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WEBRONZAの一件で考えたこと

WEBRONZAというサイトからリンクを当サイトに張られた件については、前のエントリーで記した。追記で書いたとおり、今ではリンクは解除されている。

ただ、担当者とのやりとりで気になったことがいくつかある。いずれも今回の件に止まらない要素を持っているように思うので、いい機会だから記しておこうと思う。

一つは、最初のメールで、リンクを張るが問題があれば言って欲しい、という趣旨で、フリーリンクならびにオプトアウトの発想でメールが書かれていたこと。

フリーリンクというのはリンクを張るのは原則自由、ということ。オプトアウトというのは、デフォルトで適用されることが決まっており、適用を望まない方が望まない旨、声を上げるなり、手続きを自力でするのが、正当な手順になる、ということ。

つまり、このルールに則ると、リンクを張られた側が張られた後にそのリンクを取り下げる要求をしなくてはいけない、ということになる。

もちろん、個人利用のブログの間でなら、リンクやトラックバックの形でこういうことは普通だし、とやかく言うものではないと思うのだが、しかし、同じ原則を新聞のような言論機関を自称するところが無自覚に前提とするのはどうなのか、素朴な疑問は生じる。

今回の例に則していえば、WEBRONZA(朝日新聞)のような大新聞(読売に次ぐ発行部数第二位の新聞だからこう呼んでもおかしくはないだろう)が、多くは個人が個人の資格で書いているブログをとりあげるという時点で、両者の間に言論提供者としては非対称な関係が生じている。

したがって、この非対称な関係において、フリーリンクとオプトアウトの原則が無限定に採用されると、個人でブログを書いている人、あるいは、フリーのジャーナリスト、ライター、の側が、オプトアウトを実行しなければならなくなり、いささか厳しいのではないか、と思う。

こうした非対称性を新聞記者の人たちはどうも忘れがちなのではないか。

こう書くのは、当方がリンクを外して欲しい旨を伝えたことへの応答として、「FERMATサイトは内容が充実しているから紹介したかったのに残念」というように、あたかもこちらがリンクを外して欲しいと伝えたことの方に問題があった、という書かれ方をされたためだ。

端的に、論点がすり替えられている。

自分が書いているものを褒められて悪い気がする人がいるはずはない。だから、ポイントは、あくまでも、事前に相談をしてもらえなかったところにあった。

こう書いている私だが、過去の経験で何回か新聞記者に取材を受けたことがあり、その都度、あまりいい思いはしなかったということを記しておく。取材はあくまでも「タダ=無料」であり、取材結果については、「表現の自由」があるから事前にどのような内容なるかは取材された側が知ることはできない。この原則が、新聞記者の場合はわりと厳格に適用される。他方、雑誌記者やライター、編集者はもう少し「人情味のある」対応をする。結局のところ、取材対象との関係性を持つ期間の長短が、そうした「相互信頼」の関係の醸成の程度を決めるのではないか、というのが個人的な経験から得られた実感だ。だから、ほぼ一見さんで終わるような取材対象に対して記者の立場は原則的に強くなる。

こうした原則的な関係性と、フリーリンク×オプトアウトの原則は、記者にとっては相性のよいもののように思える。それゆえ、扱いが難しいのかもしれない。

いずれにしても、「事前に話があれば」上記のように思う必要はなかったわけで、その意味では、単純にビジネスルールの問題だといってもいいのかもしれない。

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もう一点気になったのは、これは、むしろ、フリーリンクの方と関わる話になるが、「一体どういう文脈で自分のサイトが紹介されるのか」はやはり気にかかる。

あえていえば「紹介のされ方」で、この点は事前に相談を受けていればかなり詳細に聞いた点だと思う。要するに、編集方針に関わるところだ。

自分で文章を書く人は多分多くの人がそうだと思うが、やはり読んで欲しいタイプの人はいる。その一方で、できれば読んで欲しくない人も当然いる。こういう読者層の選択や、その裏返しとしての、読者層にあわせた書き方、というのは、広くコミュニケーションを考える人たちは第一に気にかけているところではないかと思う。

相手によって言うことや言い方、書くことや書き方、は当然変わるのだ。

どうも、こうした所作が、ウェブ登場以後のアグリゲーションが当たり前の状況下で、だいぶなおざりにされているように思う。あえていえば、鈍感、になっている(そして、だからこそ、多くの書きものがつまらなくなっているのではないかと感じている)。

その意味で、文脈を常に逸脱させうるフリーリンクというのは私は苦手だ。もう少しタメがあってもいいのでないかと思う。そして、このフリーリンクという発想は、なんでもいいからPVが取れればいい、という点で、実はとてもマスメディア、それも、新聞やテレビの発想に近いものだと感じる。中身は問わない、レートがとれればいい。発行部数がかせげればいい。しかも数百万単位で。

もしも私の書いたものがリンクされるのであれば、どういう企図で選択されたのか、その説明は事前に欲しいと思う。どういう人が、どういう文脈で読むのか。

なぜなら、Botが何かを書いているわけではないから。

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終わったことをくどくどと書いたのは、今回の一件は、単に連絡ミスということでなく、それ以上にウェブや新聞一般についても当てはまる問題点を含んでいたように思うからだ。

その意味では、こうしたことを実感させてくれたWEBRONZA担当者の方にも感謝したい(これは皮肉でありません、念のため)。

なにか根深い問題が潜んでいるように思える。それはこの国においてアメリカのようなウェブ・ジャーナリズムが生まれてこないこととも奥底で関わっていることのように思える。

author: junichi ikeda

CONCEPT

FERMATは、コミュニケーションという社会の基底を与える領域の変化の徴候に照準しながら、未来のビジョンを描くことで、新たな何か=“X”、の誕生を促します。