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『エンドレスエイト』-もうひとつの涼宮ハルヒの世界

三年ぶりに新作を提供することになった『涼宮ハルヒの憂鬱』。

で、新作部分の3作目に当たる

涼宮ハルヒの憂鬱 第13話 『エンドレスエイト』 (一応2?)

*

なるほど。

『エンドレスエイト』、
前回と今回の2話で終わると思ったら、どうやら来週も続きがあるらしい。

ということで、
原作は、15498回目でループから脱出したわけだけど、
今回のテレビシリーズでは、15499回目でループを脱出することになるのかな?

ということは、視聴者=読者としては、

15498回目でループから脱出した涼宮ワールド (世界A)

15499回目でループから脱出した涼宮ワールド (世界B)

の二つの世界を得ることになる。

つまり、来週の『エンドレスエイト』の終幕からの世界は、
原作既読者の知る「世界A」とは微妙に異なる世界=「世界B」を見せられることになる。

そうして、エンドレスエイト後の涼宮ワールドは、二つの物語の流れができることになる。

だから、ここから先は、原作既読者からしても、
「ああ、それ、あの話でしょ?」
なんて言っていられなくなる、ってことだろう。

で、おそらくは、「世界A」の話(原作小説版)と「世界B」の話(今回のテレビシリーズ版)が、並行して交錯する話が、『涼宮ハルヒの分裂』の続編(『驚愕』?)につながるって仕掛けになるのではないか。

つまり、今回の「エンドレスエイト」を経由して、原作とは異なる物語に「分岐」していく、ということ。

*

冷静に考えれば、3年前にあれだけ大ヒットしたシリーズなわけだから、当然、原作本を買ったり借りたりして読んだ人間は多数いて、その人たちからすれば、良くも悪くも、原作通りの展開ならば、もう話は既に知っているよ、と、今回のエピソードのキョンよろしく「デジャビュ」だった、とかいって、ゆるい接触の仕方しかされない可能性は極めて高い。

実際、私なんかは、最初のシリーズは、どうやら人気があるらしいと聞いて、へぇ、と思いながら見た覚えがある。だから、初見の時は、3年前のOP冒頭に出てくる中学時代のハルヒや七夕のエピソードとか全然意味判らないまま見ていて、それでも素朴にテレビシリーズ自体は楽しめた。

で、お約束通り、原作本を読むに至り、それで「笹の葉ラプソディ」を読んで『消失』も読んで、・・・、という具合に、後から原作の知識で補って、テレビシリーズを理解していた。

この頃、ハルヒに限らず、いわゆるラノベ、というか、メディアミックスを前提にしたノベルスを集中的に読んで、日本でどういう状況にあるか感覚的に理解しようと努めていた。昔何かで読んだ記憶があるが、確か蓮実重彦がジャンルに隠れた形式を感得するにはとにかく数をこなせ、といっていたはずで。

今は逆輸入されていて日本でもだいぶ目にするようになったけど、NYにいた頃、Barns & Nobleなどの大きな書店には『ドラゴンボール』を始めとする日本のコミックスの英語版を目にすることがしばしばあった。というか、日本の「同時代の文化」はコミックスがほとんどで、あとは、村上春樹の英訳本があるくらい(加えれば、NYの地下鉄やスーパーで、普通に子供がDSで遊んでいたことも)。

こういう状況は知ってはいたけど、実際に目の当たりにするといろいろと考えさせられたのは確か。それもあって、帰国後はもうちょっと真剣にちゃんと、この分野も見てみようと思っていた。コンテントジャンルの理解には、「知識」と「教養」は不可欠で、それがあればこそ、ジャンルの理解のための解像度もあがるし、微細なチューニングポイントも理解できるから。

ということで、帰国後、ユリイカで特集された西尾維新や米澤穂信、それに、辻村深月や桜庭一樹も読んだ。西尾から遡る形で、森博嗣、京極夏彦あたりも。この手の出版物はジャンルの再生産に携わる人たちがジャンル毎に没交渉の島をつくっている世界だったのだが、渡米中の2年間ぐらいがちょうどネットの普及とコンテント振興が盛んの頃で、随分とジャンルミックスが進んだようだった。いうまでもなく、こうした物語のストックが、ハリウッドでいえば、scripted-dramaに相当する世界の再生産を可能にしている。


とまれ、もとにもどると、だから、今回のシリーズの「笹の葉ラプソディ」の回も、予想もしていなかった新作(そもそも再放送だとばかり思っていたからノーチェックだったし)だったので、ようやく新作かと驚いたものだが、しかし、話の流れについては、既読だったので、当たり前のことながら、デジャビュだった。

あれ、これ、見たこと無かったっけ?、と。

*

きっと今回のテレビシリーズは、こうした私のような既読者の存在も読十分読み込んだ上で、既読者層に対しても、パラレルワールドを提供する、というのが狙いなのではないか。

であれば(なんだか古泉調だけど(笑))、今後は、全くの新作が挟まれる可能性もあるし、原作の話をうまく改変してくるのかもしれないし、そう思わせておいて、全く原作通りの回も出てくるかもしれない。

いずれにせよ、見る側からすれば、原作通りでしょ、と高を括っていられなくなる。

このあたりのミスディレクションの喚起は、シリーズ構成上、上手い。

特に、『陰謀』ででてきた、鶴屋家のオーバーテクノロジー遺産のエピソードあたりは、いろいろと脚色し直して今回のテレビシリーズに放り込むにはもってこいのネタだろうし。

原作既読者からすれば、シリーズ全体の謎となっている、

●未来人+宇宙人+超能力者、の二つの勢力の対立

●鶴屋家の謎、鶴屋さん自身の謎

●朝比奈さん(大)は本当にラスボスなのか

●未登場の「異世界人」は誰か(キョン説は正しいのか)

などの、大きな謎にちょっとでも話題を振ってくれないと、あまりサプライズはなくなってしまうので、単に、涼宮ワールドのキャラが好きだ、っていう人以外には到達しにくいシリーズになってしまう。で、こうした誘因要素がなければ、さすがに商業的には厳しいことになるだろうし。

読者も視聴者も、三年経ったらそれなりに成長しちゃいますからね。

で、こう考えれば、『分裂』の後の続編が出てこないのもわからない話ではない。今回のテレビシリーズの別解釈なり、解決編なりになるのかもしれないのだから。

原作がメタ構造をもった小説であることを考えると、これも十分あり得る話かと。

*

ということで、来週以降の『涼宮ハルヒ』に期待。


あと、さーっとブログとか見て回っても触れている人がいないから、今更ながら触れるけど。

「エンドレスエイト」のエイト=8は、
無限大=∞、のことも指している。

単純に無限ループを表しているのと、それに加えて、後日、古泉がどこかで語っていたと思うけど(確か『陰謀』)、二つの世界(≒円)の交叉点をも表している。

単に8月が終わらない、というだけなら、エイトじゃなくてAugustを使えばいい訳だから。

というわけで、今回のテレビシリーズの「エンドレスエイト」は、先述した世界Aと世界Bとの交叉点に当たる、ということなのだろう。


もし上で書いた通りだとしたら、うーん、京アニ、というか、角川、よく考えてるなあと、感心する。

もちろん、原作通り、世界Aに突入する可能性もあるけれど。

ということで、次回が楽しみ。


*

余談だけどついでに。

そもそも、ここに書いたように「次回を予測する」ようなブログ・エントリーを次回までの間にいろいろと書かせるような仕組みは、ウェブ以後の物語のシリーズ構成上、大切な要素。

作中にミスディレクションとなる要素やお決まりのフラグを埋め込むことで、物語の今後の可能性について、ああだこうだ、いわせることは、それこそバズのためにも大切なこと。

もっとも、この「ああだこうだ」はアメリカのscripted-dramaの世界では結構シナリオライター泣かせでもあり、たとえば、ドラマシリーズ“HEROS”の作者などは、物語の途中でいろいろと批評されるのはたまらない、と表明していたりする。シリーズの最後まで見て判断してくれ、と。

そういう意味では、制作者とファンダムたる受け手の間のキャッチボールも、ウェブ登場以後はずいぶん変わっているわけで、それは、必然的に、シリーズ(ドラマ)の物語構成に影響を与えないではいられない、ということになる。

こういう点でも、上の新シリーズの『涼宮ハルヒ』は興味深いと思う。

author: junichi ikeda

CONCEPT

FERMATは、コミュニケーションという社会の基底を与える領域の変化の徴候に照準しながら、未来のビジョンを描くことで、新たな何か=“X”、の誕生を促します。