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Critical Theory

ポストモダンを、文化活動に限定できる、英米系の不思議さ。


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大陸系哲学は、英米では(文学)批評=批評理論、というカテゴリーとして認識される。

あるいは、文化理論として、飼いならされることになる。

政体がイギリスだと400年(でいいのか?)、アメリカだと(建国以来)200年、続いている英米では、背景に端的な事実としての保守性がある。だからなのかもしれないが、リベラルな言説も、そうした強固な保守的基盤があればこそ、容認できるのだろう。そして、「Xからの解放」を(今更ながら)唱える、大陸系(≒仏独系)の言説も、広い意味では、そうした解放の言説の一部に組み込まれる。端的に、文化解釈のツールとして位置づけられることになる、らしい。

裏返すと、こうした言説自体は、決して政治的なものに最終的には影響を与えない、という信念(これが、自文化主義なのかもしれないが)が、広く共有されているからなのかもしれない。

以前、NYに住んでいた時、日本のような浮いた感じ(これは世俗的には「ポストモダン」と日本では称される)がしなくて、個人としての暫定的な見方としては、アメリカはモダンな国だと結論を出したことがあるが、これとも関わる話なのだろう。

日本の言説は(たとえばマスメディアの取り上げられ方では)、宗教が違うと、例えばムスリムに対しては、僕らと文化が違う、と断言するところから記述がスタートする。その一方で、アメリカをはじめとする先進国というところとは、物質的な生活水準が同じだから、なんとなく同じ生活をしていると思いがちで、そうした目線で多くの雑誌の記事が書かれていると思う。

けれども、もしかしたら、アメリカも、ムスリム同様、相当違うものなのだ、というところから、見直してもいいフェーズに入っているように思える。

author: junichi ikeda

CONCEPT

FERMATは、コミュニケーションという社会の基底を与える領域の変化の徴候に照準しながら、未来のビジョンを描くことで、新たな何か=“X”、の誕生を促します。