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《ジャクソン以後》の世界: マスカルチャーなき世界

マイケル・ジャクソン(MJ)が他界してから10日ほどが過ぎた。

さすがは、King of Popといわれた人物だけのことはあって、この間、連日、MJについて何ごとも報道されない日はなかった。夥しい数の言説でネットは溢れている。

報道内容は多岐にわたる。

当日のMJの様子をドキュメンタリーのように伝えるもの。
MJの死因が何か探究するもの。

MJの生涯を駆け足でまとめたもの。
MJの偉業を紹介したもの。
MJの醜聞を記したもの。
MJの遺産(とその分配)について触れたもの。

そして、MJの死を悼む人々の様子を、世界中の各地から伝えたもの。
中でも、NY、LA、そしてインディアナのMJの生地の様子を伝えるもの。

MJによって、ウェブやTwitterの負荷がどれだか上がったかも伝えられていた。

つまり、彼の死がどれだけの衝撃を与えたか、それを量的にも質的にも同定しようと、数多の言葉が紡がれたわけだ。

さすがは、余人に代え難い人物一人が亡くなっただけのことはある。
合計すればとんでもない情報量になるであろうが、個々のエピソードはいずれも興味深いものばかり。

*

とはいえ、こうした多数の記事の中で、気になったのは、MJの死後、わりと早いタイミングで書かれた次の記事。

After Jackson, Fame May Never Be the Same
【New York Times: June 27, 2009】

「MJの死」の第一報が伝えられた直後ほどの「沸騰ぶり」はないが、だからといって、彼の死を客観的に捉えて総括しようというほど「冷静さ」をもつのでもない。

「MJの死」がもたらした人々への衝撃を、マンハッタンのユニオンスクエアに集まった人々の様子をスケッチしながらも、その目撃現場からMJの死後の自分たちの世界を想像してしまう。その現場性、臨場感が、新聞記事であるにもかかわらず、ちょっとした感傷性を伴いながら、ある種の幻想性、幻視感を出しているようで、読み物としても興味深い。

(こういう記事は日本ではみかけない。
文学的なフレーバーと報道的なフレーバーが交叉している。
そういう点で、とてもアメリカ的な記事。)

*

ユニオンスクエアに集まった人々が自発的にサークルをつくり、その場で、MJのパフォーマンスのまねごとをしながら、彼の死を悼む。自然発生的な追悼の場が、そこで形成される。

記事の書き手は、この様子を見ながら疑問を感じる。こんな場面は今後(=MJの死後)いつ起こるのだろうか。こんな光景(人々を集め、抱き合わせ、踊りさえさせてしまう)を起こさせてしまうような“pop culture figure”はいつ現れるのだろうか。

いうまでもなく、これは修辞疑問であり、書き手は、こんなことはもう起こらないだろうと予感している。その予感の背後にあるのは、MJが最後の、ポップ=大衆に受け入れられた文化的な人物だから、という認識だ。

(実際に上の記事を読んで欲しいところだが、ここから先は、私なりの解釈や想像を交えたものを記す。)

書き手がそう感じさせているのは、主には、MJの時代(≒80年代半ばから90年代はじめ)と、今、そして近未来では、人々を「つなげる」ための環境や基盤が全く異なっているから。マイケル・ジャクソンは、メディアが多様化しグローバル化しようとするまさにそのときに、その波に乗ることができた。ケーブルが普及し始め、MTVが登場し、ビデオクリップいう映像と音楽のハイブリッド形態の表現様式が登場し、衛星放送を通じてこれら映像文化がアメリカの国境を越えて潜在的には世界中に流れることが可能となる、そうした「メディアの変革」の時代の最先鋒だった。

けれども、人々の音楽に対する認識の仕方、映像の受け止め方、などは、メディアが普及するスピードに同期して変わるわけではない。むしろ、一拍遅れるのが常である。だから、MJは、ケーブルやMTVという新しいビークルで紹介されながらも、MJの音楽やパフォーマンスは、ケーブル以前の、三大ネットワークが用意した「国民的マスメディア」のフレームの下で享受された。つまり、MJの動きはマスのブームになり得た。

しかし、MJがその普及に一役買ったケーブルが先鞭をつけた「メディアの多様化」は、その後のウェブの登場をもってますます多様化の度合いを高め、過激なまでに「細分化」し続けている。

結果として、ミクロなブームはあちこちで起こるが、それが「アメリカ全体」のヒットとなるような事態は減った。また、ウェブの登場は、普通の人々がメディアの世界に参入する障壁を下げてしまい、結果的に「エンタメの担い手(候補)」の数も増大し、大物になるための生存競争もまた過激なものとなった。この群雄割拠の状態も手伝って、仮にヒットのようなものが生まれても、かつてのMJのような長きにわたることはない。あっという間にランキングは入れ替わる。

マイケル・ジャクソンの後は、メガヒットは生まれない。メガヒットが継続させる回路も存在しない。だから、彼のような、アメリカ市民の誰もが知っている(と誰もが想像できる、否定できない)文化的アイコンは、この、細分化、断片化が過激に進んだメディアやコミュニケーション手段に囲まれてしまった環境の下では、生じうるはずがない。


記事の書き手は、こんな思いを、ユニオンスクエアの様子を見ながら思ったのだろう。

(今日の文化接触の細分化状況については、書き手は、記事の最後にユニオンスクエアで同時に起こったあるエピソードを通じて確信を高めているのだが、これはちょっとスパイスが効いた部分なので、実際に読んでみてください)。

*

マイケル・ジャクソンが、アメリカ市民が皆知るところの文化的アイコンとして人々の記憶にとどまった背景には、彼の音楽性やMTVへの登場の他に、それまでのミュージシャンだったら選択しない方法で、MJ自身が、メディア回路の中での流通、それもグローバルな流通を積極的に選択したからでもある。そのことを紹介しているのが次の記事。

Jackson Popularized Celebrity Ads
【Wall Street Journal: June 30, 2009】

MJ自身が、「セレブリティ・アド」という、自身の存在を、商業的なコミュニケーション回路を流通・環流する「アイコン」にしてしまったということ。

MJがペプシの広告に出るようになったのが1984年(なんと「1Q84」ではないか!)。この年を境目にして、ミュージシャンやエンタメ業界の各回の大物が、自身の存在を「広告の素材」として提供し始めることになる。

記事中にあるとおり、それ以前は、むしろミュージシャンはアンチ・大企業、という立場をとっていた。ベトナム反戦などの時代状況が影響を与えていた。そうした「敵対関係」が解消され、むしろ、積極的に大企業と文化活動が手を結ぶようになったのが1984年だった。

(ちなみに、この年開催されたロサンゼルス五輪からオリンピックもビジネスとして展開されるようになる。アメリカにとって70年代はかなり疲弊した時代で、ベトナムやウォーターゲートやニクソンのドルショックなど、それまで順調だったアメリカのシステムが自壊していく場面に立ち会うことが多かった。経済的にも苦しく、たとえば、ニューヨーク州の財政破綻もこの時期に起こっている。だから、LA五輪も地方政府予算だけではない財源が求められているときでもあった。)

音楽に限らず、映画やスポーツでも、作品や活動だけでなく本人自身を「商業活動の素材」として提供する場面が増え、エンタメ業界でエージェンシービジネスが巨大化していくのもこの時期。

MJはこうした「セレブリティ・ビジネス」の先鞭をつけたことになる。

ただ、こうした動きは、一方で、文化活動全般を商業活動の中に組み込む動きを促進することにつながる。MJ自身がその根源的な原因の一つとまでいうつもりはないが、しかし、いわゆる「芸術至上主義」的な、ハイカルチャーとサブカルチャーの間の境界を崩す動き、一般的にいうポストモダン的な風潮とMJ自身の振るまいがどこかで通底していたともいえるのだろう。

そう考えると、彼がplastic surgeryによって、見た目を黒人から白人的なものに変えたことや、もともと高音域がよくでる歌声で、その分中性的な存在と受け止められる要素があったこと(論者によっては、これが、MJのandrogynous=両性具有的な存在を指向する背景にあったという人もいる)、なども、MJが従来からある「伝統的な文化的な境界を越境しようとする」 存在であったということもできるのだろう。これもまた、文化多元主義的風潮や、politically-correctnessなどを重視する社会風潮ともシンクロしていたということだ。

そして、こうした「境界壊乱」の行為自体は、毀誉褒貶はあれども、普通の人々からはそのまま受容されていたのだと思う。そうでないと、MJの死後、NYのハーレムであれだけ黒人がMJの死を悼んでいる場面が理解できないから(白人的な顔に変えてもなお、MJは黒人にとってはヒーロー的存在、アイコンだった、ということ)。

*

さしあたって、まとめるとこういうことか。

マイケル・ジャクソンは、マス消費やマス文化が成立する最後に登場し、MJ自身が、そのマス消費・マス文化の存立基盤に立脚しながら「アメリカを象徴する存在」へと変貌する一方、MJが普及と促進に一役買った「メディア・コミュニケーション回路の多様化」や「文化活動と商業行為の接近」は、今日より完成された形になったがゆえに、結果的に、マイケル・ジャクソンのような、誰もが知る文化的アイコンが安定的に成立しにくくなった。

《マイケル・ジャクソン以後》の世界は、マイケル・ジャクソンのような人物がもはや登場し得ない世界である。

*

最後に、再び書き手の視点に戻る。

私たちは、しばしば、「既に事実としては終わっているにもかかわらず、その事実はなかなか人々の認識として共有されず、終わった事実がいまだに継続しているように感じ、ふるまってしまう」ような状況に出くわすことがある。

そのような「転倒した認識」を覆すには、ある歴史的事件が必要になる。

今のアメリカでいえば、それはオバマ。オバマは、ブッシュ(子)政権まで続いているように見えた「レーガンの時代」を、人々の認識上、ようやく「終わらせた」。

(アメリカのデモクラット、GOP両党のストラテジストによれば、2000年の段階で、既に今日のアメリカの状況、つまり、中産階級の生活水準が下がる傾向を見て取っており、2008年のオバマ・キャンペーンのような対策が必要だといわれていた。しかし、当時の有権者はそう感じてはいず、しばしば指摘されるとおり、レーガノミクスで最も打撃を受けたはずの白人中産階級層がGOP支持に回った。それでも、2000年のGore vs Bushは歴史に残る泥仕合になった。その結果に実際びびってしまったブッシュの選挙チームがとった対策が過激なまでの「保守旋回」で、その結果、2004年の選挙はブッシュの大勝となった。しかし、それは同時に「終わりの始まり」でもあり、ゲイ・マリッジや幹細胞研究などの「文化戦争」イシューがGOPによって誘導された「仮想の争点」であったことが徐々に顕わになる。そして、文化戦争など構っていられない、生活基盤に関わる「経済問題」がサブプライム問題以後顕在化するに至って、ようやく、アメリカの有権者は、自分たちがどういう生活基盤の上で生きているかに気付くことになる。結果が、オバマの大勝であった)。

こうした事態に、書き手はアメリカ人の一人として立ち会っている。

そういう「終わっていないものを終わらせる」動きを、他の分野でも求めてしまう心性をきっと持ち合わせていることと思う。

その「終わっているのに終わっていないと言い続けているもの」が、この書き手にとっては、「マス文化」や「マス消費」、そしてそれらとともに存在してきた「マスメディア」だったのではないかと思う。

だから、書き手は、MJの死を、マスカルチャー、あるいは、大衆に受容されるという意味でのポップ・カルチャー(MJはKing of Popと呼ばれていたのも偶然ではない)を終わらせる出来事として、それも、オバマがレーガンの時代を終わらせた2009年に起こった出来事して記憶しておきたい、と思ったのだろう。

オバマの誕生にFacebookが大きな役割を果たしたり、イランの動きでTwitterが活躍したりする一方で、旧来の新聞は経営的に追い詰められている。音楽の受容は既にレコード(CD)を複数曲収録のアルバムとして購入する形態から、i-Podを通じた楽曲単位の選択に変わっている。映像もネットでの視聴はもはや普通で、時も場所も選ばない。

書き手は、こうしたことを日常的に経験しながら、ユニオンスクエアの場面を目撃した。

だから、こんなことはもう二度と起こらないだろうと直観した。

それは、

「自分と同じことをしている人、同じことを感じている人を想像することが容易か」

それとも、

「自分と異なることをしている人、異なることを感じている人を想像することが容易か」

この二つのうち、どちらがよりリアリティがあるかと聞かれたら、後者の方の選択が圧倒的に自然に思える時代になった、という実感があるから。それが、MJの死後の文化状況を直観させた。

その意味で、この記事は、メディア関係者の一種の諦念も込められたものになっていると思う。

その分、感傷的にもみえる。


いずれにせよ、仮にMJの死が、そうしたマス文化、マス消費、マスメディアに終わりを告げるものだとして、その後の世界をどうしていくか、どうなるか、こそを、次に探究していく作業が、書き手自身の手には残っている。

このあたりの、アメリカの書き手の疑問には、しばらくつきあってみたいと思っている。

author: junichi ikeda

CONCEPT

FERMATは、コミュニケーションという社会の基底を与える領域の変化の徴候に照準しながら、未来のビジョンを描くことで、新たな何か=“X”、の誕生を促します。