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ワシントン政治を劇場化したPoliticoが開くオンラインジャーナリズムの未来

2008年の大統領選キャンペーンを通じて、その速報性から知名度を上げたオンラインニュースサイトのPolitico。Washington Postの編集者らが退職して起業したという経緯もあいまって、今後のアメリカ・ジャーナリズムの行く末を占う上で、注目を集めている。そのPoliticoを、Michael Wolffがレポートしている。

Politico’s Washington Coup
【Vanity Fair: August 2009】

実際に、Politicoのトップページを見ればわかるが、ワシントンDCの政治ニュースに特化したサイトで、情報の鮮度=速報性が売りであるため、今どきのニュースサイトとしてはシンプルなつくりだ。とはいえ、Washington Postの元編集長が、the best of the bestsのジャーナリストやレポーターを集めて開始した、少数精鋭のニュースサイトだけのことはあって、情報源への関わり方は半端ではない。オンラインの特性を生かしたニュースの更新頻度の高さから、むしろ、ワシントンDCの政治関係者が随時参照するサイトになっている。

だから、Politicoをニュースサイトと呼ぶのは適切ではなく、むしろ、ワシントンDCの政治に関わる人々が情報の流れを読み取るためのサロンやフォーラムのような存在という方が正しいのだろう。Politicoは、DCの政治関係者にとっては無視することのできない情報ツールになっているというわけだ。

*

Michael Wolffは、上の記事の導入部で、そうしたPoliticoの特性について、『ジュラシック・パーク』のMichael Crichtonや、メディア論の大家であるMarshall McLuhanの考えを参照しながら、考察を進めている。

詳しくは、上のWolffの記事を見て欲しいが、その骨子だけをかいつまんで紹介すると:

●Crichtonは“Mediasaurus”という論文で、インターネットの時代には「新聞は死すべき運命にある」と論じた。ネットの登場によって、情報はより安価になり、より総量が増え、より容易に入手することができる。つまり、「情報のコモディティ化」が進み、その帰結として、情報への人々のニーズは、special-interest(特定の興味)のものに移り、一般の新聞が提供してきたgeneral-interest(一般の興味)への関心は低下する。

Crichtonがこの論文を書いてから実は16年経つのだが、現在、不況による広告収入の低下によって、一般紙の凋落は現実のものとなっている。そこで、政治に関するspecial-interestを提供すべく台頭したのがPolitico。

●新たなメディア技術が社会に登場するたびに、ニュースサイクルは短縮されていった。インターネットの場合、ニュースサイクルは以前からは信じられないほど短くなっている。Politicoでは15分から20分で情報が更新されていく。

この、ニュースサイクルの劇的な短縮は、オンラインニュースの特性に何らかの影響を与えるのだろうか。この問いに対して、「影響を与えない」と取る向きが既存の新聞関係者、たとえば、New York Times発行主のArthur Sulzberger Jr.などが、そう考えており、彼らは、“platform-agnostic”の立場、つまり、ニュースの性質はその伝達形態(=プラットフォーム)によって変わることはない、だから、新たなプラットフォームが登場しても、そこに今まで通りのニュースを流していけばいい、という立場を取る。

これに対して、Wolffは、メディア論の大家であるMarshall McLuhanの「メディアはメッセージである」という立場を取る。つまり、メディアの伝えるメッセージは、そのメディアの特性を加味したものとして受け止められ、その受け止められ方がメッセージの発信者の方にフィードバックされる。

そのため、

●Politicoのニュースは、そのニュースサイクルの短さ、アクセスの容易さ、などの特性を加味したものとして受け止められる。それは、Wolffによれば“obsessive-compulsive”なもの、つまり、強迫的に取り憑かれたような、接触様式を定着させる。

「もっと早く」「もっと多く」「もっと細かく」「もっと・・・」と、ニュースに対する欲求は、強迫的でとどまるところを知らないものとなる。

Politicoは、このインターネットがもたらす媒体効果に自覚的に取り組むことで、しかも、ワシントンDCの政治当事者たちを含む、全米のpolitical junkieたちを、オーディエンスとして取り込むことに成功した。

情報更新の頻度の高さや、速報性重視による情報の信頼度のバラツキ、さらにはワシントンDCのインサイダーどうしでの観測情報の流出まで起こるに至り、Politicoの情報は、ワシントンDCのインサイダーにとっては、次の一手を考える上での貴重な(だが信頼性は少しばかり欠ける)情報源となる。そして、そうしたインサイダーどうしの一挙手一投足に関心をよせるPolitical junkieたちからすると、Politicoへの接触は、あたかもスポーツ観戦を行うような、ワシントンDCで繰り広げられるリアルタイムの政治劇を観劇するようなものになる。

Politicoは、ワシントン政治を劇場化し、“obsessive-compulsive”な読者をも新たに創造したのである。

*

Wolffの指摘で面白いところは、この「ワシントンDCの劇場化」は、オバマ現象にも支えられたというところだ。

ニクソン大統領の起こしたWatergate事件以来、アメリカの報道は、政治の腐敗を暴くinvestigative report(調査報道)に力を入れてきた。そのため、ワシントンDCで繰り広げられる政治は、とにもかくにも、非難すべき、批判すべき、忌避すべきものとして捉えられていた。普通の人々にとって、政治は疑ってかかるものになりさがった。

それが変わったのは、JFK以来の上院議員出身の大統領として、オバマがホワイトハウス入りしてからだ。以前のエントリーでも指摘したが、上院議員出身の、その意味で、ワシントンDCのインサイダーであったオバマは、政策を進める上で連邦議会対策を重視している。

議会対策は「政治過程における駆け引き」を必要とする。オバマの人気に加え、経済刺激、デトロイト救済、ヘルスケア改革など、アメリカ市民の生活を直撃する政策が続いてることも、普通の有権者の、個々の「政策過程」に対する関心を高めることになる。

そして、その関心の高まりに、すっぽりはまったのがPoliticoであった。

どの議員がどういう背景で反対している、とか、誰と誰がいつミーティングをもった、とか、一定の密度で情報が得られない限り、関心を持続できないようなことも、オンラインでなら容易なことだ。

(もっとも、だから、Politicoは単にスクープを産み出すだけの工場だという指摘もある。
The Scoop Factory
【The New Republic: March 04, 2009】)

オバマ自身、インターネットの特性を最大限まで活用して大統領選に勝利したことを踏まえれば、Politicoとオバマは、ともにインターネット時代のメディア環境の中、互いに互いを必要とする存在として登場してきたといってもいいだろう。

そう考えると、オバマのメディア露出の多さも、「劇場化してしまったDC政治」の中では、やむを得ないことといえる。前任者までとは、大統領を囲むメディアの状況がそれこそ「劇的に」変わってしまったわけだから(そうした状況に拍車をかけるのがTwitter)。

先日、プレスセクレタリーのGibbsが、短いニュースサイクルと、細分化されたメディアの中では、一つ一つの(相対的に)小さなコミュニケーション機会を活用しないと、アメリカ市民にメッセージを届けることができない、と言っていたが、これは仕方のないことだといえる。

*

Politicoの設立経緯については、Wolffが詳しく書いているので、これも本文を参照して欲しいが、大事なところは、次の三点。

1) Politicoの元となるオンラインニュースサイトの「構想」、
2) 起業のための「資金調達」、
3) 商品としてのニュースの「新奇さ」、

これらを実現するのに中核的な役割を果たした人物として、John Harris、Jim VandeHei、Robert Allbritton、Mike Allen、の四人を紹介している。

1)のPoliticoの「構想」は、Washington Postに在籍していたHarrisとVandeHeiが描いた。

彼らは、新聞ビジネスが1950年代からほとんど変わっておらず、Washington Postという名前だけで仕事をしている記者が多いことが不満だった。Harrisは大統領時代のビル・クリントンの活動をまとめた“The Survivor”という本で賞も取っている実力派のジャーナリストで、彼から見ると、インターネットの台頭でますます新聞の位置づけが危うくなっていく中、新聞の凋落とともにスタージャーナリストまでつられて凋落しそうな状況に我慢がならなったようだ。それで、VandeHeiとともに、少数精鋭の実力のあるジャーナリストでオンラインニュースサイトを立ち上げる構想を描いていた。

2)の「資金調達」は、ワシントンDCのメディア一族の若き当主であるRobert Allbrittonが投資することで解決した。

Allbritton家は、昔は、Washington Postを有するGraham 家とともに、DCの二大メディアファミリーだったのだが、近年は新聞事業からは手を引き、もっぱらテレビのローカル局の経営に集中していた。Robert Allbrittonはもう一度、ニュースビジネスに参入しようと考え、当初は、政治専門のローカルケーブルチャンネルや政治情報紙を構想してVandeHeiに接触した。そこで、逆に、VandeHeiがオンラインニュースサイトの構想をAllbrittonに持ちかけることになる。

HarrisとVandeHeiの構想したオンラインニュースサイトは、Washington Postで立ち上げる可能性もあったのだが、最終的には二人はAllbrittonの出資を受けPoliticoを起業することを選択した。Washington Postを発行するWashington Post Companyは近年、収益の大部分を教育事業であるKaplan(←日本でも留学予備校として営業している)から上げており、新聞事業の将来について積極的に取り組むようには見えなかったからだという。

Politicoは、Allbrittonの想像を超える存在感を獲得するに至り、Graham家に対抗したいというAllbrittonの大望も果たすことができた。

そのPoliticoの成功を具体的に支えたのが、3)のニュースの「新奇さ」だが、これは、寝ても覚めても政治好きのレポーターであるMike Allenら若い世代によって実現された。Allenにとって重要なのは、とにかく「執拗なまでに情報の細部にこだわること」で、Politicoに移るまでに既にAllen自身、DCの情報網の中の有数のハブになっていた。独学主義、偉大なるアマチュア主義で、自分の専門を限定せず、とにかく気になった情報は徹底的に追う。情報のハブになる契機は、自らブログサイトを立ち上げたことで、そこで、情報を頻繁に更新することで、インフォーマントを探索できたようだ。

Allenは毎朝4時半に“Playbook”という、その日に予定されるDCの政治過程の情報をアップする。Playbookは今ではDCの政策関係者(官僚や議員スタッフ、アクティビスト、など)にとっては必須の情報になっているという。

*

こうしてPoliticoはDCで一定の地位を築くに至った。今では、むしろ、DCの政治風景の重要な一部として組み込まれている。時にゴシップとも見える玉石混淆の情報を大量に素早く流すことで、DCの政治過程そのものを動かしてしまう。

だから、ここでいうニュースはもはや「記事」といえるような(後日アーカイブとなるような)独立した書き物ではなく、まさに次の行動を呼び込むための、フローの「情報」といった方がいい。Politicoの真に提供している商品は、個々の「情報」ではなく、情報の「流れ」、情報の「波」という出来事の連鎖の方だ。

その分、強迫的に取材を続け執拗に情報を更新していかなければならない。

Wolffは、ここに、つまり、この“obsessive-compulsive”なところに、Politicoの可能性と限界の両方を見て取っている。

“obsessive-compulsive”があまりに行きすぎることで、Politicoは素人を寄せ付けない、プロのためのサイトになっている。使われる言葉も、DCのプロの政治関係者でないと理解できないものになっている。General-interestの読者が関わる余地が全くない。あまりにもspecial-interestに傾倒しすぎで、全てが具体的(specific)過ぎるためだ。

DC関係者が最も気をつけなければならないのは、「内輪主義(insiderism)」に終始すること。内輪主義は、DCの外から見たとき、単なる秘密主義で見える。また、DC内部だけで政策を決定しているように見える点では、エリート主義にもとれてしまう。こうした見え方は、有権者の支持を重視するアメリカ政治の建前からすると望ましくない。だが、Politicoのプロ志向、インサイダー志向は、まさにこうした内輪主義を助長しかねない。実際、Politicoに一月に訪れる670万人の読者のほとんどは政府のアジェンダセッティングに関わる人たちだという。

このようなPoliticoのマイナス面に対して、Wolffは、冒頭に引用したCrichtonの予想とは異なり、general-interestに応えることの重要性を再確認している。希釈しても構わないから、初心者や関心を持ったばかりの人にもわかるようなレベルの情報の提供も、一方で必要だ、ということだ。

論考の最後で、Wolffはこうした状況、つまり、“obsessive-compulsive”な読者が特定の関心事に基づき互いに没交渉で乱立してしまうような状況(Wolffは“silos”と呼んでいる。多分、昔、宮台真司が言った「島宇宙」に近いものだと思う)については、端的にこれが我々の現実だというにとどめ、その善し悪しについての判断は無意味だとしている。

もっとも、Wolffの論考の全文をもう一度読み返してみると、“obsessive”や“compulsive”という表現はかなり早い段階で導入されている。しかし、それがどういうものであるかはWolff自身は定義していない。むしろ、「強迫的」とか「神経症的」という言葉から読者が勝手に想像する一般的イメージに委ねているように見える。

だとすれば、Wolffの意図は、最後の最後で出してきた、general-interestに応えるメディアの重要性を再確認するところにこそあるといえるのではないだろうか。

つまり、この論考のタイトルにある“Washington Coup(ワシントンのクーデタ=実権掌握)”とあるように、Politicoが行ったことは旧来の新聞やジャーナリズムに対する革命、しかも、Washington Postの編集者というインサイダーが先導したという点でクーデタであり、そのこと自体はWolffは肯定的に捉えている。大変だ大変だと騒ぐばかりで、結局、広告収入が激減して実際に新聞の発行を停止するまで放置したままの新聞業界の体質に対してノーを言い、決然と次代のジャーナリズムの創造に乗り出したPoliticoのメンバーをWolffは称賛している。

しかし、その新たな試みはプラスの面だけでなくマイナスの面も伴う。その点についてのフォローも怠ってはならない。Wolffのいいたいことはこういうことだと思う。

実際、上の“The Scoop Factory”を書いたGabriel Shemanは、WolffのPoliticoに対する評価が以前と変わって随分と肯定的な方に傾いていることを指摘している。

Politico's Darkening Clouds
【The New Republic: July 1, 2009】

(同時に、Politicoのクレージーな取材体制、ニュースのアップ体制についても、そのカルチャーになじめずPoliticoを辞めた人物を紹介しながら問題点を指摘している)。

だから、Wolffのこの論考は、Politicoの紹介を通じて、従来のジャーナリズムとオンラインジャーナリズムの双方の問題点を指摘し、関係者に何らかのアクションを求めることも企図しているのだと思う。それくらい、アメリカの新聞業界は崖っぷちにある、というのがWolffの認識なのだろう。

*

最後に、Politicoの経営について簡単に触れておくと、サイトの情報は無料で提供されている。収入源は広告収入とニュース配信収入。後者は、一般の新聞紙の経営が厳しくなってくる中、DCのオフィスを閉める新聞社も増えており、そうした新聞社に、通信社(wired-service)のようにニュースを配信する。

情報提供形態は、オンラインの他にタブロイド判の印刷物がフリーペーパーとしてDC周辺で配布されている。

スタッフは現在100人程度。

author: junichi ikeda

CONCEPT

FERMATは、コミュニケーションという社会の基底を与える領域の変化の徴候に照準しながら、未来のビジョンを描くことで、新たな何か=“X”、の誕生を促します。