FERMAT communications visionary

April 01, 2011

op-ed / commentary


author
junichi ikeda

print


ハッカージャーナリズムを問い直す

April 01, 2011

op-ed / commentary


author
junichi ikeda

コロンビア大学のジャーナリズムスクールで発行される、Colunbia Journalism Reviewが、ハッカージャーナリズムを取り上げている。

The Hacker, Off the Couch
【Columbia Journalism Review: March / April 2011】

「ハッカー」も「ジャーナリズム」もともにその解釈の仕方は人それぞれと言ってもいいくらい多様な言葉なので、その組み合わせである「ハッカー・ジャーナリズム」の意味も、相当幅の広いグラデーションを持っていることだろう。そのように指摘した上で、ここでは、上のCJRの記事に従って捉えてみたい。

この記事はBrian Boyerという人物が行っていることに沿って、ハッカージャーナリズムについて記している。

Boyerは、もともとプログラマだったが、ある日、IT情報サイトであるBoing Boingでノースウェスタン大学のジャーナリズムスクールで、プログラマでジャーナリズムに関心がある人に奨学金を出す仕組みがあることを知り、そのプログラムにアプリケーションを出すことになる。

ノースウェスタン大学は、シカゴ大学と並ぶ中西部の名門私立大学で、日本では同校のビジネススクールであるケロッグ・ビジネススクールで有名だ。そして、BoyerがアプライしたMedill Schoolもジャーナリズムスクールの中では有名なところだ。

そのような伝統も名声もあるジャーナリズムスクールがプログラマに奨学金を出したのは、ウェブを活用したジャーナリズムのあり方を具体的に模索し開発するには、プログラマの知識が不可欠だと考えていたからだという。

(ちなみに、文中にもあるように、コロンビア大学でも、ジャーナリズムスクールとコンピューターサイエンスの二重学位(dual degree)プログラムが始まっているとのこと。アメリカの大学では、学際的な人材の育成には、このようにdual degreeを設置し、必要単位を調整し、個別にdegreeを取る場合よりも修業期間を短縮できるプログラムが利用される。)

さて、この記事で興味深いのは、Boyerが見つけた、ジャーナリズムの次の定義だ。

journalism as a way to inform people and help them better self-govern

つまり、ジャーナリズムとは「人々に知識や情報を与え、より良い自己統治≒自己判断を支援する方法」である、というものだ。要するに、普通の人々が、何らかの判断をする際に参考になる知識・情報を提供するという役割こそがジャーナリズムであるという見方だ。

このようなジャーナリズムの定義は、確かに、情報の流通を加速化させたウェブに適した見方であるし、そのようなウェブを実際に作りあげるプログラマ≒ハッカーが理解しやすい捉え方だ。

そして、このような「有用な情報の伝播」がジャーナリズムであるならば、必要なときに必要な情報にアクセスできる環境を作ることが大事になる。Boyerが応募したノースウェスタンのプログラムも、もともとはそのような、ある種の「生きたデータベース」を作ることであり、そのためには、ウェブの可能性を見いだせるような想像力をもった人材が、旧来のジャーナリズム側に存在しないという問題意識からのものだった。

標語的に言えば、文中にあるように、「(プログラムの)コードと(新聞の)リードが両方わかる人材」を求めていた、ということだ。

ここで興味深いのは、いわば「一面トップは大見出し!」のような新聞のレイアウトの部分から再検討しながら、つまり、ウェブの「誌面」の顔つきを具体的にプログラムする一方で、そのレイアウトに盛るべきリードを実際に考える、ということをしていることだ。

つまり、画布に描くか、彫刻を彫るか、ビデオアートにするか、というように土台となる枠組みを考えながら、同時に、そこでどのような表現を実際に込めるか、ということを考えることになる。

自由度の高い中で、ゼロベースで、どのような表現がどのような枠組みに適しているか、を考案していくことが、ウェブのジャーナリズムには求められることになる。

そのようなデザインが達成すべき目的として、Boyerが見出したのが、先述した、人々の自己統治を促す方法、というものだった。そして、自己統治、という以上、それは一種の規範性を帯びるものになる。その点は、記事の最後で、「より良いプログラムは一種の法になる」というBoyerの発言にも垣間見られる。

TwitterやFacebookの登場や、WikiLeaksのような存在がクローズアップされたのが2010年度の動きだった。

2011年度が始まる日に、そのようなウェブ上の情報流通基盤が、ジャーナリズムとどう関わり、どのような想像力の下で社会に一定の地位を築くようになったか。そのようなことを見直すのに調度良い見方をCSJの記事は与えてくれたように思う。

blog categories

all categories...

magazine / web
articles

more...

books

more...

information

FERMATは、コミュニケーションという社会の基底を与える領域の変化の徴候に照準しながら、未来のビジョンを描くことで、新たな何か=“X”、の誕生を促します。

more...