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June 23, 2010

op-ed / commentary


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junichi ikeda

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スマートフォンはカメラではない

June 23, 2010

op-ed / commentary


author
junichi ikeda

デジタルカメラ機能が装備された携帯に対して、デジタルカメラ業界が自分たちこそがカメラであると主張する広告キャンペーンを展開しているという。

The Best Shot: Cell or Camera?
【Wall Street Journal: June 23, 2010】

キャンペーン自体はたわいのないものだが、ちょっと面白いと感じたのは、スマートフォンのような融合商品=ガジェットが出てくるときに、わざわざ「呼び出し音がなるならそれはカメラではない」というように、商品のアイデンティティを正面から確認するような表現を展開するところ。そうやって、商品カテゴリーの「維持」に力を入れる。

認識が商品を構成する、という具合に、何が特定の商品カテゴリーを形成するか、に注力し、その縁取りを言葉を活用することで明確にしていく。非常に微妙な感覚なのだけど、こういうところはとてもアメリカ的だなと感じる。商品のスペック的なものの拡張と、それを一つのイメージに閉じ込める言葉=概念、との間できちんとバランスを取ろうとする。

そういうことを日頃しているからこそ、逆に、iPadやKindleのような従来カテゴリーからはみ出してしまうような商品を「コンセプト」レベル=言葉として創り出してしまって、その言葉の指し示した方向に具体的な商品を象ってしまう。裏返すと、「コンセプト」という言葉が文字通り商品の概要をイメージさせるものとして立ち上がることになる。

日本ではコンセプトというと、何か関係者を納得させたり、その前段階として理解を調達するための「お手軽な方便」として利用されることの方が多いと思うが、そういう使われ方はしない、ということだと思う。もっといえば、日本での商品開発の多くは、言葉が何かを生み出すことはまれで、むしろ、スペックアップやユーザーの声という事実性がなし崩し的に商品の開発方向を何となく指し示してしまうように感じる。

もっとも、上のWSJの記事が比較しているのは、ソニー・エリクソンの携帯電話とパナソニックのデジカメだから、むしろ、日系企業が北米で広告コミュニケーションしようとするとこんな感じになる、という理解をする方が適切なのかもしれない。

ただ、認識が商品をつくる、その認識のために言葉を選択する、というベタなことをベタにやれるところがアメリカ的だという見方はいろいろと有効な見方ではないかと日頃感じている。むしろ、そのフレームがあったからこそ上の記事が目にとまってしまったのかもしれない。

「命名する力」を信じ活用する、といってもいいのかもしれない。

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