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「私たちは皆図書館の中で生きている」~Twitterの図書館所蔵の話の続き

昨日のエントリーをアップした後、Twiter上で

「今回の呟きの所蔵は、過去・現在・未来の140文字のテクストが、知識や真実の貯蔵庫や情報蓄積の場としてのポジション確立の1歩となる?」

という質問を頂いた。一端Twitterで簡単に回答したものの、興味深いテーマなので、その時の呟きをもとに加筆修正したものを記す。

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Twitterが「知識や真理の貯蔵庫」としての蓄積の場の第一弾として選ばれたことは間違いないが、Twitterが唯一かどうかはわからない。

昨日のエントリーで連邦議会図書館の“Web Capture”というプロジェクト、というか指針を紹介したが、今後、連邦議会図書館自身が、ウェブ化やデジタル化による社会全般の情報化潮流に合わせ、自らを、デジタルかアナログかに関わらず、情報の蓄積の場として位置づけていくことはまちがいない。であれば、次に出てくるTwitter的なサービスをもさらに取り込んでいくと思うので、Twitterが究極ということはないのではないかと。

それから、テクニカルなことをいえば、Twitterのミラーサーバーなどを用意するのかどうかにもよるが、基本的には、連邦議会図書館がTwitterのサーバーのアクセス権を保有する(←このあたりの所有概念は正直詰めると難しい話)ことになると思う。

だから、重要なのは、Twitterの呟きが、いわゆる図書館法による扱いを受ける対象になると言うことだと思う。図書館の利用者に対しては、利用履歴の秘匿など、プライバシー保護に関して独自の、確立されたルールがある。また、そうした地位を法曹界の人たちにも認められている。

そうした図書館利用者にまつわるルールが、Twitterの利用者にも適用されるパスができたということではないだろうか。

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Twitterの後続もアーカイブ対象になるものが出てくると思われるが、それでも、このTwitterのアーカイブ化がもたらすインパクトというものもあるだろう。

Twitterのアーカイブ化では、フォークロア的に、雑踏のざわめきをなす声を全てを取り込むような形で、呟き群が1対1の写像としてアーカイブされてしまう。こういうイメージが確立される方が影響としては大きいのではないか。

ちょうど写真がスチルからデジカメになって誰もが視覚イメージを切り取って記録することができる、ということを皆が信じるようになったら、写真に対して記憶を重ね合わすことが随分と減ったように感じるのと似ている。セピア色で憂う、という感覚を、デジカメかスチルかを問わず一般の写真に持ちにくくなった感覚。もちろん、スチルといってもプロではなく素人によるものに限るが。

もっとも、これは、「音声会話のようなテキスト交換=コミュニケーション」の交換と考えれば、既にチャットが登場したときからそうした感覚は浮上していたのかもしれない。

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こう考えると、Twitterによらず、Social でReal-timeなWebサービスは、ゆくゆくはアーカイブ化対象になるのかもしれない。

しかし、そうするとすべからく私たちがウェブ上で何か情報的なものをやりとりした場合、それらは自動的に図書館に所蔵されるという事態が生じるのかもしれない。

そして、上で記したように、図書館という存在が現代社会の中で持つ特異なポジション、つまり、中世の駆け込み寺的空間であったアジールのように、こと情報の摂取・交換については、その履歴を開示する必要に迫られない、という特異なポジションに、まずは組み込まれることによって、さしあたってはプライバシー問題の是非、のようなものが議論対象ではなく、絶対保護原則からスタートすることができる。

これは、資本制社会の中では興味深い話ではないだろうか。

私たちは、皆図書館の中で生活している、という事態。

もちろん、連邦議会図書館の今後の動きを見ながら今記したものの当否についてはゆっくり考えていかなければいけない。

それにしても面白い事態が進行することになったものだ。

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追記

なお、質問を頂いたのは @ yfvelocity さんでした。ありがとうございました。

author: junichi ikeda

CONCEPT

FERMATは、コミュニケーションという社会の基底を与える領域の変化の徴候に照準しながら、未来のビジョンを描くことで、新たな何か=“X”、の誕生を促します。