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March 05, 2018

op-ed / commentary


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junichi ikeda

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顧客第一主義としての「アメリカ・ファースト」

March 05, 2018

op-ed / commentary


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junichi ikeda

アメリカでは、第90回アカデミー賞の授賞式が行われる2018年3月4日に、イタリアでは総選挙が行われている。雑誌The Atlanticで見かけた次の記事によると、欧州の他国と同様、イタリアでもポピュリズム旋風が吹き荒れている。

Italy's Messy Politics Are No Longer Local
【The Atlantic: March 2, 2018】

2016年のイギリスのBrexitの動きや、2017年のフランスやドイツの選挙でもすでに見られていたように、欧州の場合、自国主義をうたうポピュリズムが台頭する背景には、具体的にEUというわかりやすい「国を超える」存在がある。上のAtlanticの記事でも“the Italian First”というモットーが扱われているけれど、いわば本来なら自由であるはずの自分たちの頭を押さえつける厄介な存在としてEUが位置づけられている。

欧州の政治家やエスタブリッシュメント階級からすれば欧州大陸の歴史は戦争の繰り返しであり、とりわけ20世紀前半の2つの大戦はひどかった。だから、そのような戦乱の火種となるような経済的利害を巡る対立が二度と起こらぬよう、予め相互議論をする場をつくっておこうというのがEUの出発点だった。

だから何よりもEUは域内の平和維持のためのものだったはずなのだが、戦乱の歴史と同じようにローマ帝国や神聖ローマ帝国のように「一強による帝国的支配」の歴史も抱える欧州では、EUがある層にとってはむしろ圧迫を与える存在に見えるようになってしまった。少なくとも、そのような抑圧的な存在としてEUを捉える言葉が心に刺さってしまう人たちも登場しているということだ。それが欧州の各国で「自分たちファースト」という言葉が意味を持つ現象が起きている理由の一つなのだろう。


ところで、この「イタリアン・ファースト」という言葉を見ていて、ああなるほどと、一つ合点がいったのが、2016年の大統領選からドナルド・トランプが掲げていた“the America First”という言葉だった。

「アメリカ・ファースト」というから、この言葉は、しばしばアメリカの「国益」が大事だという主張と解釈されがちだが、これは正確には「アメリカン・ファースト」、すなわち「アメリカ人ファースト」というものだったことになる。つまり「国益第一」ではなく「人びと第一」ということになる。そして、この言葉を使ったトランプが、政治家の経験は一度もない実業家であったことを思うと、加えて彼が、ビジネス指南塾のリアリティショーの「ザ・アプレンティス」のホストであったことを思い出すと、この言葉を発するトランプ以上に、受け手の一般の人びと(=視聴者)にとっては、「アメリカ・ファースト」という言葉は、企業がマーケティングで使う「顧客第一主義」のように響いていたのではないだろうか。その限りで、「アメリカン・ファースト」、つまり「アメリカ国民最優先」という意味だった。

裏返すと、「国益優先」ではなく「国民優先」になるのが当然であると思われるくらい、(アメリカのみならずどこの国でも)いまや政府とは、「領域内の人びと(=国民=ネイション)に向けて等しく公的サービスを供給してくれる大組織」として受け止められていることの現れなのだろう。

実際、多くの人びとにとって政府とは、具体的には、各種手続きや公文書の発行依頼などの「窓口」となる存在であり、その限りでまさに「サービス提供主体」である(実際、日本の役所でも、最近では銀行のように「お客様」と呼ばれることが多くなった)。要するに、公的サービスを供給するプラットフォームなのである。

もちろん、そのような「公共サービス提供機構」としての政府観が定着した背後には、デモクラシーや国民主権という理念の浸透と、それらの行使機会として選挙というイベントが多くの国で定着したからなのだろう。

ところで、企業の間で「顧客第一主義」がモットーとして掲げられるようになったのは、もともとは70年代以降、欧米を中心とした西側世界が低成長経済時代に入り、放っておいても作れば勝手に商品が売れていく時代が終わり、最低でも販売量を維持し、できれば増やさないことには、企業が破綻してしまうから、という理由からだった。つまり、「顧客第一主義」には、それを掲げる企業にとっては、売上の増大、という具体的意味があった。売り手(=企業)にも買い手(=顧客)にも双方にそれらを支持する理由があった。ウィンウィンとなる条件だった。

こうして企業の側から提唱された「顧客第一主義」の風潮が定着してきたところで、ウェブが登場し普及することで、顧客第一主義とは、典型的にはAmazonに見れるように、「欲しいものをすぐに届けてくれる」サービスとしてはまずはイメージされることになった。「迅速性」が当たり前になったのが現代であり、こうして人びとは、「堪え性のない消費者=有権者」となった。その感覚が日常的になれば、政治の場面において、公約が一向に叶えられないことに対して単純に不満は募るし、ウェブ以後では、その不満が簡単に集約され増幅されるメディア環境も定着した。

もともと公約とは、約束だから、将来において実現されると一応は期待できると同時に、その全てが即座に実現できるものではない。そう捉えると、本来的に空手形としての性格を持つ。となると、これは『〈ポスト・トゥルース〉アメリカの誕生』の中でも書いたことだけど、そんな空手形であるのなら、選挙で勝とうと思うなら、いっそ大言壮語の「バカでかい」もののほうがいいに決まっているわけで、それを臆面もなく実演したのがトランプだったことになる。

実のところ、目標として「アメリカ・ファースト」という言葉を使うかどうかはともなく、アメリカ社会において、戦後の経済成長を支えたミドルクラスの人びとの経済的地盤が沈下していることは80年代初頭から言われていたことだった(今の中国にあたる、当時のアメリカの敵はドイツであり日本だった)。そのミドルクラスへの対処に現職の政治家が実際には手を付けられずじまいになっていたところで、それをあっさり言ってのけたのがトランプだった(正確にはサンダースもその一人)。

トランプが、大統領就任後も変わらずツイッターを使っているのも、「顧客第一主義」の観点から見たならば、商品お買上げ以後のフォローアップを忘れないということであり、同時に、一種の苦情処理の機会として捉えている。

こんなことを考えてしまうのは、フロリダの高校銃撃事件によって2月半ば以降、アメリカでは銃規制を巡る議論が、その少し前の#MeTooムーブメントと同じような盛り上がり=モメンタムを得ていた中で、3月に入って、その流れを断ち切るかのように、トランプが経済保護主義的な関税の話題を取り出してきているからだ。

その結果、再び、「貿易戦争(Trade War)」という表現で、自由貿易協定を巡る議論が話題になっているわけだが、そこでも「アメリカ・ファースト」を「アメリカン・ファースト」とあえて律儀に読み替える操作が必要な気がする。そうすることで、顧客第一主義の視点が、つまり、政治的行動の実演者ではなく、その受益者=視聴者たる「一般の人びと」の視点を確保することができ、その上で、彼らの理解のニュアンスを知ることができると思うからだ。

これは『アメリカを動かす『ホワイト・ワーキング・クラス』という人々』という本でも触れていたことだけど、外交や国家運営のことなどどこ吹く風の、普通のワーキングクラスからすると、たとえば、減税も、大企業が私腹を肥やすだけ――たとえば減税分を投資に廻すのではなく自社株買いの原資に用いるなど――などと悲観的には考えずに、自分たちの雇用主である地方の中規模サイズの企業に余裕ができて雇用が増えるから、あるいは自分の給料が上がる、というように、ある意味でとても都合よく考えてしまう。こうした「実感」、ないしは「実感できそうだという期待」が、彼らにとっての「アメリカ(ン)・ファースト」のニュアンスなのだ。

その意味では、保守主義が実のところ普通の人びとにとっての意味合いから「生活保守主義」という内実に変わったのと同じように、「アメリカ・ファースト」という言葉からしばしば連想されるナショナリズムという言葉も、「国家第一主義」とういうような、政治を論じるのが仕事の人びと(政治家、政治学者、政治記者等)にとっての伝統的なハードな意味ではなく、「国民第一主義」のような一般の人びとの視点に立ったものとしてまずは理解し直すべき時なのではないだろうか。

少なくとも大統領就任後の、過去1年間におけるドナルド・トランプという、従来のアメリカ政治からすればイレギュラーな大統領の様子を見ていると、彼は大統領として政治の世界で何かを成し遂げたいというよりも、連邦議会に物申したい「普通の人びと」の最前線に立って。彼らの意向(というよりも文句)を代弁していることに、もはや専念しようとしているようにも思えるからだ。

だからトランプの場合、“Mr. President”といっても、訳語としては「大統領閣下」でなく「会長様」なのだ。大企業の上がりのポストの「会長」様なら、下々の者たちに指示をだすだけでいい。トランプにとって、自分が任命したキャビネット(閣議)よりも、予算決定権を握る連邦議会こそが経営・財務部門であり、下院議長のポール・ライアンはさしずめCEO、上院筆頭のミッチ・マコネルはCOOである。もっともこの二人の任命権はも会長にはないので、実のところ、なんでもかんでも意のままに従ってくれるわけでもない。

そう考えると、「アメリカ・ファースト」という言葉を、90年代初頭に使ったパット・ブキャナンのように、冷戦時代のような米軍が世界の警察を担うのはやめよう・・・であるとか、2016年の共和党の党大会で演説したピーター・ティールのように、中東の戦争をするよりも、それこそ「空飛ぶ自動車」を実現するような国家経済に巨大なインパクトを与えるような(その意味で「富国」につながるような)事業に資金を使おう・・・であるといった、「アメリカの国益を第一にする」ものとして、トランプの言う(そしていわゆるポピュリストの言う)「アメリカ・ファースト」と捉えても詮無いということだ。あくまでも「アメリカ人ファースト」というもの。キャッチフレーズとしての「お客様第一です!」なのである。そのニュアンスを嗅ぎ取った無党派層や民主党支持層が相当数いたからこそ、トランプは大統領選で勝利するほどの支持を得られたのではないだろうか。

その意味ではオバマ政権において、国務長官として、まさに「国益」の確保のための最前線たる外交の現場の舵取りを担っていたヒラリー・クリントンにとっては、トランプとは、どうしようもないくらい相性の悪い相手だったことになる。「顧客第一主義」の「アメリカ・ファースト」という意味でなら、確かにヒラリーよりもサンダースのほうが善戦できたのかもしれない。

とまれ、こんなことを、イタリアの動き、「イタリアン・ファースト」という言葉から感じたのだった。「アメリカ・ファースト」とは、実際には「アメリカン・ファースト」のことであり、それは、その言葉を発する実業家出身のトランプも、その言葉を受取るアメリカの普通の人びとも、ともにマーケティング的なニュアンスの「顧客=私たち第一主義」として受け止めている。それは現代が、政府とはなによりも公的サービスを提供する事業体としてみなされる時代だからであり、なんであれ事業体に物申すのが当たり前になったウェブ時代の心性の現れといえる。それゆえ「XXXXファースト」を謳う運動は、確かにウェブ以後の、現代的な現象なのである。

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