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Web-centric時代の企業組織モデルとして浮上するトータル・サッカー

最近よく話題になるソーシャルゲーム会社ZyngaのCEOであるMark Pincusが、自身のマネジメント手法について、NYTのインタビューを受けている。

Are You a C.E.O. of Something?
【New York Times: January 30, 2010】

タイトルにあるとおり、一人一人の社員が「何らかの業務のCEO(a CEO of something)」を引き受ける形で、組織マネジメントを行っているという。50人までの組織ならば自分が全ての社員にも気を配ることができるが、しかし、それ以上となると、何らかの仕組みが必要だ、というあたり、成長途上にあるスタータップ企業に典型的な状況。同社が上り調子にあることを伺わせる。

*

けれども、このインタビューを見たとき、私が面白いと思ったのは、後半の「何かのCEO」のところではなく、前半で、サッカーに言及しているところ。いわば、

「経営に大事なことは全てサッカーフィールドで教わった」

というところ。

とにもかくにも、アメリカ人が経営組織のマネジメントの比喩として、アメフトでもなく、ベースボールでもなく、サッカーを引き合いに出してきたところが新鮮だった。

そして、それが、おそらくは、Pincus自身が思っている以上に重要なことなのではないかと感じている。

普通、アメリカの経営マネジメント誌、つまり、ForbesとかFortuneのビジネス誌や、Harvard Business Reviewなどの経営手法誌を見ていると、たいていの場合、マネジメント手法の比喩としては、アメフトやベースボールが引用される。

それは、アメフトやベースボールのような、アメリカ人が熱狂するスポーツを例に出して説明した方が、記事の読み手にとっても、現場の社員にとっても、親しみやすく、わかりやすいから。要するに、実践性が高い。

実際、アメフトやベースボールで生じるチームプレーは企業行動の比喩に適している。どちらもゲームにおける個々のプレイヤーのポジション・役割が、事前に明確に定められているからだ。

*

アメフトは、一チームがオフェンスとディフェンスの二つのチームで構成される戦略性の高いゲーム。クォーターバックからのパスをいかにして前方に通してタッチダウンを決めるかがオフェンスの戦術目標であり、その動きをいかにして潰すかがディフェンスの戦術目標となる。

一つ一つのプレイがセットプレイとなるため、しばしばゲームの動きは中断される。アメフトといって普通に想像される「フォーメーション」のイメージは、セットプレイのイメージでもある。フォーメーションといわれるように、プレイヤーの役割は明確に決まっている。相手ディフェンスを潰すためだけの「捨て駒」になるプレイヤーもいる。そうして、仲間が築いてくれた「活路」からフォワードが文字どおり前進する。

このようにアメフトは、戦略・戦術目標の大枠が予め相当決められていて、各プレイヤーのポジションや役割は明確に割り当てられている(だから、しばしば、現実の「軍隊」のイメージに重ねられる)。裏返すと、個々のプレイヤーのアーティスティックな技能や身体能力によってゲームがひっくり返る、ということが起こりにくい。戦術が戦略を凌駕するような事態はそうそう起こらない。

アメフトほど厳格ではないにしても、攻守が入れ替わり、フィールドでの役割が基本的に決まっているという点では、ベースボールも同様だ。

企業における階層型のマネジメントスタイルに近い部分が、二つのプロスポーツにはある。

特に、中西部の、それこそ、ミシガン、オハイオ、ウィスコンシン、などの、自動車産業が基幹産業であるIndustrial Statesでは、工場労働者は、仕事がひけたら、競技場で直接スポーツ観戦するか、あるいは、ダイナーなりパブなりで、バドワイザーなりクアーズなりを手にしながら、中継映像に興じるのが定番だ。コラムニストのBob Greenが愛してやまない世界。ひいきチームのキャップをかぶっての観戦がマストとなる世界(笑)。

だから、経営者が彼ら社員に呼びかけるときは、アメフトやベースボールを引き合いに出す。経営者にとっても、社員にとっても、それが、一番想像しやすい、組織ゲームのイメージだからだ。

*

だが、ZyngaのPincusが引き合いに出したのは、サッカーだ。

Pincusは、NYTのインタビューで、サッカーをしている様を見れば、その人が、どれだけ優秀なマネージャーになるか、あるいは、雇うべき社員かどうか、一目瞭然だといっている。

Pincusによれば、サッカーで重要なことは二つあるという。

一つは、プレイヤーを信頼できるかどうか。

スタープレイヤーがいるかどうかではなく、チームメイトの全員が、各々全力を出し切ることができるか、がゲームを進める上で大切で、そのようにチームメイトを「信頼」することができるかどうかが、決定的に重要だという。

もう一つの重要さは、playmakerかどうか。

つまり、ゲーム全体の組み立てを想像しながら、チームメイトにパスを出し、そして、チームメイトが出すであろう場所でパスを受けられるかどうか。

文字どおり、play(動き)を作ることができるかどうか。

そして、これは、攻守が分かれセットプレイが中心で「プレイの断絶」が織り込み済みのアメフトやベースボールとは大きく異なるところ。サッカーに限らず、フットボールと呼ばれるカテゴリーのスポーツに特徴的なこと。

ここで二つのことを思い出す。

一つは、平尾誠二・松岡正剛の『イメージとマネージ』という本。今からもう10年ぐらい前の本になるけれど、その中で、日本のラグビー(=フットボール)界の至宝である平尾が松岡との対談を通して、ラグビーにおいて、「流れ」をコントロールすることがどれだけ重要か、そのためのマネジメント手法として「イメージ」がいかに重要か、ということを語っていた。

攻守がめまぐるしく変わるフットボールでは、「流れ」がゲームの中心になる。

そして、その「流れ」のことを考えた人物が、フランスの哲学者ミシェル・セールの『パラジット』(フランス語で「寄食者」という意味)。

その中で、セールは、確か、「ボール」の動き=流れが、フットボールの中心にある出来事で、そのボールのありよう、すなわち、ボールの動きがプレイヤーを引きつけ、そのプレイヤーがボールの動きを作る様子に触れていた。

フットボールにおいては、プレイヤーとボールは互いに影響を与えあって、一つの流れを作る。ボールは蹴られる対象としては「客体」だけれど、同時にプレイヤーに蹴り方を喚起させるという点では「主体」でもある。このボールとプレイヤーの「主客」が交互に入れ替わる様を、セールは、「準-主体」とか「準-客体」と呼んでいた。

平尾にせよ、セールにせよ、ボールとプレイヤーが一体となってゲームの流れを作っていくこと、
そのこと焦点を当てていた。平尾は、その流れを制御するのが、プレイヤーの「イメージ」にある、と喝破した。その平尾のいう「イメージ」は、セールによれば、「準-主体/客体」であるボールがプレイヤーに働きかけ、プレイヤーから働きかけられて、瞬時に産み出されるものと考えられていた。

*

ここでPincusに戻る。おそらくPincusがサッカーをしながら身体的に習得したことは、平尾やセールのいう、「流れ」を産み出すための要諦だったのではないだろうか。

そして、そのサッカーにおいて「流れ」を産み出すことの重要さが、おそらくは、Zyngaのようなソフトウェアを開発していく会社においても重要だと、直感的に感じ取っているのではないか。

だから、彼は、通常経営者が引き合いに出すスポーツ(アメフト、ベースボール)ではなく、彼自身がプレイした経験が豊富なサッカーを引き合いに出したのではないか。

ソフトウェアは、形なき創造物。その機能はあくまでも、実際にそのソフトウェアが、ちょうどボールと同じように、「動いている」ときにこそ生じる。そして、その動きをいかにして制御するかどうか、というところが、そのまま、いかにしてボールの流れを作り出し、そして、試合自体を作り出していくか、ということに酷似しているのではないか。

つまり、Zyngaのようなソーシャルサービスの開発は、ソフトウェアのレベルでも、ユーザー体験のレベルでも、サッカーと同じような「流れの創造と制御」が決定的に重要なわけだ。

*

その意味では、Pincusが、インタビューの後半で「何かのCEO」という方法を出してきたのは、彼が、HarvardのMBAホルダーという要素が災いしてしまったともいえる。

なまじトップダウン型の経営手法の「言葉」をインプットしてしまったがゆえに、彼の説明は、(ネオリベ論者が好んで使いそうな)「企業内起業家」に類した言葉になってしまった。つまり、「企業の中で、自発的に行動し、企業のためになるよう行動せよ(奉仕せよ)」、という感じに取れなくもない表現になっている。そして、それが、インターネット関連企業、というところもとてもネオリベ的だ。

けれども、前半のサッカーの話をきちんと踏まえて考えれば、むしろ、彼が言いたいのは、ソフトウェア開発と運用は、サッカーのように選手の自発性が必要で、その自発性はまたソフトウェアやサービスとの間で好循環をもたらし、文字通り、思いもよらないものを生み出す、ということなのだと思う。

このあたりは、ソフトウェア開発やサービス開発のマネジメントとして、まじめに検討してみていいところ。それこそ、Pincusのように、ありきたりの「経営学の語彙」に、思考や発想が浸食されてしまわないように。

裏返すと、Pincusの直感は、そういう、新たな、IT経営のための「語彙」を生み出すためのヒントを与えてくれているように思える。そして、新しい語彙は、新しい概念と新しい手法を生み出すための水先案内人になってくれる。

*

もっとも、(唐突に参照することになるが)佐々木中の『夜戦と永遠』で示された、ルジャンドルを経由したフーコー読解によれば、ネオリベ的な状況はそれほど気に病むことではない。つまり、会社や社会に「訓到」され「調教」されることは、生きていくことに内在した、織り込み済みのものであり、また、その「調教」はあらかじめ失敗=失調することも織り込み済みであるから。「CEOのように」振舞えと要請され、振舞うことはなんら躊躇することはない。

佐々木のフーコーでは(多分)こういうことになるはず。

だから、Pincusによるサッカーの比喩は、そうして自分がゲームプレイの一部になることで、むしろ、自分があらかじめ想像していたよりも遠いところまで、自分も従事した仕事(ソフトウェア開発など)も行き着くことができる、そして、それが「予期せぬこと」という点で、言葉通りの「イノベーション」になるのだと思う。

*

ここでいいたかったことは、短くいうと、Web-centricが前景化する2010年代において必要とされる、IT経営、イノベーション経営の中核概念になることを、Pincusは直感的にいってくれたでのでないか、ということ。

私たちは、ちょうど、若手建築家の藤村龍至が「超線形プロセス」や「批判的工学主義」という言葉を頼りに、従来の建築の記述方法・思考方法を書き直し、新たな語彙=概念を作り出すことで建築の世界に新しい風を吹き込もうとを試みているように、Web-centricの時代に適した、経営方法、開発方法のための語彙=概念、をそろそろ考案していいところにいる(なぜなら、もう2010年だから)。

そのとき、Pincusの直感が示したような、サッカーにおけるボールの「流れ」のような、「動き」の制御の仕方が導き手になってくれるように思う。それは、ちょうど、藤村をインスパイアしたものがGoogle登場以後のウェブやITの世界で起きたことやそこで開発された言葉であったように。

そろそろ私たちは、本格的なWeb-centricの時代を迎えるにあたって、実際に行っていることと、頭で考えていること、そして語ってしまっていること、との間で、齟齬がなく相互にきちんと照応するような語彙=概念の開発に取り組むタイミングなのだと感じている。

Pincusのイメージは、多分、ヨハン・クライフが率いたオランダが展開した「トータル・サッカー」のような、つまり、フィールド・プレイヤーの全員が、ボールの流れに応じて、あるいは、ボールの流れを作るために、ポジション・チェンジを頻繁に起こす、全員守備・全員攻撃のサッカー、のようなものなのではないかと思う。

その単純さをWeb-centric時代に生かすのがこれからの課題だ。。

*****

(補足)

上では、アメフトやベースボールに触れたが、アメリカの4大プロスポーツというと、あと、バスケとアイスホッケーがある。

ただ、この二つについては、経営手法や組織管理に関して参照されることにほとんどない、というのが私の印象。

アイスホッケーについては、確か、「イノベーションのジレンマ」のクリステンセンが、一度触れていた。それは、イノベーションを起こすときには、アイスホッケーのように、動きの先を読むことが必要だ、というようなことだったはず。

バスケについては、残念ながら見たことがない。おそらく、マイケル・ジョーダンのように、個人の身体能力のほうが前面に出やすいからなのではないかと思っている。

author: junichi ikeda

CONCEPT

FERMATは、コミュニケーションという社会の基底を与える領域の変化の徴候に照準しながら、未来のビジョンを描くことで、新たな何か=“X”、の誕生を促します。