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『パターン、Wiki、XP』と「協働=お互い様」のマーケティング

人に薦められて、週末に江渡浩一郎の単行本『パターン、Wiki、XP』を読んだ。
20代のネット系の人たちでそれなりに関心を集めているということで。

本自体はこの夏に出版されているが、江渡は数年間この問題意識で研究活動を続けていたようで、手っ取り早く概要を知りたい人は、以下のタイトルでググるとPDF版の論文が読める。

江渡浩一郎 「なぜそんなにもWikiは重要なのか」
江渡浩一郎 「Wikiの起源と進化」

本のタイトルにあるとおり、基本的には、「パターン」と「wiki」と「XP」を繋ぐ三題噺。

1960年代にアメリカの建築家のアレグザンダーが提出した「パターン・ランゲージ」というコンセプトが、80年代初頭の「オブジェクト指向プログラミング」によって参照され、それが「wiki」や「XP」のようなプログラミングの方法論ならびに表現論に、いわば隔世遺伝的に影響を与えているというもの。

そして、そこで隔世遺伝しているコアは、アレグザンダーが示した「利用者が参加できる開発システム」という考え方。建築の世界では、物理的制約、物質的制約から、アレグザンダーの示した「理念」の採用には、現実的には進めなかったのに対して、物理的制約に囚われる程度が低いプログラミング=ソフトウェアの世界では、その理念を突き進めることができる。

そして、そこにこそ、江渡は、一つの可能性を見いだしている。

それは、「利用者」と「設計者」が協働しながら物事の生産・制作に向かえる社会的システムの構築、ということだ。

*

アレグザンダーの悩みは、およそものを作る立場の人間なら誰もが抱える問題に端を発していた。

それは、「なにかを作って欲しいという要望を持つ人がいて、その人が本当に欲しているものを、いかにして、その本人とは異なる第三者の人間が、実現することができるのか」ということ。

アレグザンダーは建築家だったので、その対象は、家(「住まい」)や広く建築物一般だった。

これは、「情報の非対称性」や、あるいは、(たとえば岩井克人が最近気にしている)「信任=fiduciary」とも重なるテーマ。第三者が当人の「代理人」としていかに「当人」の利益を代弁的に実現するか。

あるいは、専門的知識を持った人びとが抱えるジレンマといってもいい。

それは、依頼主の要望にほぼ応えられれば非常にハッピーである一方、応えられなかった場合は、アンパッピーなだけでなく、時にはトラブルにもなってしまうこと。

社会政策的には、弁護士が出てきて、司法的に解決すればそれでokなのだが、当事者にとってみれば、その失敗は「不幸な記憶」として残ってしまう。

だから、アレグザンダーは、できるだけクライアントとともにハッピーになれるように、建築イメージについて、事前にいくつかの典型的なイメージ(いわばイメージの「テンプレート」)を用意して、それをきっかけ=媒介にして、クライアントが「あまりうまくいえていない本当に欲するもの」へと可能な限り近づいていく、そのための方法を創り出すことに精力的に取り組んだ。デザイン(ということは美学や建築)の世界では、「デザイン・プロセス」の方法論として60年代から70年代にかけて検討が加えられたらしい。

この「設計者と利用者が互いにハッピーになれるような問題解決の仕組み作り」が、80年代のソフトウェア開発方法論の開発見直しの時に、再発見された。

(ソフトウェアの開発への応用、なかんずくWikiへの影響については、江渡の論文や本を参照のこと)。

*

多分、この考えの面白いところは、全ての生産関係を

「設計者」と「利用者」との関係

にまで切り詰めているところだと思う。

そして、ウェブの利用が生活のかなりの部分を占めるようになってきた現在、そこかしこで、この「設計者」と「利用者」の関係で解決できる場面が増えている。

標語的にいえば、

Consumerでもなく、
Prosumerでもなく、
Userしかいない。

という感じ。

(真ん中のprosumerというのは、昔トフラーが「producer」と「consumer」から作った造語。「生産者と消費者」が一体化した概念で、情報化時代になると、一方的に「消費させられる」立場ではなく、消費の傍ら「生産もする」立場の人たちも生じる、という考え。多分に、消費者保護、消費者参加、のような昔の風潮に同調した概念)。

設計者とユーザーの関係にまで切り詰められるということは、たとえば、マイケル・ポーターのいうバリューチェーンで想定されるような、線形の、一方通行の商流の中で生じる仲介業者も捨象されてしまうことになる。

もちろん、設計者・ユーザーへの切り詰めは、一種の理念型だから、実際のビジネスではそれらを媒介するものが出てくる。

たとえば、ユニクロのウェブサイトで見られるように、既製服ではあるが、その選択にあたって、サイズ、色、柄、素材、などのいくつかの主要なパラメーターを設定して、暫定的な商品の選択集合を利用者に提供し、その利用者の「食い付き方」を参考にしながら、商品ラインナップを変えていく、というような中にも、設計者と利用者の「協働」は見られる。

その「協働」は、ユーザーからのフィードバックや、設計者の側からの案内、などのやりとりを通じて、つまり、両者の間でコミュニケーションの頻度が高まることによって、なんだか「お互い様」の関係が醸成されていく。

この「お互い様」の関係は、互いに寄り添っているという感じになり、いわば、「円環」的な関係を築いているような感じになる。これは、全く別の文脈で生じている「サステイナブル」という風潮とも手を結ぶことができる。

結果的に、今日のマーケティング活動のひな形になる。

*

もっともこうした利用者の参画は、度が過ぎれば、実質的にはコミュニティの維持活動の大半を、ユーザーが自発的な奉仕として提供してしまうレベルにまで達してしまう。

このあたりは、ニコラス・G・カーが“The Big Switch”(邦題は『クラウド化する世界』だが、このタイトルはいくら何でも本の中身からかけ離れすぎ。この本のキーワードは“utilities”なのにそのニュアンスが翻訳からは浮かんでこないのは問題だと思う)の中で、GoogleによるYouTubeの買収の本質は、YouTubeというシステムの買収ではなく、YouTubeコミュニティの買収だった、と指摘していることとも関わる。本来ならば、YouTubeコミュニティが買収されたのだから、Googleが二人の創始者に払った対価は、コミュニティ=ユーザーで分配されてもいいところ。

だからだろうが、この手のコミュニティサイトの主催者=創始者は、往々にして、徹底的にユーザーサイドの利益の代弁者の立場を保持することにこだわることになる。「ユーザーからの反乱」をいわば組織することで、一定の地位を築くことができたわけだから。

最近のビジネスに関わるバズ・ワードとして「エコ・システム=生態系」というのがあるが、それも、こうした事情を反映したものだろう。

「お互い様」だからだ。

裏返すと、別に特段に「エコロジー」に関心があるから、というわけではない(もちろん、そう言う人がいることは否定しないが)。「お互い様」を感じる機会が、たとえばウェブやその体験を通じた日頃の消費活動の中で感じることが増えているからだと思う。

*

さて、以下は余談ながら気になったことを少し。

江渡のロジックについては、それが建築とプログラミングを架橋していることからか、建築家の関心や、あるいは、「アーキテクチャ」のアナロジーを援用してウェブ文化の批評を行いたい人たちの間での関心を呼んでいるようだが、それは、少しばかり具体的な「オブジェクト」に引き寄せられすぎているように思う(だから、江渡自身は、そうした議論とは微妙に温度差を醸し出しているように見えるが)。

建築や(文化≒文芸)批評の文脈でいえば、先行者として、それこそ磯崎新や柄谷行人が、そうした議論をかつてしていたので、正直、既視感は拭えない。

というか、アーキテクチャと言う言葉自身は、むしろ、かつて(というのは80年代くらいだが)スパコンなどを製造するときに、専用のOSからアプリケーションまで含めて「設計する」際に、むしろ、建築物のアナロジーで導入された言葉だったと記憶している。

それが、いつの間にか、逆転して、コンピュータやウェブの世界から、建築の世界に逆流しようとしているわけで、むしろ、この「逆流現象」の方にこそ、その意味するところを検討してみたいところ(もちろん、一定の年代より下の人びとは、アーキテクチャの言葉と出会ったのが、レッシグの“CODE”だったから、という推測はつくものの)。

ただ、日本はアメリカと違って、一定の社会的活動(=advocacy)によって世の中の風景が変わるということは少なく、たいていの場合は、企業活動や消費活動を通じて変わってきたのが実感だと思う。

そこから考えれば、江渡のロジックについては、ウェブの経験を通じることで、企業や消費の位相をどう変えるのかに関心をよせておく方が、「社会的協働のありかた」の変容を目指した、アレグザンダーやwiki/XPの精神に、より適うように思う。

その意味で、「設計者/利用者」への関係の切り詰め、という観点は、「お互い様」を引き出すために有意味ではないかと考えている。

******

もう一つ、江渡の指摘で興味深かったのは、「オブジェクト指向プログラミング」が登場することで、システムの設計過程が、オブジェクトを操作する「インターフェースの設計」と、背後のシステムを支える「稼働原理の設計」の二つに階層分化された、という指摘。この二層化によって、ウェブ時代には、インターフェースに照準した「デザイン」が主要なマーケティング上の争点となるのを用意したことになる。このあたりについては、機会を改めて考えてみたい。

もちろん、デザインの浮上(つまりは、佐藤可士和現象のようなもの)は、景気の後退もあって、不動産開発の点でも、ビルそのものを改築するのではなく、内装に手を加えて、店舗のイメージだけを変えていくことが増えていったから、という、リアルワールドの影響も同時にあることは間違いないのだが。

author: junichi ikeda

CONCEPT

FERMATは、コミュニケーションという社会の基底を与える領域の変化の徴候に照準しながら、未来のビジョンを描くことで、新たな何か=“X”、の誕生を促します。