Sergey BrinとInternet Censorship

March 14, 2010

op-ed / commentary


author
junichi ikeda

Googleの中国からの撤退問題が最初の山場を迎えている。

2010年に入ってすぐにGoogleが発表したように、同社は検索結果の表示に対する検閲について、中国政府が基準を緩和しない限り、中国市場との撤退もあり得る、と公表した。それに対して中国当局高官によればそうした基準を緩和するつもりはなく、Googleがその基準に従わないならば「unfriendly(友好的でなく)」で「irresponsible(無責任)」であるというコメントを出している。

China Threatens Google
【Wall Street Journal: March 13, 2010】

China holds firm against Google, says firm must obey its laws
【Washington Post: March 13, 2010】

もちろん、現段階では、アメリカの一企業であるGoogleと中国政府とのやりとりに過ぎず、アメリカ連邦政府、特に国務省は静観している。ただし、Googleが公表通りの理由で中国市場から撤退するような事態に至った場合は、「インターネットにおける自由」を理由に国務省が介入し、その結果、外交問題に発展する可能性が出てきている。

アメリカ国務省としては「インターネットにおける自由」は、アジア諸国との外交において基本姿勢として打ち出していく方向にあると、上のWSJの記事は伝えている。「自由」の基準において、単に経済的な自由に止まらず、より広汎な政治的な自由、意思表明ができる自由にまで広げていきたいというのが、国務省の考え方のようだ。

外交の指針として採用する以上、単に空想的な理想を主張しているのではなく、その基準の採用によって生じる様々な利得も計算に入っていると思われる。世界中の人口分布を踏まえれば、アジアには中国やインドなど多くの人口を抱える国が多い。アジア諸国において、基本的なコミュニケーションツールとしてインターネットが急速に普及しつつある中、たとえば、今回の「検閲(censorship)」のような問題は、インターネット上のアプリケーションの開発やマーケティングの点で、アメリカで開発されたものがそのままの形で投入できないような事態を引き起こす。昔、日本市場解放の際に言われていて非関税障壁のような扱いと捉えてもいいと思う。

もちろん、censorshipは国内基準に基づくものだから、外交の世界の言葉では内政干渉だと応えればよいし、多文化主義的状況を踏まえればそうした主張を論理だけで覆すのは難しくなる。そこで、Googleの検索エンジンのような、インターネット利用の基本中の基本、インフラ的サービスを外交の俎上に載せ、利用者の意向を有権者や国民の意向に読み替えることで、何がより適切でより正しいことであるか、を公の議論に組み替えていこう、ということになる。

この点で、Googleの創立者の一人であるSergey Brinの生い立ちが、こうした「より適切でより正しい」基準を提示していく上で注目を集めている。

Soviet-Born Brin Has Shaped Google's Stand on China
【Wall Street Journal: March 12, 2010】

Brinはモスクワ生まれのユダヤ系で、幼少の頃、両親とともにアメリカに移民した。そうした境遇からソ連時代の検閲制度がいかに社会を息苦しくしていたかに言及し、同じことが繰り返されるのをよしとしたくない、という考えがあるようだ。もっとも、6歳の時に移民したというのだから、当時のソ連の検閲制度がどういうものであるかはBrin自身が実感してわかっているということではないだろう。おそらくは学者であった両親から聞かされた話ということだろう。

それにしても、Brinの生い立ちは、今回の問題を検討するときには、ソ連という補助線を提出することができるため、それだけで論争を活発化させる効果がある。もちろん、Googleのモットーである“Don’t Be Evil”とも関わる。

補足しておくと、アメリカの訴訟でよく話題になる「表現の自由」というのは、単に個別表現の自由を守れ、というような話ではなく、より直接的に、政治的意思の表明や、反宗教的な意志の表明に対して、連邦政府からの圧力や介入を受けないためのもの。そういう介入・圧力の口実を政府に与えないためのよりどころが「表現の自由」、アメリカ憲法修正第一条が保障する基本的権利になる。

(「表現の自由」はアメリカではむしろFreedom of Speechといって誰かに何か訴えかけることが含意としてある。だから、「表現された結果の自由」というよりも、「表現する意志の自由」「表現する意志は誰にも邪魔されない」というニュアンスがある。この意志を守る自由から必然的に「表現行為の結果の自由=多様性」が導かれるという感じ)。

こうしたアメリカの文脈における「表現の自由」に真っ向対立するものが検閲行為ということになる。「表現の自由」を損ねるものの筆頭が検閲だという認識フレームがあるから、むしろ、検閲行為を名指された時点で即座に「表現の自由を守れ」という動きが半ば自動的に発動する。

そして、「表現の自由」は、数少ない、デモクラットの支持集団もGOPの支持集団もともに支持を表明するテーマ。なぜなら、これが損ねられると自分たちの活動自体が危ういことになるため。つまり、アメリカにおいて政治的に大同団結を可能とする一種のワイルドカードが「表現の自由」という主題になる。

そうした地盤があるところで、ソ連の検閲制度を引き合いに出せるBrinが当事者の一人として関わるわけだから、アメリカの政治シーンとしては色めきだたないわけにはいかない。国務省が中国市場から撤退するのか否かに対するGoogleの最終決定を手ぐすね引いて待っているように思えるのは、様々な団体が一気に動き出すことが目に見えるからだろう。

そういう意味では、本件は、アメリカの政治や外交がどのようなメカニズムで成り立っているのか理解していくための恰好の事例になると思う。自由を巡る議論だけでなく、各プレイヤーがどういう動きをするか、そして、自陣に有利な状況を創り出すためにどのような行動・コミュニケーションを行っていくのか、そういう点から注目していきたい。もちろん、こうしたアメリカ国内の動きがどこまで中国に影響を与えるのか、という実際の外交への影響を気にかけるのは言うまでもないことだが。

さて、まずはGoogleの決定に注目したい。

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追記

以下、Twitter的に気になる論点、関連しそうな動きを箇条書き的に記す:

1. Twitterの方で呟いているアートやポピュラーカルチャーの方によせれば、こうしたGoogleの動きが、創作活動のモチーフとして利用される方向もあると思う。直接的な支持表明としても、両義的態度を感得させるようなクリティカルなものとしても。「自由」は芸術作品の定番のモチーフであるし、それが「表現の自由」となればなおさら。しかも「インターネットの」という条件がつく以上、現代的なテーマでもある。多文化主義もモチーフとして影響を与えるだろう。

2. Cyber Law関係のアカデミシャンがどういう態度を取るのか、その結果どのようなものを書き記すのか、というのは間接的に日本の類似ジャンルの議論のアジェンダ・セッティングにも影響を与えるだろう。

3. アメリカ国務省が何らかのアクションなり声明なりを出した場合、欧州がどう動くかも気になるところ。EUとしてもそうだし、英仏独などの主要国からの反応も気になる。特にフランスがアメリカの対抗言説を提出するのかどうか。それとも同調路線をとるのか。