FERMAT communications visionary

January 14, 2010

op-ed / commentary


author
junichi ikeda

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Googleと諸国政府の関わりから浮上する「一つのウェブ」の時代の終わり

January 14, 2010

op-ed / commentary


author
junichi ikeda

Googleが中国市場での活動方針を見直す発表を行った。その結果、Googleが中国市場から撤退する可能性や、そのことの余波について、様々な観測・憶測・意見が飛び交う状況になっている。

Google Threat Jolts Chinese Internet Industry
【Wall Street Journal: January 13, 2010】

Google Warns of China Exit Over Hacking
【Wall Street Journal: January 13, 2010】

Google, Citing Cyber Attack, Threatens to Exit China
【New York Times: January 12, 2010】

Google China cyberattack part of vast espionage campaign, experts say
【Washington Post: January 14, 2010】

China's Google dilemma: Soften on censorship or anger millions of Internet users
【Washington Post: January 14, 2010】

状況が流動的すぎるので、この先の事態の様子を見た上でこのことは考えていきたいと思う。

*

今、気になっているのは、むしろ、今後しばらくの間は、ウェブの中に細かい境界設定が引かれていくのかもしれない、つまり、ウェブの上で意識的にゾーニングが行われていくようになるのではないか、ということ。

というのも、今回は中国からの撤退だが、この他にも、昨年のGoogle Bookのように、英語圏主要国にまで当初のスキームが縮減されてしまったり、あるいは、最近フランスで国内のコンテント制作者に資金が環流するようGoogle税が検討されている。

Vive La Taxe! To Aid ‘World Culture,’ France Mulls Charge on Google
【Wall Street Journal: January 8, 2010】

このように、「世界はウェブとしては一つ」というような見方に再考を迫るような事態が同時期に出始めている。

そして、ゾーニングの境界設定にあたっては、言語圏≒文化圏が中心的な役割を占めそうな事態に短期的には向かっているように見える。

あるいは、ウェブ上の生態系(エコシステム)は一つではなく多様である。その多様さは、別に企業がその起点になるだけでなく、市場環境≒消費文化≒文化による、ということも示唆されているように思える。

もちろん、Googleの場合、「検索」という方法によって、一種の錬金術よろしく「言葉を取引可能な財に変えた」わけだから、検索対象となる言語が使われるフィールドによって彼らのサービスが受容される程度が異なるのは、最初からプログラムされていたことだったといえなくもない。

フランスのGoogle税のようなケースは、フランスでGoogleが得た収益をアメリカに全て送金してしまう前に何とかフランス国内に再投資させるようなスキームだが、これは、Googleを何とかフランス的な文化財再生産スキームに組み込もうという考えの表れだと思う。

ちなみに、フランスの場合は、放送のような配信事業の収益の一部を、映画や音楽などのコンテント制作産業に環流させるスキームがもともとあった。だから、Google税はその延長線上のものなので、それほど唐突なものではない。

いずれにせよ、こうした言語圏≒文化圏の境界設定によって、

Google=英語圏のウェブ

がデフォルトになる方向性もかなり強く出てきたように思う。

もちろん、そのような文化的分断が一端できあがった後で、おもむろに、非英語圏諸国が、この「英語圏のウェブ=Google」に自発的に参画していく、という手順が踏まれるのかもしれない。

ちょうど、EUのように。

EUのように、というのは、EUへの加盟は、EUへの加盟基準が先にあって、加盟希望国がその基準に自らが合わせる形で、いわば自発的に「従属」というか、「自分で全て決められる」という「自由」を一部「放棄」して、加盟することになる。

こう考えると、ウェブの世界では、しばらくの間、文字どおりの「外交手腕」が問われるような事態が続出するのではないかと思えてくる。

国際関係論の世界で「中世的状況」といわれる、多様なプレイヤーが統制主体なきまま入り乱れるような時代。中世なら、(国民国家ではなく)領邦国家や教皇領、.修道会、自由都市、というようなプレイヤーがそれぞれの立場で動いていたように、政府や企業、各種団体(NGOやNPOといわれる存在)などが入り乱れて、群像劇のように振る舞っていく。

そういう(政治的)権力の輻輳した時代がしばらく続く。

もっとも、レッシグは、権力の源泉として、法、市場、規範、アーキテクチャ、の四つを指摘していたわけで、Googleの件は、中国に限らず、アーキテクチャ、に対する制御権を誰が握るのか、という主題の下で考え直すこともできるのだと思う。

中世的な、権力の錯綜した状況下で、複数のアーキテクト(アーキテクチャ設計者)が生態系(エコシステム)の提案において鎬を削る、という事態がしばらくの間常態化する、というように。

いずれにしても、Googleと諸国政府の関係については、単なる企業活動、市場活動という枠を越えたところから様子をうかがっていきたいと思う。

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