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March 04, 2010

op-ed / commentary


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junichi ikeda

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FacebookのIPO問題が炙り出すVC主導型起業スキームの臨界

March 04, 2010

op-ed / commentary


author
junichi ikeda

随分前からIPOの期待が高まっているFacebookだが、25歳の若きCEOであるMark ZuckerbergはIPOを急がない、とのこと。

Facebook CEO in No Rush To 'Friend' Wall Street
【Wall Street Journal: March 3, 2010】

記事全体では、FaebookのIPOについては、社外からの期待も高ければ、社内からの希望も多いと伝えている。引き続き、世界中で4億7000万人の登録ユーザー数を誇るSNSであるFacebookのIPOについては期待を繋いでいてよいという論調になっている。

Zuckerbergによれば単純にIPOのタイミングを窺っているということらしい。

IPOに向けて、株主構成に手を加えており、Google同様、議決権のありなしのある株式構成(dual structure)にしており、IPO後も経営権の維持に努める姿勢を示している。

その一方で、早期IPOを望む社員に対しては、株式の引き取り手として外部の投資家と交渉し相対で社員持株の買い上げを進めている。Microsoftを始めそうした大手の外部資本も既に入り始めている。

ZuckerbergがIPOを躊躇しているように見えるのは、盤石な収益モデルをFacebookがいまだ確立していないからだろう。収益モデルが確定し、他方で次なる投資目標が明確になれば、そのための資金確保のためにIPOをする理由と目的がはっきりする。しかし、今はまだそうした目標が明確でない。むしろ、現行のSNS事業だけであれば巨大な投資資金が必要というわけでもない。そのため、是が非でもIPOを、という理由に欠ける。

SNSはコミュニティサイトであり、そこで交換されるものが基本的には情報とコミュニケーションであることを踏まえれば、事業としては一種の出版業といえる。そして、出版業は本質的には大きく成長するようなものではない(それは足下のアメリカの出版不況を考えれば容易に想像がつく)。出版事業であれば、むしろ適度に蓄財を進めつつも、適度に読者共同体にそうした営業収益を還元することも含めて、新たな出版企画が一種の贈与的な動きとして進められる。

そうした、収益蓄積→利用者還元、というサイクルは共同体維持のためにも必要になる。いわば、贈与の実践であり、場の主催者に集まった収益の再配分、ということになる。

おそらくは、こうしたSNS的コミュニティの特質が、上場して資金を獲得してガンガン成長する、というスキームと折り合いが悪い。少なくともZuckerbergは折り合いが悪いと見ているのでないかと感じる。

つまり、コミュニティの場合、その場に必要な資金は、参加者が別の手段で用立てる。コミュニティの外部から資金が一方的に流れ込み、それが環流することでコミュニティが維持される、という具合。

そして、このままなら未上場のままでも、SNSの場は維持できる。

あるいは、逆に、参加者自らが全員株主になるという手もある。しかし、さすがに4億7000万人が株主というのはありえないだろう。

そうすると、アメリカの社会経済的な文脈では、SNSはnon-profit company (NPC) とし、ユーザーを含めたcontributions(寄付金)と特定の事業収益をコミュニティ運営の原資とし、資金が必要な場合は通常のNPC同様債券を発行する、というのでもいいのかもしれない。

したがってFacebookのIPO問題は、ユーザーベースの拡大、というのがさしあたっての経営目標になっているWeb2.0以後の企業群にとっても経営の舵取りにあたってのメルクマールになるのだろう。

既に多くの投資家から資金提供を受けているため、FacebookがIPOをしないという選択肢はありえない。とはいえ、仮にFacebookが上場したとしても、限りなくNPC的な性格を持つ企業になっていくのかもしれない。

ZuckerbergはFacebookの社外取締役としてMarc Andreessenの他にWashington Post Co.のChairman であるDonald Grahamを招聘している。

Washington Postのようなアメリカの新聞大手は、創業者が他の事業で得られた元手から起業し、マス消費という社会風潮の中で成長していった。しかし、最初の事業資金は見知ったもの通しの間での出資(たいていの場合は家族や一族郎党からの出資)でまかなっていた時代であったため、上場をするかどうかも創業者で決められた。

もしかするとZuckerbergのケースは、直接金融中心で、VCのような第三者による出資が可能になった(当たり前になった)時代だからこそ抱え込まざるを得ない「IPOのジレンマ」なのかもしれない。つまり、起業資金は第三者が出してくれる。あるいは追加資金も第三者が出してくれる。しかし、それらの資金はIPOによる創業者利益の獲得という期待に則っている。

もちろん、事業が失敗してそうしたIPO期待に応えられないケースは山のようにある。だが、Facebookの場合は、既に日本国民の総数を超えるような、その意味では20世紀では想像もつかない数のユーザー数を誇るほどの規模になっている。これをマネタイズしない手はない、という期待は嫌が応にでも高まる。

しかし、その一方で、この4億7000万人が一瞬のうちにFacebookを離脱することは決してありえないことではない。そして、その瞬間にFacebookというサービスの存在は地球上から消滅する。

それくらい泡沫の夢になる可能性をZuckerbergは直観しているのではないだろうか。

もともとFacebookはHarvard Collegeの写真付き学生簿(facebook)としてスタートした。多分、その時の発想は単純な利便性や、あるいはそうすることによって周りの友人から褒められる軽い功名心なり承認欲求から発したものだったのかもしれない。

それが、システムとしてのウェブが持つ特性であるネットワーク外部性もあってユーザー数はねずみ算式に増えていく。その果てが4億7000万人の登録ユーザー数だ。

そして、この4億7000万人は、個々の小さな好意や善意の下で結集している。その結集の糸をもしかしたらIPOによる真性ビジネス化によって断ち切ってしまうのではないか。そうした不安がZuckerbergの脳裏を時折よぎっているのではないだろうか。

FacebookのIPOは、このように20世紀の最後の10年に花開いたIPO型VC投資のスキームについてもしかしたらノーを突きつける、あるいは、そこまでいかなくとも大きな修正を迫るものになるのでないか。なぜなら、とにもかくにも、4億7000万人のグローバル・コミュニティを果たして企業としての体裁で、あるいは、企業としてのマネジメントで維持できるものなのかどうか、という問いに直面しなければならないからだ。

FacebookのIPOは単なる一企業のIPOに止まらない要素を持つ。この観点から、引き続き注目していきたい。

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