしろ、アメリカ南西部（カリフォルニアからテキサスを含む領域）の20世紀後半の歴史的文化的蓄積が、アメリカの政治の本流になだれ込むというところが新しい。少なくともGoogleとオバマのホワイトハウスの密月はそういうことの現れ。

今回のNASAの方向転換、Googleらシリコンバレーハイテク企業の前景化もこうした文脈でとらえるべきだろう。

ついでにいえば、ブッシュ(w)がゴーを出した「星座計画で月を目指す」、というのは、国民統合的圧力をよしとしないGOP（共和党）からすると大きな矛盾。

二期目のブッシュ政権が選挙で大勝ちしたにもかかわらず、支持を失っていく背景にはこうした矛盾もあった。ニクソン並みの大きな政府を志向するものとして、ブッシュはGOP内部からも叩かれた。そして、大きな政府志向の最終形態がPaulson財務省長官とともに行った金融救済プログラム、ということになる。

だから、ここには大きな捩れがある。

ブッシュがNASAを使って再召還しようとした、JFK時代のデモクラットによる「国民統合の夢」を、現代のデモクラットの象徴であるオバマが否定した、というのは何ともいえない歴史の皮肉だ。

*

このように西海岸、あるいは、南西部の人びとが抱くアメリカに対する思いが、オバマ政権の登場以後、徐々に浮上するようになってきた。

面白いのは、上でも少し触れたが、いわば、東海岸の判断で南西部に配備されたNASA（と軍関係の施設）という存在が、その科学技術の開発力を現地に根付かせることによって、南西部の位置づけ自身を変えてしまったところ。カリフォルニアのみならず、ネバダやアリゾナまで全米で重要な役割を担う州にまでなったのは、NASAや軍施設に代表されるアメリカの“national=国民的統合”の夢に費やされた莫大な政府資金によっている。

いわば、NASAや軍施設は東海岸の贈り物のような存在として南西部に根付き、街や人びとを育んだことになる。ハイテクがなければ、そもそも砂漠や荒野であったアリゾナにフェニックスのような都会は生まれ得ない。エアコンを最大限活用しない限り大量の人びとは生活できない。それもフーバーダムによる水力発電があればこそ。

そうした開拓された人工的な自然の中で育った人びとや企業が、21世紀のアメリカのインフラ≒都市風景の基盤を更新しようというのだから。こういうところにアメリカの歴史の面白さがある。

私たちは、その面白さの反復を、今、目の当たりにしているのだ。]]>
        
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    <title>Space Shuttle 最終便、天空へ</title>
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    <published>2010-02-11T12:44:07Z</published>
    <updated>2010-02-12T06:20:25Z</updated>
    
    <summary>フロリダのケープカナベラル基地からEndeavorが打ち上げられた。スペースシャトルとしては最後の打ち上げだ。 Shuttle Blasts Off for Space Station 【New York Times： February 8, 2010】 For Human Spaceflight, Can Measured Beat Bold? 【New York Times： February...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://www.defermat.com/">
        <![CDATA[フロリダのケープカナベラル基地からEndeavorが打ち上げられた。スペースシャトルとしては最後の打ち上げだ。

<a href="http://www.nytimes.com/2010/02/09/science/space/09shuttle.html?ref=space">Shuttle Blasts Off for Space Station</a>
【New York Times： February 8, 2010】

<a href="http://www.nytimes.com/2010/02/09/science/space/09essay.html?ref=science">For Human Spaceflight, Can Measured Beat Bold?</a>
【New York Times： February 8, 2010】

<a href="http://www.nytimes.com/2010/02/09/opinion/09tue1.html?ref=opinion">A New Space Program</a>
【New York Times： February 8, 2010】

最後、というのは、オバマ政権になって科学政策が見直されたから。この政策方向転換によって、ブッシュ（W）時代に立ち上げられた「人類を再び月面に」という、アポロ計画アゲインであった“Constellation Program(「星座計画」)”は中断された。

宇宙に人を送り込むのは、これからは民間企業が行う。そして、NASAの役割は、オバマのいう“Game-changing Technology”の開発が中心になる。たとえば、宇宙空間での精密作業が行えるようなロボティックスの開発や、宇宙ステーションの稼働のためのエネルギー確保手段など。

わかりやすくいうと、民間企業が行う「宇宙ビジネス」で継続的にアメリカ企業が優位となるように、その基盤を支える技術開発を国家予算の下で行うということ。つまり、オバマ政権は、宇宙開発を産業として本格的に立ち上げる準備に入った、ということだ。アメリカでは珍しい「産業政策」が採択されたことになる。

NASAは、これ以後、宇宙という「フロンティア」を探索する最前線から一歩退き、様々な企業が宇宙進出するための支援機関、宇宙産業に奉仕する機関に様変わりする。

この方向転換は、だから、単なる予算削減、という以上の意味合いを持つ。

つまり、

宇宙開発という「夢」を希求する場所から、
粛々とイノベーションそのものを目的として遂行する場所へ。

あるいは、こういってもいいと思う。

かつてはシリコンバレーのスタータップに多数の技術を直接的・間接的に提供し、いわばシリコンバレー全体のインキュベーターの役割を果たしたNASAが、自分の育てた子供たちであるシリコンバレー＝ハイテク産業に追い越され、時代状況の違いから、むしろ、そうした外部のハイテク産業の「イノベーション」に直接奉仕する立場になった、と。

フロンティアの探索から、イノベーション自身へ。
夢から産業へ。
科学から工学へ。

NASAは大きく様変わりしようとしている。
それは、同時に、私たちが長らく科学に求めてきた「夢」が一端リセットされることでもある。

*

スペースシャトルといって思い出されるのは、打ち上げ直後皆が見守る中、爆破してしまったチャレンジャー号。

あの映像は衝撃だった。今まさに成層圏を突破し宇宙に飛び立たんとするその瞬間に、チャンレンジャー号は無残にも爆破してしまったので。その瞬間、アメリカ人の夢は悪夢へと一変した。

そう、シャトルが宇宙に飛び立つとき、私たち（それはアメリカ人のみならず中継映像でその様子を見る私たちのような日本人も含むのだが）は、宇宙というフロンティアへとつながる夢、ロマンを感じてきた。

そして、この「フロンティアへ乗り出す夢」はアメリカ史について回る夢でもある。

端的にいって、NASAは20世紀におけるアメリカの夢を生み出す装置として機能した。

その夢とは、アメリカ人としての「一体感」。

*

しばしばNASA、あるいは、アメリカ航空宇宙局、といってすませてしまっているけど、正式名称は

the National Aeronautics and Space Administration

で、“National”が付けられている。

この“National”という言葉はアメリカでは特別なニュアンスを持つ。単純に「国立」といってすむものではない。

アメリカの場合、政府機関にはFederalと呼ばれるものが多い。おおむね、建国の頃からある機関は、federalが冠に付けられている。それは、stateとの対比の上からのこと。たとえばFBI（Federal Bureau of Investigation）。管轄として州をまたぐ犯罪を扱う。

FederalとStateの区別はアメリカでは厳密で、あくまでも、州の連合体（United States）がアメリカだ（of America）、ということになる。

一方、nationalには「連邦か州かを問わずアメリカにいる人みんなのために」というニュアンスが強い。だから、冠としてつく対象は、軍関係や、図書館・博物館などのアーカイブ系、あるいは、学術集団、など、「アメリカ市民に対する普遍性」が必要な機関が多い。

そして、それは時期的には、アメリカで「連邦か、州か」という対立軸が未曾有の経済不況によって強制的に無効化され、「大きな政府」が当たり前になるFDR以降、さかんに利用されるようになる。

とりわけ、第二次大戦を通じてアメリカが国際的に台頭し、ソ連との対立が冷戦として明らかになる時期（1940～60年代）に設立された機関で多用されるようになる。

NASAもその一つ。

（その他にはNSA（National Security Agency：通常「国家安全保障局」と呼ばれる）やNSF（National Science Foundation）など。）

Nationalが負う「国民的統合」やそれによる「国民国家」という意味合いが、第二次大戦後のアメリカでは、建国以来、ようやく実体的意味を持つものになった。

だから、ロケット開発からミサイル開発に連なる研究を、ソ連との間の「宇宙のフロンティア争奪戦」へと転調させることで、軍事的覇権と国民統合がセットになり、いわば「統一アメリカ人の夢」としてNASAの活動は徐々に象徴的意味合いの負荷が重くなっていく。

州と連邦の対立を越えて、アメリカ人として一体となる、そういう意味が“national”には込められている。

NASAはその急先鋒だったわけだ。宇宙にアメリカ人を、それもソ連に先駆けて、というミッションからスタートした時点で、「国民統合という夢想」を背負ってスタートしたといってよい。

そして、宇宙にフロンティアを求めることで、アメリカの歴史に色濃く残るマニフェスト・デスティニイを、他の国家との摩擦の少ない、「未踏の地」としての宇宙で再度求めるようになった。

だから、はなからnation-stateとして自律していた諸国が連合を作るEUをUSAになぞらえてUSEと呼ぶのは全く間違っている。

アメリカは、いまだに「国民的統合の夢」を見続けている、一種の領邦国家なのだ。

*

従って、今回の路線変更の歴史的意義は想像以上に大きい。

国家＝USAが率先してフロンティアを開く、というミッションが消えた。

今後、宇宙に踏み出すのは、民間企業とのコラボレーションとなる。

そして、NASAは、そうした宇宙空間のような、特殊な環境の下で、人類（というかさしあたってはアメリカ人）がどのように活動できるか、そのための各種支援のための技術が開発されることが優先される。それが、ロボティックスであり、代替エネルギー手段の開発、だ。

裏返すと、宇宙、少なくとも、地球の上空から月にかけては、もはやフロンティアではなく「開拓すべき空間」として認識されたことになる。その開拓・開墾に必要なものから技術開発が行われていく。

つまりは、イノベーションに屈した。

イノベーションを自己目的化し、それを国が支援していくための枠組みとしてNASAは、新にその存在を再定義することになる。

つまり、以前は、NASAの研究開発成果のスピンオフが、シリコンバレーのハイテク企業を誕生させていったのだとすれば、今後は、むしろ、NASAはそうしたシリコンバレーの夢を回し続けるための、いわば産業利用を自己目的にした機関になる。その時点で、シリコンバレーとの向き合い方が逆転する。

NASAはイノベーションが自走するためのエンジンとなる。


******

補足：

「アメリカはいまだ国民国家ではない。」

これは、それほど奇異な発想ではないと感じている。

たとえば、リチャード・ローティの『アメリカ未完のプロジェクト』。原題は“Achieving Our Country”であって、Nationという言葉は巧妙に回避されている。

ローティは、この本の中でアメリカの文化的断絶を乗り越えて、統合を呼びかけているのだが、その統合は、国民的一体感というよりは、ローティ特有の、互いに価値観がバラバラであっても公の場では融通を付け合おうという気持ちを互いに共有することで成立するもの。

だから、多分、nation-stateという具合に、nationとstateが自明のように並記される事態にアメリカはいまだにない。むしろ、nationという統合感をstateに直結させることをできるだけ忌避する力が常に働いている。その結果、「バラバラの中の統合」、という社会編成が貫徹される。

その一方で、そのバラバラ感に対して、個々のアメリカ人（国民ではなく市民）が実存のレベルで正気を保ち続けるために、伝統的な宗教や、新宗教、もう少し緩い感じのスピリチュアリティが遍在している。

このあたりは、また別の機会にもう少し掘り下げてみたい。]]>
        
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    <title>忘れ去られたMicrosoft？</title>
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    <published>2010-02-05T14:34:15Z</published>
    <updated>2010-02-05T14:38:30Z</updated>
    
    <summary>Smartphoneやe-bookが話題の中心になり、AppleやAmazon、Googleらの帰趨が取り沙汰されているときに、すっかり蚊帳の外に置かれてしまった感のあるMicrosoft。その影の薄さについて、元MicrosoftのエンジニアであったDick Brass氏が分析した寄稿。 Microsoft’s Creative Destruction 【New York Times： Febr...</summary>
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        <![CDATA[Smartphoneやe-bookが話題の中心になり、AppleやAmazon、Googleらの帰趨が取り沙汰されているときに、すっかり蚊帳の外に置かれてしまった感のあるMicrosoft。その影の薄さについて、元MicrosoftのエンジニアであったDick Brass氏が分析した寄稿。

<a href="http://www.nytimes.com/2010/02/04/opinion/04brass.html?ref=opinion">Microsoft’s Creative Destruction</a>
【New York Times： February 4, 2010】

よく読むと、OBの一人としてMicrosoftの行く末を案じているのだが、それが故に、かなり辛辣なMicrosoft批判になっている。

一言でいうと、帝国と呼ばれるMicrosoftは、創業期のラッキーに支えられただけの会社似すぎない、とのこと。創業期のラッキーというのは、WindowsとOfficeの成功。

それ以後のプロジェクトは何をしても、社内的には、WindowsチームとOfficeチームの影響で頓挫してしまう。典型的な大企業病。GMのようなものだというのだから事態は深刻だ。

公平のため記すと、BrassはTablet PCの開発担当者であったということ。そして、彼が去った後も続けられたTablet PCの開発部隊は、AppleがTablet型コンピュータをリリースしてくるのではないか予想されていたにもかかわらず、解散させられた。

<a href="http://www.defermat.com/journal/2010/000707.php">昨日のZittrainの寄稿</a>もそうだけど、iPadはPCというマシンに引導を渡す役目を担うだろういう認識は強い。Brassもそうで、それはよくも悪くもMicrosoftはソフトウェアに注力し、ハードウェアの部分で失敗してきたから、と。

ただ、新たなマシンの提案には、ハードウェアを含めたトータルのシステムを提案する必要があり、その点で、いまだにMacを作り続けてきたAppleとは、市場というか、世界の見え方が異なっていたのではないかと指摘している。

Microsoftが今後復活するのかどうかについてはopen question（何ともいえない）ということ。今までまともにinnovationを産み出す仕組みを社内に作ろうとしてこなかったのが新商品の開発で成功を逃してきたことの原因だというのだから、この点を改善しない限り、先行きは不透明なままだろう。

もっともAppleがマーケットリーダーにまで復調するとは、10年前はわからなかった。Microsoftに同様のことが起こらないとは言い切れない。さしあたっては、Bingを梃子にしてGoogleの対抗馬としての地位を築けるのかどうかが鍵なのだろう。

世界中でメディア・コンテント商品のディストリビューターになろうとするApple。シリコンバレーを中心と開発されるハイテクの商業化全般にコミットするGoogle。世界向けのECサイトへの脱皮しようとするAmazon。現在話題になっている企業には、わかりやすい成長の夢、シナリオがある。はたして、Microsoftは同種の、しかしMicrosoftにしか設定できない「夢」を提示することができるのだろうか。]]>
        
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    <title>Zittrain, 「インターネットの自由」からiPadにかみつく。</title>
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    <published>2010-02-04T14:59:44Z</published>
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    <summary>ジョナサン・ジットレイン（Jonathan Zittrain）がiPadについて「自由」という観点から論評している。 A fight over freedom at Apple’s core 【Financial Times： February 3, 2010】 ジットレインは『インターネットが消える日』の著者で、現在はHarvard Law Schoolの教授。インターネットにおける「自由」につ...</summary>
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        <![CDATA[ジョナサン・ジットレイン（Jonathan Zittrain）がiPadについて「自由」という観点から論評している。

<a href="http://www.ft.com/cms/s/2/fcabc720-10fb-11df-9a9e-00144feab49a.html">A fight over freedom at Apple’s core</a>
【Financial Times： February 3, 2010】

ジットレインは『インターネットが消える日』の著者で、現在はHarvard Law Schoolの教授。インターネットにおける「自由」について、その維持がインターネットの成長にとっても人類にとっても不可欠である、という観点から一貫して論陣をはってきた。

上の論考の主旨も基本的にはその路線。

AppleのJobsは、Apple IIで自ら切り開いたPersonal computerという商品カテゴリーを、iPadで終演させようとしている、と見た上で、iPadが、Apple IIのように外部のソフトウェア会社が自由にソフトウェアを書くことができる環境を選択するのか、それとも、iPhoneのようにApp Storeへの登録過程を通じて、実質的にiPhone上のアプリケーションの生殺与奪の権利を握るのか、どちらを選択するのか、と問うている。

もちろん、インターネットの自由を、その「生成性（generativity）」にとって不可欠と考えるジットレインは、前者、すなわち、Apple IIの時代に戻ることを希望している。

生成性というのは、ユーザーが自由自在にインターネット上にある道具≒各種ソフトウェアを利用できることで可能になる。いわば「読み書きそろばん」のようなもの。誰もが文字や言語を使うことができる（それは習得するための学習機会の提供も含む）ことで、誰もが、文章を書いたり、口頭で発言できたり、という具合に、表現の機会をもつことができる。

この観点から、ジットレインは、iPhoneの管理志向をよしとしていない。そして、iPadがiPhoneのようになることも望まない。

*

だが、iPadの場合は、もしかしたらApp Storeのような管理権限をもつことが、最終的には生成性をむしろもたらすことにつながるのではないかとも思っている。つまり、iPadで監督権限を持つことは戦略的には必要だということ。

というのも、iPadの場合、その利用形態の相当部分を、新聞、雑誌、書籍、そして、テレビ、映画、などの、従来からあるメディア・コンテントの視聴に当てられることになりそうだから。

現行のメディア・コンテントを提供する企業は、おおむね老舗企業。つまり、業界構造は古いし、プレイヤーも固定されている。そうした企業に対して、完全に自由な状況を与えてしまったならば、従来のメディア・コンテント企業の論理のまま、つまり、供給者側のビジネスロジックがそのまま移転されることになってしまうだろう。

だから、Appleが仲介者としての権限（ジットレインはgatekeeperと呼んでいる）をもつことで、Appleはユーザー側の利益を代弁する役割を演じることができるかもしれない。ちょうどAmazonがKindleで出版業界に取った立場のように。

もちろん、AmazonやAppleの態度は、従来のメディア・コンテント企業からすると不愉快きわまりないことだろう。なぜなら、プライシングという聖域に外部の企業が圧力をかけてくるわけだから。

けれども、もしも、メディア・コンテント企業がそのプライシングについて柔軟な対応をすることをユーザーの意見を取り込みながら行うような回路をもっていさえすれば、わざわざAmazonやAppleにユーザーの代理人の立場を取らせることはなかったのではないかと思う。

だから、ここで大事なことは、従来のメディア・コンテント企業は、少なくともマーケティングセクションの担当者の間では、ユーザーの意向を、コンテントの企画からプライシングまできちんと吸い上げる回路を用意することだ。そうすることで、メディア・コンテントの消費というのが、実は、制作者と鑑賞者で成立する一種の共同体から成立していることがわかると思う。

このシンプルな事実にメディア・コンテント企業の経営に携わる人たちが既に気づいているならば、ジットレインのいうように、AppleはiPadをApple II同様、完全オープンにすべきだろう。

だが、実際はそうではない。しばしば本が（大量に売れさえすれば）お札を刷っているのと同じようなものだ、と言われるのは、裏返すと購入者＝読者に対して還元する機会を見誤っている、ともいえる（実際は、そこでの過大な収益が、売れない部分の収益を補填する役割を担うわけだが。この点は映画も同じこと）。

だから、ジットレインの期待する「自由なインターネット」を実現するためにこそ、むしろ、gatekeeperが寡占の進んだ産業に対峙する「自由」を認めてやってもいいのだと思う。

とりわけ、iPadについては、Appleは自前のCPUチップを精算する選択までしたわけだから、いわば不退転の決意を対外的に示したことになる。その不退転の決意は、Appleのステイクホルダーたちにきちんと伝わる。Appleが本気であることが伝われば、普及に対しては本気になる。

ジットレインは、同じテキスト列であっても、ソフトウェアのコードを書くことと、本を書くことあるいは映像を作ること、とが、ウェブ化に向かうにあたって当初のコンディションが全く異なることに気づいてもいいと思う。それこそ、iPadが首尾良く普及した暁に、そうした「自由」に関する問題点を再度指摘すればいい。

求める自由は同じかもしれないか、そこへのアプローチは、「何の自由」の「何」の部分に大きく依存する。その意味で、iPadを巡るAppleとメディア・コンテント企業とのやりとりが、しばらくは注目すべきことだろう。iPodという前例がある以上、当の従来メディア自身が、この話題に多大な関心を示すのは想像に難くない。

iPadは、インターネットの自由について具体的に思考を巡らす機会を与えてくれることになる。]]>
        
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