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Pixar Exibition @ MoMA

現在、MoMAでは、Pixarの20周年記念の回顧展をしている。

Pixarは、CGアニメーション・スタジオで、Toy Storyで世界最初のフルCGアニメ映画を製作したところ。AppleのCEOであるSteve JobsがCEOを務めている。

最近だと、Finding NemoやIncrediblesで大当たりし、配給先のDisneyの興行収入には大貢献している。PixarとDisneyの関係にひびが入ったと報道されると、Disneyの株価にも如実に影響を及ぼすような存在。

Pixarは実は、もともとは、Star Warsシリーズで有名なGeorge Lucasが設立した。設立時の目的は、特撮に変わる安価な視覚効果の生成だった。その後、Lucasは離婚調停金の確保のために資金が必要になり、この黎明期のCG部門を売却した。その買い手がSteve Jobsであったということ。

さて、Pixarの展示(というか、アニメーション技能の紹介フィルム)を見ると、同じCGアニメといっても、日本がマンガ→アニメ→CGの利用、という流れで今日に至っている(この流れの亜種としてゲーム用のCGというのがあるのだけど)のに対して、アメリカの場合は、特殊撮影、とりわけ視覚効果の作りこみの世界から、CGアニメに向かったのだと感じさせられた。つまり、アメリカの場合、映画→特撮→CGアニメ、という流れ、ということ。

時が時なら、つまりLucasが離婚していなかったら、Pixarは今頃、Star Warsを製作したILM(Industrial Light Magic)の一部門の筈だから、出自からして特撮なのだ、ということもできるのだけど、そんな経緯を知らなくても、実際にMoMAの展示を見ると、出自がマンガじゃなくて特撮だというのがよくわかる。

遠近法をとことんまで問い詰めた、計算された構図。どうやったら、映像の動きとともに恐怖感や疑念を生じさせるようにすればよいか、そのカメラ的構図。ハリウッド系の遊園地(ディズニーランドやユニバーサル・スタジオ)に行けば必ず見つけるバーチャルライドで見かけるような、カメラに仮託された「私たちの視覚」の不安な再現。こうした、カメラ/撮影の修辞法を駆使した映像が、コンピュータを通じて生成されている。

加えて、CG内で登場するクリーチャーは、絵による設定集だけでなく、実際にフィギュアとして製作されて、それを基にして、ポリゴンをつくり、彼らの動きを作っていく。ここでも、物理的な、3次元の存在、動きが最初に措定され、それをいかにして、二次元の画面上で活用するか、に腐心することになる。

Pixarの展示はなかなかに面白かった。

かつてスクエアが、ファイナルファンタジーをCGアニメ化して、興行的には失敗したけど、それは、たぶん、上記のような、CGの利用のされ方の文脈を逸脱していたからなんだろうな、と思う。とすると、ソニーのプレステ3というのは、今まで以上に苦戦するかもしれない。なぜなら、CGをリアルにしたときの、リアルさのベースにあるものが、映画的遠近法のほうが、日本アニメ的見立ての動きよりも、少なくとも世界市場においては、ユニバーサルなものだから。もしかしたら、X-Boxの方に風が吹くのかもしれない。

で、いわゆる、日本でけたたましいコンテンツ政策の文脈でいくと、CG化を進める以前に、日本のアニメ的動きの理解の仕方を、もっとユニバーサルにするほうがいいのかもしれない。だから、宮崎アニメが世界でうまくいった、というのも、物語的文脈ではなく、むしろ、その形式面、つまり、(遠近法を度外視した)製作ノウハウの部分に焦点が向かうようにすべきだと思う。

というのも、物語的文脈で捉えられると、西欧人の持つオリエンタリズム的解釈に容易に回収されてしまい、日本の作品が評価されるには、それが西欧人の解釈の「日本」であることの反復を、おのずから強要されてしまうことになりかねないから(いまだに、日本の表象は、サムライであり、フジヤマであり、ゲイシャなのは、最近の、ハリウッド映画を見てもわかること)。

日本でも、いくつか翻訳がされているけど、アメリカ人のアニメ研究者って、大体が日本研究を出自にしている。彼らは、僕らだったら信じれらないような日本の古典にも造詣が深い(枕草子、源氏物語、などはイロハのイ)。日本語というマイナーな言語を学ぶ人の母数の少なさも含めて、日本解釈が必然的にオリエンタリズム的解釈循環に巻き込まれることはもはや必然的なことといえる。

だから、そうした物語的解釈ではない文脈での「紹介」こそが、振興策としては必要に思う。

Star Warsの制作秘話の中で、ヨーダの動きを作る際、遠近法的、物理的ルールは無視して、とにかく、かっこよく、ヨーダのマントをたなびかせろ、というのがあった。こういうのこそ、ねらい目じゃないのか。

・・・と、Pixarから随分遠くに至ってしまったものだ。

author: junichi ikeda

CONCEPT

FERMATは、コミュニケーションという社会の基底を与える領域の変化の徴候に照準しながら、未来のビジョンを描くことで、新たな何か=“X”、の誕生を促します。