垂直統合型メディアコングロマリットの死去(享年二十歳)
大げさなタイトルですが、これは以下の記事の中の表現を流用させてもらいました。
Big Media, R.I.P.
【Newsweek: May 5, 2009】
(ちなみに、タイトル内の“R.I.P.”は、Rest In Peaceの略で、意味は「魂よ安らかに眠りたまえ」という感じ。同時に、rippingの“rip(=はぎとる、もぎとる)”、つまり、Big Media(=メディアコングロマリット)から不要となった企業をスピンオフする様を、「もぎとる=rip」という言葉で表していると思われる。)
Time Warnerが、ようやく垂直統合型の企業形態から、コンテント企業(Purebred content company)に特化する戦略に舵を切ったことを伝えたもの。この記事の中では、4月29日にSECに計画を報告した、AOLのスピンオフによって、メディアコングロマリットからの撤退が決定づけられたとしている。
「享年二十歳」というのは、1989年から2009年までの二十年間のこと。1989年に、Time Inc.とWarner Brothersが合併してから、上述のAOLスピンオフを発表した2009年まで、ということ。
Time Warnerは、既にWarner MusicとTime Warner Cableをスピンオフしていたので、AOLの分離によって、インターネット(というかブロードバンド)のディストリビューション部分を企業グループからは外すことになる。Time Warner は他のメディアコングロマリットと違って地上波ネットワークでのプレゼンスがないので、Purebred content company(純粋種のコンテント企業)としては、Filmed entertainment(映像系エンタメ)とnews brandに特化することになる。前者は、Warner Brothers Studio(映画、テレビ番組製作)、HBO、TNT(ケーブルチャンネル)、後者は、CNNとTIMEが代表的なブランドとなる。
(もっとも、後者のnews brandについては、news business自体が逆風に晒されていることを考えると、ブランド認知の高さだけでやり過ごせるほど楽観的な状況にはない)。
記事の中でも触れているけど、そもそも1989年にコングロマリット化に舵を切るというのが、時代感覚からすると少しずれていた、といえる。アメリカでは、60年代から70年代にかけて、一般企業のコングロマリット化が進んだが、それは戦略的というよりは経営者の意向による、単純な「巨大化願望」の発露であることがほとんどだった(当時は、少数株主の保護などがなかったので、大株主の意向、それもたいていの場合は、創立者=オーナー一族の意向で、好きなことがやれていた)。それが、70年代後半のインフレ(というかスタグフレーション)によって、企業の業績が悪くなり、リストラクチャリングが必要になった。そこで登場したのが、手法としてのLBO(Leveraged buy-out)であり、そうして利益を生み出すBuy-out fundだった。
だから、普通の企業からすれば、80年代はコングロマリット解体の時代だった。にもかかわらず、メディア企業の間では、コングロマリット化の動きが80年代後半に顕著になった。これは、技術革新(80年代はケーブルが成長した時代)や規制緩和(レーガンの登場による自由化路線)が後押ししたからだった。90年代に入ってから、冷戦崩壊によるインターネットの民間開放、情報スーパーハイウェイ構想、パソコンの低廉化、によって、こうした物理的な情報基盤の整備の上で実際に収益を上げる存在として、メディア産業が注目を集めた。
完全自由化が図られるような業界ではなかったことがむしろ投資銀行にとっては魅力的で、メディアやテレコムに関する規制が変わるたびに、新たな業界勢力地図をつくりかえるために、M&Aが試みられた。その結果、Time Warner, Disney, Viacom, NBC Universal, News Corp., などのように、地上波テレビ、ケーブル、衛星、ラジオ、新聞、雑誌、など従来は異種だった業界を巻き込みながら、のグループ化が図られていった。そして、後日、インターネット業界がこれに加わった。
コングロマリット化、とりわけ垂直統合型のコングロマリット化が正当化された理由はいくつかある。
たとえば、インターネット、ブロードバンド、DVD(さらにはブルーレイディスク)のように、主にディストリビューション手段の技術革新が現在進行形で進んでいるところで、そうした技術系企業と渡り合うためには、コンテントを中心にディストリビューションまで一気通巻にビジネスプランを練ることで、インフラ技術(もしくはプラットフォーム技術)の標準化競争で勝つ(あるいは勝ち馬に乗る)ことを目指す上で、コングロマリット化が有効だったこと。あるいは、コンテントビジネスに、博打的性格があり、新たなメディアビジネスを生み出す際のファイナンシングの部分で、業界のインナーが中核にいないとダメだった、ということ。
裏返すと、インターネットの普及が進み、とりわけ、Web 2.oと呼ばれた時代以後のように、基本的にはソフトウェア中心で技術革新が行われるようになったり、ウェブの上での集金機能を提供するプラットフォーム企業(要するにGoogle)が登場するにつれて、垂直統合型であり続けることの意義は少しずつ低下していった。
もっといえば、コングロマリットといっても、収益の間でシナジーがあるわけではなく、端的にいって、それぞれの部門が別々のビジネスモデル、収益機会にあずかっている、ということがほとんどだった。テレビネットワークを持っているグループは、テレビネットワークからの広告収益がやはりいいし、映画部門は、映画館での興行収益がさがるなか、むしろDVDを通じたセル・レンタルビジネスがドル箱になったとか(だから、あらかた自社の映画コンテントのDVD化が終わってしまうと成長性が鈍化してしまい、ブルーレイのような新規格が必要だった)、HBOのようなペイチャンネルでは地上波の表現コードに縛られない表現によって新たなドラマジャンル、ドラマシナリオを開発するなど、・・・、結局、個別のセクションが個別に市場への最適化を図ることが横行し、要するに、そうした別々の企業の寄せ集めに過ぎなくなっていた。そうした中、Time WarnerではとりわけAOLがずいぶん前からお荷物扱いになっていた。
だから、ブロードバンド化による本格的なウェブのマルチメディア化、と、足下の景気後退、によって、いよいよもって、こうした問題点に終止符をうたなければならなくなった。それが、上の記事が伝えていること。
記事の中では、コングロマリット化の功罪として、喧伝された効果のうち「成功が疑わしいもの」と「一応成功したもの」を指摘している。
成功が疑わしいもの:
● Moguldom
マードックやサムナー・レッドストーンのような、オーナー的な“Mogul(もともとはモンゴルの王様の意味)”による王国経営が意思決定を早くするはずだったが、単なるセレブに落ちてしまった。
● Synergy
新聞とテレビの間で報道機能を統一化しようというのは、うまくいかなかった。
(もっとも、これは、最初からウェブからスタートした企業だとアウトレットに合わせた情報提供をしていたりするので、単純に、新聞とテレビの間の、企業文化の間に、埋められないくらいの溝が横たわっていたということだと思う)。
●Diminished Voices
新聞やテレビが同一グループ化することで、報道によって顕わにされる「市民の声の多様性」を減じてしまった。
● EBITDA
これは説明するとテクニカルに過ぎるので、ここでは軽く。EBITDA(減価償却分を組み込んてキャッシュフローと見なす)を使った企業価値評価をすることで、株価上昇にも貢献する、という話。インフラ企業であるケーブル会社の合併促進に使われた(合併のための資金を借り入れるための一つのテクニックだった)。
そして、数少ないコングロマリットによる成功部分としては:
● Wired Broadband
ケーブル会社が、ブロードバンドに転ずることができたこと。
(でも、それをスピンオフしてしまうわけだから、この場合の成功は、当該企業にとっての成功というよりは、社会もしくは連邦政府にとっての成功、ということだと思う)
● DVD
(既に触れたように)映画ビジネスが、DVDを通じて新たな収益機会を得られたこと。
以上。
最後に、とはいえ、Moguldomのところは、この業界が、とりわけ、コンテントに関わる業界が、なんだかんだいって、「個人の情念」に成功が委ねられているところが大きいことも確かで、そのため、「我の強い個人」が業界を牽引する側面も否定できない。そもそもハリウッドの誕生がそうだし、近いところでは、CGアニメーションをドル箱映画に変えたPixarのSteve Jobsとか。だから、業界の歴史が、大なり小なり中核となった人物史になりがち。こうした特徴が今後どうなるか、興味深くはある。
そういう意味では、たとえば、David Geffen(DreamWorks SKGのGの人。ちなみに、Sはスピルバーグ、Kはカッツェンバーグ)が、New York Timesを買収しようとしているという話はメディア業界における「個人の情念」を表す、直近のいい例なのだが、さすがに長くなったので、別のエントリーででも記したいと思う。