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November 30, 2009

op-ed / commentary


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junichi ikeda

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EUはOpen Sourceでアメリカに対抗する: Oracle-Sunの合併審査を巡って

November 30, 2009

op-ed / commentary


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junichi ikeda

OracleによるSunの買収についてEU競争委員会(EUの独禁法当局)が難色を示しているのだが、そこにはOpen Sourceが絡んでいるという。

Open Source as a Model for Business Is Elusive
【New York Times: November 30, 2009】

EU競争委員会が問題にしているのは、Open SourceのデータベースソフトであるMySQL。その開発企業であるMySQL ABを2008年にSunが買収している。

Oracleはもともとデータベースソフトから成長した企業であるため、OracleがSunを買収することで、結果的に、MySQLのソフト開発を阻害してしまうのではないか、というのがEU競争委員会の懸念。

EUとしては、Open SourceであるMySQLの存在によって、データベース市場で巨大企業が独占的超過利潤を占めずに済んでいると考えている。つまり、Open Sourceが、巨大ソフトウェア企業による独占的行動を抑制していると捉えていて、逆に言えば、適正な競争水準が維持されるためには、Open Sourceが不可欠だ、とみている。

この話にはいくつか興味深い点がある。

一つには、EUにとって、Open Sourceの存在は、アメリカ優位のソフトウェア市場に対する抑止力、楔として機能しているということ。

以前から、Open Sourceが欧州でさかんなことを不思議に思っていたのだが、少し理解が進んだように思う。90年代後半からの米欧間の企業合併の活発化によって、米欧企業は相互に米欧市場に乗り込むことが多くなった。そのとき、ソフトウェア市場は、MicrosoftのWindowsの一人勝ちによって、アメリカ企業の独壇場になったわけだが(正確にはSAPのような企業も欧州にはあるのだが)、その独占、ないし、寡占的状況に対する構造的な対抗手段としてOpen Sourceが肯定的に捉えられた、ということなのだろう。

たしかに、ライセンスフィーを気にせずに利用できるOpen Source Softwareは、ソフトウェアのコスト構造を全く変えてしまう。もっといえば、Open Sourceを利用しているIBMなどでもわかるようにOpen Source Softwareを利用したシステムを構築し、全体として、ソリューション、サービスとして対価を得ている。

山奥の自然に囲まれた渓流で、「水はただ」といって生活しているようなもの。あるいは、その水を使って上手い酒でも造っているようなもの(といっても、水利権という概念もあるわけだけど)。

もっとも、Open Sourceにライセンスは発生しないものの、その開発者たちに対する報酬は、それを利用するIBM等の企業が実質的にサポートしている。

だから、広い意味では、Open Sourceの一部は、そうしたシステム企業によりsubsidizeされていると考えていいわけだ。そうやって開発されたソフトウェアは、一種の公共財として一般に利用可能な存在になる。

二つめに気になったのは、EU競争委員会が、競争政策といいながら、実質的には、EU市場の保護をしているように見えるところ。

もともと競争政策のベースとなる反トラスト法は、20世紀初頭のアメリカで、巨大企業の登場による市民の起業機会の喪失、への対抗手段として生まれた。本来は、同一国内の企業と市民の間の非対称な関係を是正するために導入された。

それが、EUでは、域内の市民を外国企業から「守る」ための方法論に変貌している。つまり、一種の「保護主義」的政策を、それと思われずに実施するための方便として使われている。

今回のOracle-Sunに限らず、Microsoft、Intel、Google、など、アメリカのIT企業の行動は、しばしば、EU競争委員会のチェックを受ける。

その「保護主義」的論理によって、Open Sourceが、独占的ソフトウェア企業への対抗手段として保全対象になってしまった。

けれども、冷静に考えれば、他の企業が有料で提供している財を無料で提供することは、立場が逆ならば、略奪的価格設定といわれてしまうもの。それが、独占的企業に対して超過利潤追求を無効化するための策になってしまう。しかも、無料の場合、それは通貨によらず無料となるため、基本的に国境を容易に越えてしまう。

いわば、通貨単位に応じて複数ある金銭的価値体系が無条件に交叉する地点が「無料」。そのため、Open Sourceは世界中のどこの国でも利用可能な基礎財となり得る。

そして、Open Sourceを利用した時点で、ソフトウェア大企業がひしめくアメリカに対して、EUもその他諸国も同一のレベルの存在になる。

もっとも、上でも記したように、Open Source開発者への対価は、Open Sourceを利用することでサービスやアプリケーションを安価に提供できる、IBMやGoogleのような企業が支えている。

結局、Open Sourceは、その部分のレイヤーを共通前提として皆で強制的に共有できる環境を整えることで、競争のステージをその上のレイヤーに設定し直すことになる。

そういう意味で、Open Sourceは、ソフトウェアやアプリケーションと呼ばれるレイヤーでの競争を陳腐化し、さらに一段上のソリューションの部分での競争を呼び込むための方策でもある。

この、競争ステージの「強制リセット」をするボタンとして、Open Source、あるいは、“Open XXXX“を捉えていくと、いろいろなものが面白く見えてくる。

ちょうど、義務教育で、誰もが読み書きができるようになるのに近い、人為的なものを自然的な環境として読み替えるための手段として、Open × Free、があると考えてもいいのだと思う。

もっとも、Open Source自体は、企業として存続するのは容易ではなく、ほとんどの場合、特定のソフトウェアを開発した上で、巨大ソフト、もしくはシステム会社に買収されるExitを選択しているようだ。

事業としてはなかなか厳しいが、シードを開発するにはなかなかユニークな存在、ということになる。今さらながらだが、Open Source、とりわけ欧州のOpen Sourceには注目しておきたい。どこかで、EU的なものを体現した流儀のように思えるから。

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