FERMAT communications visionary

September 29, 2011

op-ed / commentary


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junichi ikeda

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電子の啓蒙主義を掲げたAmazonのKindle Fire

September 29, 2011

op-ed / commentary


author
junichi ikeda

Amazonが長らく期待されていたタブレット型KindleであるKindle Fireの発売を公表した。

Amazon’s Tablet Leads To Its Store
【New York Times: September 28, 2011】

Amazon Fights the iPad With 'Fire'
【Wall Street Journal: September 29, 2011】

WSJの記事にあるように、一般のユーザーに対して最も魅力的なのは価格にあるのは間違いなく、タブレット市場を創造し牽引するAppleのiPadの499ドルに対して、Kindle Fireは199ドルであり、iPadの半額以下の値付けとなっている。

タブレットの特性として誰もが第一にイメージするタッチスクリーン機能をつけただけでなく、ストレージをクラウド型にするなど、タブレットとクラウドの、つまりは、端末とネットワークの双方から、現在最もビジネスシーンを牽引する二つの大きなトレンドを組み込んだ仕様となっている。端末というよりは、トータルな読書「サービス」の実現に力を入れているといっていいだろう。実際、Amazon CEOのジェフ・ベゾスも上のNYTの記事の中でそう明言している。

そういう姿勢が象徴的に現れているのは、Kindle FireのCMの冒頭でヴォルテールの次の一文を採用したところにも見られる。

Kindle Fire TV Commercial—Amazon's New Kindle Ad

“The instruction we find in books is like fire. We fetch it from our neighbours, kindle it at home, communicate it to others, and it becomes the property of all.”

要するに、書物の教えは、燎原の火の如く人々の間に広がり、その教えは皆のものとなる、ということだ。ヴォルテールは18世紀の啓蒙主義者の一人であり、ディドロの「百科全書」にも寄稿していた。いうまでもなく啓蒙主義の運動は、18世紀末のフランス革命を精神的に用意することになる。

(ちなみに、最初にKindle Fireという商品名を聞いたときには、どうしてFireなんだ?と疑問に思ったのだけど、このヴォルテールの引用を見て、なるほど、そうだったのか、と感じたのだった。キンドルももはや固有名詞として認識していたからすっかり忘れていたのだけど、Kindleという名前の背後にもこういう文脈があったのだと改めて感じたのだった)。

このCMの冒頭は、細かく見ると、

ペンでインクで紙に書く
→ 活字を組んで出版する
→ Kindleで電子的にpublishする

という流れで、書くこと、出版することの変遷が描かれていて、今回のKindle Fireがそうした出版文化の流れの中にあることも示していて、興味深い。

このCMの印象として、ゲームや映画のようだ、という声もあるようだが、あながちそれも外れていないと思っている。個人的には、ニコラス・ケイジが主演した『ナショナル・トレジャー』のように思えた。そこでは、アメリカ憲法の原文が物語の中心になっていたわけだけど、その歴史的文書を扱う印象とつながるように思えた。

そう思うと、先ほど啓蒙主義はフランス革命を用意したと書いたが、アメリカの場合は、より直接的に独立宣言や憲法制定の記憶を呼び覚ますのかもしれない。つまり、アメリカ建国の出発点にある動きの一つとして思い出されるということだ。

もちろん、そのようなことを想起するのは、アメリカ人でも高等教育を受けた人に限られることは間違いないのだろうが、逆に、その一種のペダンティックな部分に、AmazonがKindle発売以来想定しているユーザーイメージがあるように思われる。簡単にいうとアメリカ内外で英語の本を読む人たちというイメージだ。

いうまでもなくAmazonは本のオンライン販売事業として始まった。しかし、業容を拡大していく過程で、様々な商品を扱うようになり、今ではWal-Martのような巨大スーパーと伍するような一大流通業者に変貌した。その変貌の結果、Amazonのイメージが拡散してしまったのも事実だ。その拡散した企業像を改めて創業時のものにゆり戻そうというのが、実は、Kindle発売の狙いの一つなのかもしれない。

いってしまえば、AmazonはKindle Fireを通じて、電子の啓蒙主義を再度推し進める社会的使命を担う、というところだろうか。百科全書派のように、Kindleを使って世界に知を広く頒布させることを目指す。大型書店の多くが創業時に記した「知の頒布」の使命をウェブの時代に引き継ぐと宣言することで、社会的な大義を自分たちの側に引き寄せるということといってもいい。その意味で、今回のKindle FireのCMは、84年にAppleが出したビッグブラザーCMに類するような、メッセージ先行型の、マニフェスト型のCMといっていいと思う。

ただ、Amazonが違うところは、全くのゼロからのスタートではなく、既に世界中にユーザー層を抱えたところから始まっていることだ。iPadの半額でFireを出せるのも、Kindleという商品が、Eリーダーとして書籍を読むだけでなく、書籍の購入を(果ては他のAmazonで取り扱う商品を)促す個人用販売窓口でもあるからだ。

個人的には、DVDプレイヤーの登場初期を思い出す。単体のDVD再生機が10万円を超える価格帯で販売されていたところで、確か2-3万円で売られていたプレイステーションのようなゲーム機がDVD「も」再生できた。いうまでもなくゲーム機はソフトの売上からのキャッシュ・フローも期待できたため、同じ効用を桁が一つ違う値段で実現することができた。

Kindle Fireは、映像や音楽のコンテントのビューアーとしても使えるようになっているが、大事なことは、いまのところ、Eリーダーとしての性格が第一に位置づけられているところだ。そのため、最初からペイメントの仕組みを組み込み、かつ、ユーザーもそれが前提で購入する。ペイメントの仕組みが大前提になっているところが、他のタブレットと大いに異なるわけだ。

AmazonはKindle Fireの販売を通じて、啓蒙主義の役割を引き継ぐという社会的大義を引き受け、その実現のためにKindleを販売する。そのKindleはペイメントの仕組みを標準装備することで更なる知の頒布を促すツールとなる。

啓蒙主義というイメージは直接的には百科全書的な書物のイメージから始まったのだろうが、図らずも昨今の時勢と呼応するところがある。アラブ革命のように実際に民主的な動きが起こり、ユーロ危機やアメリカ財政危機のような経済的混乱が起こっている。そのような混乱の中でこそ啓蒙的活動も現実的意味を持つのだろう。Kindle Fireへの期待がアメリカ国外の方でより盛り上がっているように見えるのも、そうしたことが理由の一つとしてあるのかもしれない。

おそらくKindle FireはAmazonが想定した以上にKindleのイメージを膨張させているのだろう。その膨張をただの象徴バブルに終わらせるか、それともリアルな実績として事実化させるのか。Amazonがどこまで本気なのか、注目したい。

それにしても、今回の件で、ますますジョブズとシュミットの引退後の世界で活躍する人物としてジェフ・ベゾスの株が上がったように感じる。この感覚ももうしばらく温めておきたいと思う。

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