FERMAT communications visionary

July 20, 2009

op-ed / commentary


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junichi ikeda

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「テレビも広告も電話もTwitterもいらない!?」 15歳イギリス人高校生のモルガンスタンレー・レポートの反響

July 20, 2009

op-ed / commentary


author
junichi ikeda

先週、ロンドンのモルガンスタンレーが発行したメディア・レポートが、メディア企業のトップや投資家の間で話題を呼んでいる。

Intern in the News: Matthew Robson
【Financial Times: July 17, 2009】

Note by 'teenage scribbler' causes sensation
【Financial Times: July 10, 2009】

件のレポートは、ロンドンのモルガンスタンレーオフィスにインターンに来ていた15歳の高校生、Matthew Robson(以下、Matthew君)がまとめた、彼を含む同級生のメディア接触の現状についてのレポート。

以下、簡単にその内容に触れるが、先に言ってしまうと、Matthew君がまとめた内容は、「デジタルチャイルド」とか「デジタルジェネレーション」という表現で、「生まれた時にはインターネットやゲームやその他もろもろのデジタルガジェットが既にあって、その中でそれらを当然の環境のようにして育った子供たち」を形容する際に必ず出てくるような内容で、それ自体でびっくりするような記述はない。「ケータイ・ゼロ円」が普通になっている日本人からすれば当たり前じゃないか、と思う内容ばかり。

そうすると、むしろ気になるのは、Matthew君のレポートを「衝撃を持って受け止めてしまった」ロンドンはシティの、モルガンスタンレー関係者ならびにそのレポート読者(投資家やメディア企業関係者)、つまり、投資サークルの方、ということになる。

*

FTによると、Matthew君のレポートが主に記したことは、

●今年話題を呼んでいるTwitterだが、高校生には接続料金のコストがかかりすぎるので、実際には使わない(非常に価格コンシャス)。

●テレビを見る時間は減っている。見るものは選択的(スポーツなど)。他にすることが増えて、テレビにさく時間は減っている。

●新聞は日常的には読まない。テキストを読む場合、印刷物よりもオンラインの方がなじむ。

●音楽視聴については、CDは買わない。基本はネット利用だが、広告があるラジオサイトよりも、広告のないサイトの方を好む。音楽にお金を支払うのを好まない。

●オンライン、オフラインを問わず、広告の存在は、関心のあるコンテントの視聴を邪魔するもので鬱陶しいものと捉えている。

●友人間のコミュニケーションについては、電話を使うよりも、オンライン型ゲーム(だから専用端末でもよい)に装備されたチャットを利用することが多い。

など。

要するに:

「いわゆる伝統的なマス4媒体(テレビ、ラジオ、新聞、雑誌)にはあまり接触しない」、

「かわりにデジタルメディア、インターネット、を利用している」、

「その結果、マス4媒体ととともに様式化した、従来型の広告をノイズととらえる傾向がある」、

「とはいえ、コストがかかるものは使いたくない」。


好意的に捉えれば、Matthew君のいうことは、「デジタルであること」や「常時接続であること」「インタラクション/コミュニケーションがあること」など、新しいメディアの「物理的特徴」ないし「技術的仕様(スペック)」が示唆する、今までとは異なる「メディアとの関わり方」を明らかにしている。今まで「可能性」として語られていたことが「現実」になったと納得できる内容でもあるし、近未来の方向を含意するモメンタムを示しているようにも読める。

とはいえ、「無料がいい」、「広告は邪魔」、という件は、よくもわるくも、世知に長けてない子供(若者)のいうことで、経済学的に考えれば「タダのものなどない」というのが、ビジネスマンなら誰もが知っている世の中の真理だ、と軽くツッコミを入れたくなる。

*

それでも、このレポートが好意的に、ロンドンの投資家サークルで受け入れられたのは、要するに、若者の「メディア接触」状況について率直に語ってくれた、という事実の方にあるのだろう。

Matthew君のレポートには、投資銀行のレポートでは必須要件になっている数字的裏付けが全くない。単なるグループインタビューのまとめ、のような体裁。

にもかかわらず、ロンドンはシティで、受け入れられた。

とすると、これは、むしろ、ロンドンの投資家サークルが今まで欲してはいたが得られず「ジリジリ」していたところに、ポン!とタイミングよく出てきた言説だからこそ食いついてしまった、と捉える方がいいのだろう。

つまり、アナリストの側からすれば、「書きたくても書けなかったこと」。
投資家たち(とメディア関係者)からすれば、「読みたくても読めなかったこと」。

その間隙を衝いて供されたのが、Matther君の語る「赤裸々(?)」なメディア利用の報告だった、ということなのだろう。

要するに、「王様は裸だよ」と言い放った子供のようなもの。

*

アナリストが「書きたくても書けなかった」のは、数字的裏付けのない「未来」のことを語るのは彼らにとっては極めて困難なことだから。

一般的にいって、金融アナリストは、最も保守的な言説を習い性として書かざるを得ない人たちだ(ロンドンのことはよくわからないが、東京とNYについては経験的にもおおむねそうだと思う)。彼らが語る未来は基本的に「外挿」できる未来。過去のデータをグラフとして表した後、その事実から、適当な近似曲線を選択して、計量化できる「未来」を数字化する。

ただ、こうした姿勢は、計測された情報が多い産業、一次産業や二次産業のようなマクロ需要が政府計画も含めて読みやすい産業、では有用だが(なぜなら、生産キャパシティが予測上限を決めるので、ミクロの数字を積み上げる努力とそれに関わるコストさえ厭わなければ、人海戦術でなんとかなる)、商品の当たり外れがあるメディア業界や、時折、ミューテーション的に「凄い技術」が出てきてビジネスルールを書き換えてしまうハイテク業界では、実際には難しい。

保守的言説を好む金融業界は、そうした時、ジャンプができない。金融業界は、「信頼性」や「安定性」が、業界成立のための要件の一つだから。

だから、innovationこそが大事なハイテク産業については、第三者として、たとえばコンサルタントや大学の先生が、「未来を展望したシナリオ」やそのための「仮説」を多数出すことになるし、実際、そうした「言説」に相応の予算が業界関係者(当事者としての企業や投資銀行)から流れることになる。ちょうど美術品や絵画の世界で、その価値を評定する「批評家」が、美術オークションのあるNYやロンドンで再生産されているのと同じ仕組み。

もっとも、アメリカにおいては、Venture Capitalに属する人々が、そうした「多少かぶいた未来」を積極的に言祝ぐ役割を担って、投資銀行のアナリストと役割分担をしているのだけど。

*

では、今回のロンドンの投資サークルはどうなのか。

考えられるのは二つ。

一つは、東京やNYと同様、アナリストがアナリストの事情故、書くことができない内容を、高校生に書いたものに見いだして、業界にある種の「揺らぎ」を与えるものとして好意的に受け止めたこと。

これは、自動車でも飲料でも消費者向け商品製造業ならどこでも、なにか商品開発に煮詰まったときに「インサイト」が欲しい、といって、「定量調査」を投げ出して、「定性調査」、グループインタビュー、とか、「参与観察」、フィールドワーク、とかに乗り出してしまうことに近い。

そのときにあるのは、一種の「文化人類学」的視点であり「博物学」的視点、ほら、こんなところに、「新種の?変わったもの」が「事実」としてあるよ、という具合に、目新しいものを発見=探索する、ことに気持ちが向いてしまうこと。

Matthew君は、だから、自分たちとは異なる社会からやってきた異邦人であり、異邦人社会に内在するロジックを語ってくれた「使節」であり、彼の発言には耳を傾けるべきところが多い、ということ。

そして、文化人類学的視点の常として、その視点は反転して自分たちの立ち居振る舞いに戻り、いかに自分たちが、Matthew君のいる世界、とは異なる場にいるのか、を自覚する。そうやって、Matthew君のいる世界=デジタルワールドと、自分たちのいる世界=伝統的メディアワールド、との距離を同定する。

そうして、ある年代以上には未知の存在=異界であったデジタルワールドを、既知の存在に置き換え、理解しようとするもの。

モルガンスタンレーの大人のアナリストも、Matthew君のレポートに素直にうなってしまった。「インサイトを与えてくれる」異人として、彼を捉えた。

*

とはいえ、イギリス人は(アメリカ人よりも)老練だ、という(個人的)仮説に則れば、上で書いたような「レポートの効果」をも見込んで、あえて、モルガンスタンレーのレポートとして流通させたのではないか、だからこそ、レポートの扉で、Matthew君のレポートを絶賛したのではないか、・・・、などとうがった見方もできると思う。

これが考えられることの二つ目。

つまり、Matthewレポートの発行は、それがもたらす効果(「話題になること」)を含めて、モルガンスタンレーなりの、アナリストレポートというツールを用いた、一種のコミュニケーションズ戦略だったのではないか。

上に書いたように、アメリカの場合は、VC関係者がストラテジスト的な役割を担っている。しかし、国内に主要な製造業を持たないイギリスは、むしろ、お金を回すこと、お金が円滑に回る仕組みを作りメンテナンスすること、にこそ関心をもっているはず。つまり、お金を回すためのプロモーター的役割が、シティの人々のマインドセットの中に組み込まれているのではないか。

(「ジェントルマン資本主義」とかいっていたものがこれに近いのではないかと思っている。もっとも、悪く言えば、お金だけ回っていればいい、という態度にもなるのだが)。

景気後退もあって、どの企業も堅実になり、それは、メディア産業も例外ではない。マードックすらpaid content、つまり有料課金を是とする方向にインターネット事業の仕組みを変えようというように、保守的な方向に向かっているのに対して、いや、Matthew君のいるデジタルワールドはそれでは事業的に躓く世界になってしまう、ということを訴えたかったのではないだろうか。いや、むしろ、そう訴えることで、世界中で寡占が進行しているメディア産業に対して、カウンターとなる新しいプレイヤーの参入を募る方向にお金を動かしたい、というのが本音だったのではないか。

そういう意味で、今回のMatthew君のレポート発行は、シティのバンカーの老獪な振るまいだったのではないかと思う。

*

最後に。

だから、Matthewレポートが示唆する世界を、より具体的な未来像として描き上げていくことが、次にやらなければならない作業になるわけで、この点で、先頃発行されたChris Andersonの新著“FREE: The Future of a Radical Price”は、既に賛否両論かまびすしいとはいえ、Matthew君の求める「デジタルワールドに即した(消費者から見た)無料サービスの提供」を考える上では、やはり参考になるものと思う。こちらは、また、機会を改めて考察してみたい。

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