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January 15, 2010

op-ed / commentary


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junichi ikeda

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本当に「夢の都」になるHollywood

January 15, 2010

op-ed / commentary


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junichi ikeda

景気後退の影響もあって、地理的な意味でHollywoodの映画製作水準が著しく低下していると伝える記事。

Fewer Films on Location in Los Angeles
【Wall Street Journal: January 15, 2010】

要するに、実際の撮影は人件費も含めてコストが押さえられる他の地域、たとえば、カリフォルニアではない他の州や、国外のカナダやオーストラリアで行って、あとは、ポスプロ(post production)に力を入れて映画として完成させる。そうしたパタンがすっかり定着した、ということ。

その結果、Hollywoodは文字どおり「夢の都」として、映画会社の本社とその中核スタッフ、そして、実際の映画の企画開発を行うプロデューサーやトップ俳優が集う、象徴的な場所として機能するようになった。

これを「空洞化」というかどうかは多分判断が分かれるところ。

というのは、いまだにハリウッド・メジャーが映像制作(映画、テレビ番組、等)の中核にあることは、年末年始や夏の映画シーズンのラインナップを見れば一目瞭然だから。

それにCGの利用が実際の「絵づくり」の部分で不可欠になった今、実写の撮影(shooting)が占める意味も変わってくる。もちろん、撮影監督による、光の芸術を否定するつもりはないが、問題は、視聴者の方が、実写とCGの違いを見分けることができず、リアル映像もCGじゃないの?と思う一方、CGに文字どおりの「リアル」を感じてしまう。その意味では「映像効果」という点では、あまり区別をする意味がなくなってくる。

随分前から、Hollywoodは海外の映像作品(映画、テレビドラマ、アニメ、など)を中心に「リメイク」≒二次創作、をすることで、脚本開発の手間を省いている。小説の映画化権の購入も当たり前(スティーブン・キングやダン・ブラウンなど)。

そうした映画企画の多くも、プロデューサーが中心に開発して、その配給権をメジャーに販売することで実際の制作に入る。そして、ある程度の観客動員が見込める、という「保険」の意味で、トム・ハンクスやジョージ・クルーニーのように、俳優自身がプロデューサーを兼ねるようなスキームも定着している。

とここまで書いて何が言いたいかというと、既に映画については、川上の制作から、川下の配給まで、個別にバラバラに最適化を目指す方向に動いてしまっている。それが現実。

それは、他の製造業が、ファブレス、つまり、商品の設計やスペックを決めるところをアメリカ国内で行い、実際の組み立てを国外の新興国のメーカーに委託(たとえば、Googleが設計し台湾HTCが製造するNexus One)するのとたいして変わらない。

Hollywoodは既に、映画の都というイメージの下で、映画に携わる人たちが集う、ふわふわとしたイメージを提供し続ける、文字どおりの「夢の都」。

だから、そこへのカウンターは本当はいろいろと考えられるはず(何分にもカリフォルニア州が空洞化を懸念するくらいの段階なのだから)。

その時、鍵を握るのは「想像力」だ、ととりあえず思い込むところからスタートしてみるのも一つの手だと思っている。

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