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Tea Party は政党ではない: アメリカ中間選挙結果について

気がついたらアメリカの中間選挙が終わってしまった。
事前の予測調査通り、共和党が勢いを取り戻す形で終わった.
最も人々の直接的で短期的な関心での投票を引き寄せやすいと言われる下院で共和党が過半数をとったことが一番の勝利だろう。これで下院議長は共和党から選出されることになる。忘れられがちだが、下院議長(the Speaker)は、大統領職継承3位の職務だ。大統領、副大統領がともに何からの理由で大統領職を完遂できなくなった場合、下院議長が大統領職を引き受けることになる。下院で過半数をとるというのはそういうことだ。

とはいえ、下院で過半数をとったものの、上院は民主党が過半数を維持した。したがって、今後の法案審議は、上院と下院で平行線をたどるものも増えると思う。
あわせて行われた州知事選でも共和党は当選者を増やしている。

今回の選挙の台風の目はTea Party Movementであることは間違いない。2009年夏ごろの、ヘルスケア法案の審議の頃から草の根の動きとして、同時多発的に全米各所で始まったこの運動は、最終的には共和党の予備選に候補者を送り、予備選を通過し、本選も勝利するものがでた。

この件はいくつか記したいところなのだが、今は手短に、

Tea Partyは政党ではない、

ということを強調しておきたい。

というのも、日本の報道でこれを無理やり日本語に訳して「茶会党」なる珍妙な言葉まででてきていているからだ。さすがにこれは報道側の良識として取下げて欲しい訳語だと思う。単なる誤解しか生み出さない。カタカナで「ティー・パーティ・ムーブメント(もしくは運動)」ぐらいにとどめて欲しいところだ。

Tea Partyと自称するグループから生まれた議員は基本的に共和党から立候補し本選を戦った。まず、この事実から、Tea Partyは政党ではなく、共和党内の一部勢力、もしくは派閥ぐらいに留めるべきだろう、というのが、最初の見方だ。

しかし、派閥というには、その領袖的人物が存在しない。しばしば、サラ・ペイリン(2008年の共和党副大統領候補)とグレン・ベック(ラジオホストでTea Party運動のスポークスマン的存在)が中核的人物としてアメリカの報道でも今秋、頻繁に取り上げられたが、しかし、彼らがTea Partyなる組織を作っているわけではない。

Tea Partyという呼称は、あくまでも、ヘルスケア改革法案を中心に「連邦政府がアメリカ人を全体として管理する仕組みを導入しよう」としていることに異論を唱える人たちが、全米各地(といってもその多くは共和党色の濃いRed States )で勝手連的に起こした複数の動きの総称として導入された。

いうまでもなくこれは「ボストン茶会事件(Boston Tea Party)」を模した言葉。ボストン茶会事件といえば「代表なければ課税なし」とした例の話だ。18世紀半ばにフランスとの長きに渡る戦争に勝利し、欧州での覇権を握ったイギリスが、その戦争で増やした負債の返済の原資として、北米英領植民地であったアメリカ(といっても東海岸の一部)に税負担を増やしたことに対する反感から発したのがボストン茶会事件だった。結果的に、この反抗が独立戦争にまで発展することになった。

つまり、今回のTea Partyにはそういうニュアンスが込められていたからこそ自己の呼称として選択された。俺達があずかり知らぬところで勝手にヘルスケアを連邦のものにするんじゃねぇ、という感情的反発がそもそもの発端で、その感情的高まりを表現するために、アメリカ史の記憶からTea Partyという言葉が選択されたのだった.

だから、そもそもParty=政党のはずがない。

ということで、機械的に「茶会党」なる日本語を流通させる愚だけはなんとかなくして欲しいと思うところだ。こうした訳語の弊害は随所で見られ、理解を促すよりも誤解を増やすことの方が多いと思うからだ。

余談ながら、たとえば「与党」という言葉があり、これがそのままアメリカの議会で多数派を占める政党に使われることが多いが、しばしば「政府与党」と言われるように、これは議院内閣制のもとで、行政府の首班指名が議会の多数派によって示されることから来た言葉だ。従って、大統領制の上に成り立つアメリカにはこれは適用できない。

つい最近まで「アメリカの与党・民主党」なる表現を日本の報道で見かけることが多かったが、それはたまたま、大統領の所属政党と、連邦議会の上院・下院の多数派が民主党だったから成立した表現でしかない。

さて、今回、連邦議会の下院の多数派は共和党になったわけだが、この状態を「与党」という表現を使って表現し続けるのだろうか。

ということで、アメリカの政治システムは日本のものとは「全く」異なるわけだから、それを伝える報道の言葉もオーバーホールする必要があるのではないだろうか。そのための分かりやすい例として「茶会党」と引き合いに出すなら今回の珍訳も意味があるのかもしれない。

そもそもアメリカの政党には党首ないし総裁というポジションが存在しないので、首班指名なる枠組みも使えない。例えばオバマ大統領は民主党の総裁でも党首でもない。党の運営と実際の政府内のポジションはリンクしない。基本的には「選挙」を通過した人が、あるポジションを得るだけの話。

あわせていえば、アメリカの政党は、党の綱領のもとで組織されるようなイデオロギーで結集した集団ではない。むしろ、連邦全体の選挙を通過せざるを得ない「大統領選」のために各地の集団が結集した、その意味では、選挙を通じた権力奪取ゲームのための集団だ。

だからこそ、今回の中間選挙のように、全米ではなく州や地元選挙区の話になると、たとえば、同じ民主党といっても、マサチューセッツのような東部と、テキサスやアーカンソーといった南部では全く考えが異なってしまう。とても同じ党とは思えない。南部の民主党議員が、Blue Dogという、政策的には「大きな連邦政府を好まずに、個人の自由を重視する」ことをよしとしヘルスケア改革にも難色を示して、あたかも共和党員のような態度を取る。その一方で、ニューイングランドの共和党議員が、むしろヘルスケア改革に合意する、というような、党の所属と、地域の所属で、ネジレが生じてしまうことが多数出てくる。

民主党=デモクラシー(民主主義)、共和党=リパブリカニズム(共和主義)と字句通りとっても意味はない。それらはイデオロギーとしてあるわけではないから。最低でも、これに、リベラリズム(自由主義)/コンサバティズム(保守主義)をかけ合わせて四象限で捉える必要がある。それに加えて、地域性が大事な要素になる。

つまりは、各地域のお国柄、土地柄が反映されるわけで、その意味で、議員はその地域の個性を「代表する者」となるわけだ。そして、そうした地域性は、アメリカの地域的発展の経緯や、連邦政府と州政府の二層政府体制であるとか、を加味しないことには理解できないことになる。その意味で、本質的に分散的であるし、その分散性が維持され続けるシステムが稼働していることになる。そして、大統領選は、そうした分散性にとりあえずは覆いをかぶせて、一枚岩の顔をしましょう、でないと外交やら貿易やらで困ってしまうでしょ、という感じの、統一感を得るためのイベントと思ったほうがいい。

そして、それは、同時に、個々のアメリカ人が、どんなアメリカ人でありたいか、そのアイデンティティの模索の機会と思っていい。今回の選挙では、オバマの当選に大きく貢献した黒人やヒスパニックや若者の投票が少なかったと言われている。これは、つまり、大統領選というのは「未来のアメリカ人のイメージ争奪」であり、中間選挙は「現在のアメリカの現実の反映」でもあるということだ。これも、大統領選と議員選挙が、全くの別物として運営されているシステムの違いの反映だろう。

大統領選に出馬する人の多くは、現職の州知事や連邦議会議員であることが多く、当然、彼らの発想は地元のことを考えてのものだ。だからこそ、大統領選では、公開のディベートが組織され、そこで彼ら候補者の過去の利害の所在やそれに基づく過去の発言に対して、全米/連邦視点からのツッコミ的質問が繰り返されることになる。一種の禊のプロセスとして、そこで全米の、全体の利益を、しかも「未来の利益」を指し示すことが求められる。それゆえ、経験の浅い人物でもそれなりに選挙戦を戦えてしまうわけだ(もちろん、これは相応の危険性も伴うわけだが)。

こう考えれば、今回の中間選挙結果をそのまま2012年の大統領選を含め一般選挙にまで延長して考えるのは懸命でないことがわかるだろう。選挙の質が、大統領選の年と中間選挙の年とでは違うからだ。

今回、むしろ興味深いと思ったのは、北東部の五大湖周辺の工業州が赤く(=共和党支持に)なったこと、西海岸が青く(=民主党支持に)なったこと、とりわけ、カリフォルニアがより青くなったこと。また、南西部も青い要素が増えたこと。

これは、端的にアメリカにおける製造業=工業が、農業同様、アメリカの経済から置いてきぼりをされているように思い、連邦政府の公式見解であるアメリカの産業未来(おおむね情報化やハイテク化、あるいは、サービス化、と言われる傾向)が、自分たちの望む未来と乖離し始めていると感じていたことが明らかになってきた、ということだろう。だから、五大湖周辺の自動車や鉄鋼がある街は赤くなるし、西海岸や南西部のハイテクやサービスが中心の街は青さが増していくことになる。

これは、いわゆる「カンザス問題」が農業従事者だけでなく工業労働者にも伝播し始めたということだろう。

カンザス問題というのは、本来ならば民主党的な政策、つまり、経済的弱者救済志向で、マーケットメカニズムにそぐわない農業のような産業には連邦予算を拠出する、といった政策が、カンザスのような農業従事者が多い、あるいは、一次産業が多い州では支持されてしかるべきなのに、なぜかそうした保護を撤廃する政策を標榜する共和党支持にまわってしまっていることに対する疑問のことだ。

これはとても複雑な議論なので、ここではこれ以上触れないが、そうした、政策からくる実利と投票行動との間の乖離が生じることを、ここでは象徴的に「カンザス問題」としておく。それが、どうやら工業にも伝播したように思えるのだ。なぜなら、オバマはBig 3の倒産を救うという、相当のやりすぎ(overreach)をしたにもかかわらず、それらの州からの支持を今回受け取ることができなかったからだ。

だから、このカンザス問題が工業州にも起こるとしたら、今後の見所は、端的にいって、五大湖周辺の従来は民主党支持州であったミシガン、イリノイ、オハイオ、ウィスコンシン、ペンシルバニア、あたりの州と、南西部の従来は共和党支持州であったテキサス、アリゾナ、ニューメキシコ、コロラド、ネバダ、あたりの州が、相互に支持を入れ替えるかどうか、ということだろう。これが、今後、10年ぐらいのアメリカの選挙戦のみどころではないだろうか。

最後にもうひとつだけ。

今回、Tea Partyの動きで消された感があるが、選挙報道で注目を集めたものとして、カリフォルニア州知事に共和党から立候補したメグ・ホイットマンによるなりふり構わない広告費の投下があった。正確な数字はあとで補いたいが、要するに州知事選としてはありえない額の広告費が、しかも彼女の資産を原資にして投じられたというものだ。これは、彼女の経歴は、eBayのCEOであり、選挙された公職(elected office)の経験がなかったため、もっぱら有権者へのポピュラリティに訴えるしかなかったからだ。彼女が勝った場合、2012年以降の共和党の大統領選にも十分影響を与えるはずだったので、彼女の落選は、結果的に、共和党の「女性」候補としてサラ・ペイリンの価値を上げることになってしまった(同じことは、上院選で落選した元HPのCEOのカーリー・フィオリーナにも当てはまる)。

補足すると、NY市長(小さな州よりもはるかに規模が大きいので、州知事なみに注目される)のマイケル・ブルーンバーグももともとCEOから出馬し当選したので、企業人から公職につくことに前例がないわけではない。だから、ホイットマンの動きもそれだけならおかしいことではない。むしろ、この後、議論になるのは、それだけの広告費を投じたことの意義や、そもそも広告が選挙にとって効果があるのかどうかという疑問の方だろう。

そのホイットマンを破って当選したのが民主党のジェリー・ブラウン。彼は70年代後半にも州知事を務めた人物だ。カリフォルニアといえば州財政の破綻問題の傍ら、エネルギーや環境の新たなフェーズを見通すために力を入れている州だ。ある意味で、のっぴきなならない崖っぷちにある中、その解決策として新たなアイデア(それは技術的な新しさの採用も含む)を模索している。そこに経験のある州知事が誕生したことはやはり興味深い。かつては、アメリカの未来はカリフォルニアにあり、と言われたが、この十数年はもっぱら下り坂で、むしろテキサスに勢いと取られていた。ブラウンによって、カリフォルニアが再生し、改めて連邦の未来を先導する州になるのかどうか。この点は注目していきたい。

author: junichi ikeda

CONCEPT

FERMATは、コミュニケーションという社会の基底を与える領域の変化の徴候に照準しながら、未来のビジョンを描くことで、新たな何か=“X”、の誕生を促します。