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December 10, 2009

op-ed / commentary


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junichi ikeda

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音楽をdemocratizeする、電子楽器としてのiPhone

December 10, 2009

op-ed / commentary


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junichi ikeda

iPhoneを電子楽器として使ったコンサートが開催された。そのコンサートを行ったStanford Mobile Phone Orchestraと、主催者であるGe Wang助教授が紹介されている。

From Pocket to Stage, Music in the Key of iPhone
【New York Times: December 4, 2009】

このNYTの記事に、このコンサートの様子を紹介したビデオ映像が埋め込まれているので、手っ取り早く様子を知りたい人は、先にそちらを見てもらった方がいいかもしれない。

基本的には、iPhoneをポータブル・シンセサイザーのように使い、iPhoneだけで音楽の演奏を行う。iPhoneを楽器化するソフトは、Wang助教授が仲間と起業したSmuleという会社で開発したソフトを使う。今回のコンサートでは、Smuleのappのうち、Ocarinaと呼ばれるソフトが利用されていて、その名の通り、オカリナのような音色の合成電子音が使われている。

おもしろいのは、実際に演奏しているところを見ると、コンサートというよりは、パフォーマンスないしパフォーマンス・アートのように見えること。楽器はシンセサイザーとしてのiPhoneだけで、その音色を会場に響かせるために、手袋型のアンプ×マイクが利用されている。そのため、演奏といっても、普通の楽器に比べて、演奏者の運動の自由度が高い。クラッシックコンサートのように、ずっと座り続ける必要はなく、演奏中にカラダを動かすことができる。その一方で、まさに本物のオカリナのように、「吹いて演奏している」ように振る舞うこともできる。演奏形態は自由自在だ。

だから、音や音色をどう聴衆に届けるか、ということに創造力を傾けることもできる。それも含めてコンサート、ということになる。想像するに、聴衆の側にiPhoneがあれば、それも組み合わせた、あるいは、それによってハックされた演奏、というか、パフォーマンスもこれからは可能になるのかもしれない。

見ていて端的におもしろい。

*

ところで、この話は、単にiPhoneの活用例としておもしろいだけでなくて、そもそもこうした活動が生じてくる環境の側にもおもしろさを感じてしまう。

Wang助教授は、上のNYTの記事の中で、iPhoneは人類が初めて手に入れた、誰もが常に携帯できる楽器だと指摘した上で、iPhoneを使って音楽を創り出すプロセスをdemocratizeしたい、と語っている。

democratizeというのは単純に訳せば「民主的にする」ということになるが、ここでは「誰もが使えるような存在にする」とか「誰もが平等にアクセスできる存在にする」というぐらいの意味。こういう意味でのdemocratizeは、アメリカの企業、特にIT関連企業ではよく聞く表現。

そして、そのdemocratizeのために、Wang助教授はソフト会社を立ち上げて、そのアプリを安価(99セント)で販売している。

これも、そこで利益を得よう、というよりは、超小額の支払いを発生させることで、むしろ、彼の考える、音楽のdemocratize活動へのコミットメントを明確にさせようということなのだろう(もちろん、ソフトは初期費用をリクープできたらあとは純益になるので、ばかにならない利益になるのだけど)。

なんといえばいいかな、一種のファンド・レイジングの方法というか。
いや、マフィンをバザーで売るお母さんたちに近い、というか。

NYにいた時、よく学校や公園でバザーをやっているところに出くわすことがあったのだけど、そういうとき、よくお母さんたちがマフィンとかカップケーキを焼いて売っていたりする。こういう焼き菓子は、たいていの場合、お母さんたちが手弁当で、つまりボランティアで作っている。材料を持ち寄り、誰かの家のキッチンに集まって、そこのオーブンを使って焼いてくる。そして、売上のほとんどはそのままバザーの主催者に寄付してしまう。

ここで、単純に個人個人が「歳末助け合い」みたいに直接的に寄付することで済ませたりしないのは、ひとつには、何らかの形で、バザーという場に自分たちが直接関わったという痕跡を残したいからだし、もう一つには、焼き菓子にして売れば、その分の付加価値ものって寄付金の額もあがるから。

基本的にはこういうことがあるからなのだけど、さらにもう一つ見逃してはいけないことがある。それは、この一見ボランティアに見える場が、実は、お母さんたちにしてみたら、自分たちの焼き菓子(のおいしさ、素晴らしさ)を披露する場でもあったりする。滅多にあることではないけど、評判がよくなれば、そのままマフィン屋さんになったり、そこまでいかなくても、マフィン教室を開いたりすることに至ったりする。

そういう何かを人に見いだしてもらうための場としてバザーがあったりする。

そういうことが日常生活の中にあるということを踏まえると、上のWang助教授らの作ったソフトも、一種のマフィンみたいなもの、ちょっと上手いこと作ってみたから、どうかな、使ってみてくれないかな、という感じで、ソフトを紹介していることに近い。で、よければ一票投じて欲しい、という感じで、販売を行う。

裏返すと、ウェブそのものが、バーチャルなバザーのようなものとしてある、という期待というか予期が、アメリカ人の間で漠然と共有されているともいえる。商品にまですることで、いわば、ウェブでの紹介が「勝手にエグジビション」のような形になる。

よかったら買ってってよ、とか、応援してくれるなら一つよろしく!、という感じ。

で、気に入った人たちはそれを手にとって代金を払って買っていく。

だから、もしかしたら、上のアンプ×マイク付きグローブも、オプションとして売り出したりするのではないかと思ってしまう。

このように、アメリカでは、売買という行為には、単なる商品と金銭の(等価)交換にとどまらない部分があるからこそ、Wang助教授のスタータップも登場できるわけだ。

また、お披露目の場を通じて、作った本人は「クリエィティブだ」と信じてやまない、ちょっと普通とは毛色の異なるものが、それほど気負うことなく世の中に登場できたりする。

日本で今、「起業家精神」というと、

利益重視、とか
儲けてやるぜ!、とか
あるいは、凄い(技術的)発明!、

というイメージがもっぱらのように思うけど、

それとは、別の文脈で、

とりあえず、へんてこなことを考えたり実行したりする人たちが、
とりあえず、生息できる、つまり、生活していける環境がある。

作る側は「こんなのつくっちゃった」といって、商品にまでしてみることで承認されることを求める。
買う側も、「なんか面白いからいいか」という感じで、応援票として商品に具体化された彼・彼女のアイデアを購入する。

こういう文脈が、スタータップでIPOで上場益がっぽり!みたいなストーリーの横に存在している。

(こういうことは、クリエィティビティをいかに醸成するか、という神様のような本質的な問いを立てがちな、文化政策とかやってる人たちには理解して欲しいように思ったりする)。

もっとも、Wang助教授らの本拠地がStanford Universityであることはやっぱり留意しなくてはいけない。

学生や教員が起業するための環境が、それこそ「利益がっぽり!」のシナリオに沿って用意されていたものを、つまり利益志向の起業のためのインフラを、おそらくはWang助教授らが援用することができたから、今回のようなiPhoneを活用したオーケストラ活動や、その活動資金確保のためのソフト開発・販売を行うことができたのだと思われるから。

結局、環境も才能もやる気もみんな大事だ、というところに落ち着くのだけど。

それにしても、このiPhoneコンサートはおもしろい。
道具=楽器との連関で音楽の有り様も変わっていく。

最初に、LPを回してスクラッチしたときも、こんな感じだったのだろうか。
だとすれば、この先、もっとおもしろいことに遭遇できるのかもしれない。

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