FERMAT communications visionary

July 03, 2009

op-ed / commentary


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junichi ikeda

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新FCC委員長と「消失したフロンティア」

July 03, 2009

op-ed / commentary


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junichi ikeda

昨日のエントリーは少し舌足らずなところがあったかもしれないと思っていたら、それを補うのにちょうどいい記事がBusinessWeekでアップされていた。

A New Signal from the FCC
【BusinessWeek: July 2, 2009】

先日上院の承認を通過してはれてFCC chairmanとなったJulius Genachowski氏。
彼については以前のエントリー(ここここここ)でも扱っているので、経歴等についてはそちらも参考にして欲しいが、上の記事で言うとおり:

●弁護士資格所有
●FCC勤務経験あり
●Barry Diller(メディア業界の重鎮の一人)のスタッフとして立ち上がり期のe-commerce事業に参画
●Venture Capitalistの実務経験

メディア、というか、広くコミュニケーションズ産業において、法律、政策過程、ビジネス起業、ファイナンス、の知識と実務経験の両方を併せ持つため、Genachowski氏のFCC Chairman就任には、監督対象となる、テレビ、ケーブル、通信、衛星放送、などの業界を中心に好意的に受け止められている。

実際、コミュニケーションズ産業は、政治と経済の土台に深く根ざしている、つまり、社会システムの基盤としてのデモクラシー(政治)とキャピタリズム(経済・金融)を支えるものとして、社会体制に埋め込まれた存在であり、そのため、おそらくはどこまで行っても“competition under regulation(規制下での競争)”は免れない。それもあって、その未来を占い先導するには、Genachowski氏のような、関係者各々の立場ならびにその利害に通暁した人物こそがふさわしい。

そうしたバックグラウンドの下で、記事が指摘しているとおり、Genachowski氏の掲げるアジェンダは:

●ブロードバンド網の配備
●ネット・ニュートラリティの確保
●メディア(事業)の多様性の確保

世界でも遅れ気味になっているブロードバンド網の配備を促進すること。インターネット上の情報の流通が自由に行えるよう、情報の中身・使途に対してインターネット事業者は差別を行わないこと。多様な政治的言論が確保できるよう、メディア内で発信される言説が、マイノリティの発言を排除しないように、多様性の確保に努めること。

この他に、メディア企業間の所有関係のルールについても検討される予定だ。

このようにGenachowski氏が取り組むべき課題は多い。

*

とはいえ、確かに課題は多いのだが、しかし、ほとんどのものが争点としては既にクリアになっているもので、いわば、あとは「決めるだけ」。そして、その決め方も、上述のように、この業界が永遠に“competition under regulation(規制下での競争)”であり続ける可能性の高い業界であるため、必然的に、「その決め方」は当事者の間での「調停」にならざるを得ない(この点で、Genachowski氏のバックグランドはすこぶる有用)。

ブロードバンドの配備については、発表されたとおり民間だけでは配備できない地域(“underserved area”)に助成金をつけて配備を進める(シスコやアルカテルのようなシステム機器会社はそれによる特需が発生しこの不況下でも多少は潤う)。

ネット・ニュートラリティは、もとをたどれば、電話会社に対するコモンキャリアのルールに行き当たる(利用を希望するものを恣意的に選択してはいけない。その結果、通信の内容についてはキャリアは免責される、など)。そして、このコモンキャリアのルール自体、それ以前の物流ならびに物流手段に範をとっている(鉄道や駅場所、旅客、その荷物)。

メディアの多様性の確保は、できるだけマイノリティに対して門戸を開く。日本にいるとわかりにくいが、地上波の三大ネットワーク(NBC、CBS、ABC)はNYに本拠地がある分、NYや東部の文化が中心だった。それに対して、ケーブルが登場することで、南部アトランタのCNNや、BETのようなアフロ・アメリカン向け専門チャンネルが登場した。コミュニケーションズ産業においては、複数の企業間による競争は、消費者便益を向上させるという単なる経済的理由だけではなく、「発言者の多様性」「発言内容の多様性」を維持するという政治的理由からも肯定される。

メディア所有規制は、上のメディア多様性の確保という命題のいわば「系」。ただし、メディア所有規制は、M&Aという実務を通じて、メディアコングロマリットという企業集団への規制につながるため、もっともロビーイングが激しいところ。経済的合理性(経営合理化)と政治的必然性(多様性確保)がせめぎ合うところなので、これも「調停」しかない。

このように、課題は確かに大変なのだが、やることは決まっている。しかも、しばらくの間は、ホワイトハウスと連邦議会の双方がデモクラット優位であるため、両者の間で板挟みにあうこともない。補足しておくと、independent commissionであるFCCは、他の省庁(たとえば国務省とか財務省とか)と異なり、直接の監督権限は議会にある。しかし、トップの人事(FCCの委員と委員長)の指名権は大統領にある。そのため、ホワイトハウスと議会が異なる政党によって運営されるときは、FCCはその板挟みに遭い、しばしば機能低下に陥る(加えて、裁判所によるFCCルールの転覆や、各州の公益事業委員会による突き上げ、もある)。

政治的に板ばさみにあうこともない、実務経験から関係者の受けも悪くない、課題は既にテーブルの上にあって一目瞭然、であれば、後は、黙々とその課題をこなしていくだけである(イレギュラーがあるとすれば、ジョン・ケリー上院議員が気にかけている「新聞の救済」関連ぐらいか。絡め手として、保守的なロバーツ最高裁から制定したルールを覆される可能性はあるが、裁判所は訴訟が起こされない限り動けないという制約がある)。

*

このように、「黙々と」「淡々と」実務をこなしていけばいい。

たとえばみれば、19世紀のアメリカで“manifest destiny”といって、西部へ領土拡大をしていく運動があったが、その運動が、西部にいきついて、太平洋を目にしてしまったようなものか。

アメリカは、19世紀の前半に、北米における今日の領土をほぼ確定し、残りの19世紀後半で、その領土をいかに組織化し、国としていかにそれらの国土を飼い慣らしていくかに腐心した。アメリカで産業革命が起こったのもその頃。ロックフェラーやカーネギーなどの産業富豪が出てきたのもその頃。アメリカが、北米を飛び出して、文字通り「海外」への拡大に乗り出すのは、ほぼ20世紀になってから。だから、19世紀の後半50年は、イギリス経由の大陸資本の導入、国内においては東部資本の辺境地区への投資、とよって、ある意味「黙々と」「淡々と」「粛々と」国内経済の拡大に勤しんでいた。

それと同じように、ITやデジタルの領域は、過去15年ほどの成長過程、“manifest destiny”の中で、仮想的な「太平洋岸」に行き着いてしまい、あとは、この枠の中で、いかにして自分たちに有益な世界を彫啄していくか、というフェーズにある。

その意味では、デジタルやITにおける「フロンティア」は、一旦消失した、といっていい。

誤解されかねない気がするので急いで補足するが、だからといって、この業界に成長がないわけではない。むしろ、経済的な成長ポテンシャルは大きい。上で書いたように、北米の領土確定がなされた後の19世紀後半のアメリカは、領土拡張に費やしていたエネルギーや熱意を領域内の発展に向け、国力(という集合的な経済力)を蓄え、20世紀の覇権国への道を用意した(19世紀初頭においては、銀山の存在から、スペイン領だったメキシコの方が経済的に力があった、ということを参考までに付記しておく)。

ただ、単純に、フロンティア感、「夢」を「夢」として語る感覚が、デジタルやITの世界で消失した、という感じだ。

あるいは、こういってもいいのかもしれない。

シカゴ学派の始祖の一人であるFrank Knightが提唱した、riskとuncertaintyの違い。riskは確率計算が可能な「不確定性」、uncertaintyは確率計算が不可能な「不確実性」。riskは「事前に想定可能」な不確実さ、uncertaintyは「皆目見当が付かない」不確実さ。

これに倣えば、今のデジタルやITの世界は、riskがおおむね支配する世界で、uncertaintyには至らない、という感じだろうか。

もちろん、今回のサブプライム危機は、システミックリスクの領域で、いわばrisk想定可能と思っていた世界に、uncertaintyが潜んでいたということだから、もちろん二律背反のように捉えることはできないのだけれど。

それでも、実感としては、riskとして評定可能な、フロンティアが消失した感は拭えない。最近、提唱されるビジネスモデルにしても既視感を伴うものが多いからだ。

たとえば、cloud computing。これはコンセプト自体は、創業時のSUNが提唱していた“network is computer.”が、現実化しているに過ぎないと感じる。それを誰がどこでどのような機器を通じて提供するか、というのは、実装における仕様の決定と大差ない。thin clientやdumb computerもその変奏にすぎない。

たとえば、i-PhoneやG-Phoneのようなモバイル・ガジェット。あるいは、ユビキタス・コンピューティング。そこで実現されるサービスは、一昔前、MITのネグロポンテがまとめ上げたサービスの現実化であったりする。

*

ITやデジタルがこういう既視感で溢れていることに比べれば、今、オバマが注力している、エネルギーやヘルスケアの世界には、フロンティアが存在する。いや、むしろ、「フロンティア」は見果てぬ世界であるがゆえに人々の夢や欲を喚起するのだと考えれば、オバマたちは、既にある程度まで先が見えたデジタルやITに代わって、エネルギーやヘルスケアの世界で、「フロンティア」の神話を創ろうとしていると解釈する方が適切なのだろう。ちょうど、ゴアが「情報スーパーハイウェイ」を提唱することで、当時のカリフォルニアのハッカーたちがサイバースペースにフロンティアを見いだしたように。

人々を動かすには、一定の「夢」や「神話」が必要になる。
もっともこれを「踊らされる」と取るか、「波に乗る」と取るかは、私たちに委ねられるのだけれど。

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