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February 08, 2012

op-ed / commentary


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junichi ikeda

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G-mail manとプライバシー

February 08, 2012

op-ed / commentary


author
junichi ikeda

Googleの統合プライバシーポリシーを受けて、MicrosoftがG-Mail Manというビデオを公開した。

Microsoft Continues Sniping at Google’s Snooping
【Wall Street Journal: February 2, 2012】

肝心のG-Mail Manのビデオは次で見られる。

Gmail Man

といっても、このビデオ自体は、どうやら去年の7月にはアップされていたらしい。とはいえ、Googleの統合プライバシーポリシーの発表のほぼ直後に、しかも、そのGoogle傘下のYouTubeにアップしてきているところが、二重にシニカルだ。“Don’t be evil”を社是とするGoogleからすれば、自社に対する批判的でネガティブなビデオがあっても、それを取り除くことなどできないだろうから。そうして、相手のターフに入って公然と批判してみせることで、いわば(MicrosoftがGoogleという)鬼の首を取ったり、というメッセージも同時に伝わるわけで。一本取ったり、というか。うまい。ニヤリとさせられる。何よりも笑える。フォーマットはどうみても定番のシットコムなわけで。

こういうPRができるところは、有名なところでではペプシとコカのコーラ戦争以来の、パブリックスペースでのネガティブキャンペーンの経験値のなせるわざといえそうだ。そういえば、今回のSuper Bowlアドでも、相変わらずペプシはコカを茶化すようなCMを流していたし。

あるいは、広告に限らず、Saturday Night Liveに代表されるような、社会風刺、政治風刺の表現の伝統があるのも大きい。公の場で公然と批判する。しかし、そのような所作は当然敵も作りうる。だからこそ、できるだけ笑いの中にくるんだものとする。直接的なメッセージだけなら、これはひどい!と金切り声のように連呼するだけになるところを、見かけを含めて二重・三重にメッセージを畳み込むあたりは、やはり伝統の上に成り立つ風刺の文化というしかないように思えてくる。ある意味で、言葉で真剣に喧嘩をし、時にその言葉によって本当に傷ついたり、社会的惨事を引き起こしたりしてきたからこそ醸成されてきた、言わずに済ませることを避けるための、巧妙な表現手法の文化があればこその出来事だ。

上のビデオにしても、mail-manならぬG-mail-manというキャラを作って全編をコミカルな構成にしている。細かいところを見れば、色々なレトリックを見てとれる。たとえば、G-mail manの所業に対して最初に悲鳴を上げるのが少女であるが、そこでは子供は嘘をつかないことがコードとして扱われる。いや、子供が言ったことには目くじら立てない(立てられない)コードというべきか。

ところで、当のGoogleの統合プライバシーポリシーについては、それが発表された時に、ちょっと疑問に思ったことは確かだ。というのも、2000年前後に頻繁に起こった、それまで異なる業界と思われていた金融系の会社、すなわち、貯蓄銀行、生保、損保、投資銀行、などが合併した時に、今まで別々に持っていた顧客情報をデータベースとして一つに統合するのはプライバシー保護の観点から適切なのか、という問が示されていたことがあったからだ。実際、留学時のロースクールの授業や講演会でそのような話題を何度も見かけた。容易に想像が付くと思うが、貯蓄額や収入という情報と保険の情報が掛け合わせると、企業にとっては幾つか有益な知見を得ることができ、それに基づき何らかの行動を起こすことも可能だ。確か、議論としてあったのは、そのような情報を交差させた分析はどの程度まで許容出来るのか、ということだった。もしも、これに制約をつけようとするなら、端的に言って、データベースの規模を指定して、一定規模を越えたデータベースについては、その統合を禁じるという方向に向かってもいいわけだ。そのような議論が当時なされていたように思う。

そういう経験からすると、今回のGoogleの統合プライバシーポリシーについて、同様の議論が起こっているのかどうか、が気になった(きちんと調べればきっとしかるべきロースクールや団体で検討していると思うが、今はちょっとわからない)。ただ、ウェブは今でも成長途上にあると一般には理解されているので、今回のGoogleのような動きを直接ルールによって予め縛るのは容易ではないだろう。そのため、当局が事態を知るのはどうしても事後になりがちだからだ。

その意味では、具体的に他の選択肢が示されることが大事であり、今回であれば、Microsoftが、プライバシーを統合しないHotmailを提示してきたわけだ。となると、やはり競合状況が維持されているのは大切だ、ということになる。制度や法律を理念的に記すだけでは不十分で、どうしても現実的な実装や実行が必要となるからだ。

そして、このMicrosoftとGoogleの争いは、初見以上に様々な争点、というか、両社のそれこそ企業としての成り立ちの違いを反映しているように見える。

Googleが統合ポリシーを示してきたのは、G-mail manのビデオが示したように、それが広告的利用にどうしても必要だからだ。Googleの収益は基本的にウェブ上の広告から成り立っている。その点で、テレビや新聞等のメディア企業と変わらない。このあたりの、Googleをメディア企業として見る話は、シヴァ・ヴァイディアナサンの“The Googlization of Everything”という本に詳しい(ちなみに本書は最近『グーグル化の見えざる代償』というタイトルで邦訳が出ている。先に言っておくと、この本の帯には簡単な推薦文を寄せている。一応disclaimerとして記しておく)。広告の展開に統合データベースがどうしても必要だ、ということになる。

一方のMicrosoftの収益源は未だにオフィスとウインドウズであり、かつての独禁法訴訟もあって、たとえば、ウインドウズとエクスプローラの統合は禁止されている。しかし、Googleの場合は、Chromeを見ればわかるように、ブラウザを基点にしてクラウド・コンピューティングを先導しているわけで、この点では統合環境をより作りやすくしている。つまり、収益構造の点や、制度的制約の点で、似たようなサービスを提供していても、GoogleとMicrosoftは大いに異なる基盤の上に成立している。

ここで事態を複雑にしているのは、Googleからみればウェブ上の仮想敵はFacebookであることだ。Facebookがそのサービスの特性から、最初からユーザーIDでログインすることが求められる。つまり、最初から各種サービスが一元的に統合されている。それに対して、もともとは検索から入ったGoogleはそうではない。だから、ボトムアップでバラバラに提供していたサービスを集約させる手続きがいる。それが、今までのGoogleの企業行動の印象(ウェブの自由をできるだけ尊重する)と異なるように見えてしまう。しかもタイミングとしても、こうした動きが生じているのは、CEOがエリック・シュミットからラリー・ペイジに移ってからのことで、その分、本当にポリシーが変わってしまったのでないか、とすら想像で来てしまうところだ。だからこそ、“Don’t be evil”に対する非難の強度も増してしまう。

ともあれ、このような一般の印象操作の部分は差し引いても、統合プライバシーポリシーに疑問を持つ場合は、ユーザーの側でさしあたっては自衛策と思えることをするしかない。その意味でも具体的な選択肢が提出されることは大事なことだ。

それにしても、かつてEvil Empireと呼ばれたMicrosoftが、“Don’t be evil”を掲げるGoogleを風刺する事態が来るのは何ともいえない所がある。Appleの再興を含めて、確かにこの業界は10年間で景観が全く変わってしまう。その意味では、近々上場し企業として大人の仲間入りをするFacebookの参画で、その景観がさらにまた大きく変わってしまうのかもしれない。となると、次は、どの会社がどの会社を風刺してくるのだろうか。

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