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なし崩し的展開でもいいから今は分散社会的な対応を行おう

(訂正)  以下の文中で言及した気流シミュレーションに貼っていたリンクは、直接のリンク先であるtweetの発信者である早野氏が引用を取りやめたため、外しました。ご了承頂きたく(3月15日10:00)。

*

3月11日の東北地方太平洋沖地震による福島原発事故(危機)を受けて、東京を含む関東圏では、東電による計画停電が発表された。

加えて、3月14日現在、東京では今でも余震が続いている。

仮に足下の原発の危機が去っても、失った発電能力を短期に回復することは容易なことではないだろう。したがって、しばらくの間は、放置しておけば計画停電を行うような状況が続くことになる。飛行機でいえば、いわば片肺飛行を続けながら目的地への着陸を目指すようなものだ。

とはいえ、計画停電は、その計画の周知を含めて広域における混乱を誘発するかもしれない。また、そのエリア内で本当に電力を必要とする場所(病院とか養護施設、あるいは信号等)の電力の確保の問題が生じる。

だから、早期に計画的であれ、停電の事態を抜け出すために、「節電」で対処することを励行しよう。

ウェブにおける「常時接続」ならぬ「常時電力確保」の状態を全体として維持することができれば、差し当たっての心理的抵抗(不安や憂鬱)は随分と軽減できるからだ。

計画停電というのは、あくまでも東電(とおそらくは政府)が確信をもってとりうる対応手段の一つだろう。管理責任を追求される彼らの立場からすれば「計画」的に対応せざるを得ない(また、従来型のマスメディア記者は、その責任追及を習い性と実行せざるを得ない。けれども、そのような、一種の意地の張り合いにまで私たちが巻き込まれる必要はないと思う)。「計画停電」という発表は、もちろん、一種のショック効果が期待されている。人々が各人のレベルで一度事態を受け止めてもらうにはその事態の極々一端を停電という形で実感してもらう必要もあるからだ。

とはいえ、ショック効果は一度で十分であり、その後は、受け止める人々の方でもやれることはある。それが受け止める側の自主的な対応だ。それを私はNYで目の当たりにしたことがある。

私は2003年の夏、NYに留学した直後に、「大停電」の現場に居合わせた。地下鉄移動中に何度か電車が停止し、これはなんだかおかしいと思い、タイムズスクエアで地上に出ると有名な電光掲示場が全て消えていた。留学直後でよく事態を飲み込めないまま、とりあえず打ち合わせの目的地に到着すると、広域で停電が起きたようだから、とにかく散会しようということになった。道に出ると既に人でごった返していた。

とりあえず、ブロードウェイに沿って、約100丁目分くらいを4時間ぐらい掛けて帰った。夏場はNYは夜の8時過ぎくらいでも太陽が出ているので、何とか明るいうちにアパートにたどり着き、その日はとっとと寝てしまった。

翌日、目が覚めると、既にアパートの管理を担う職員(コロンビア大学が所有するアパートの職員で黒人やヒスパニックがほとんど)の人たちが黙々と管理作業をしていた。

NY全域では電力供給は回復しておらず、地元ニュース局であるNY1ではブルーンバーグ市長がとにかくニューヨーク証券取引所を止めるわけにはいかないのでウォール街のあるローワーマンハッタンのあたりから優先的に電力を確保する、ということを伝えていた。同時に、NBCやCBSなどのテレビ局では当然のごとく、電力供給の管理責任について政府や電力会社に対する批判や追及が行われていた。

しかし、街に出ると、そんなことはどこ吹く風、ま、インフラなんて時々おかしくなるよね、という具合に、割と人々は平然としていた。もちろん、911の経験もあったからだろうが、電気がつかなければロウソクを使えばいいぐらいの感じで、飄々と日常生活のモードに戻っていた。

この様子に、NYに行ったばかりの私は実は相当驚いたことを覚えている。人々の生活と政府の公式発表とは直接リンクしないし、しなくてもなんとかなる、というのがその時の印象の中心だった。

この時の経験にならえば、一部の地域にさしあたって我慢を強いる「計画停電」はトップダウンの管理者のとる手段でしかない。急いで付け加えるが、これは「計画停電」のような事態が生じてしまったことを責めているわけではない。そうではなくて、そのような、いわば管理人側の提案=対処方法に対して、それを受け止める側でもやれることがあるのではないか、ということだ。

(もちろん、継続する余震や原発事故の存在は別の懸念ではあるが、しかし、こと大都市圏における停電への対処というのでは同じと思うのだ)。

さしあたって思いつくのは、自主的な節電であり、とりわけ大事な点はピーク時の電力需要の軽減だ。そして、その実施可能性について計画停電が始まって、できるだけ早い時期に事実として補足する必要がある。これは、緊急時にできるだけ確度の高い情報を確保することとも関わることだ。

たとえば、昨日来、楽天の三木谷浩史氏(@hmikitani)は節電のための手段を示し、楽天社員に対して自宅待機(もしくは在宅勤務)の可能性についてtweetを繰り返している。

三木谷氏のtweetはたまたま目にしただけだが、同種の対応が他の企業の経営者ならびに経営スタッフでもなされていることに期待したい。たとえば、昨日の日曜のような休日の状態であれば停電はせずに何とかなっていた。それは既に事実としてあるからだ。

(昨晩、都内のある商店街を歩いたが、ネオン照明のオンオフの対応にも多くのバラつきがあった。そのなかで目立ったのは明らかにフランチャイズ系の店舗の幾つかがネオンを付けていたことだ。おそらく、土日を挟んだため、本部からの判断が伝わっていなかったということもあるのだろう。平日の通常営業状態での対応に期待したい)。

もちろん、三木谷氏もtweetしていたように、「電力の消費の70パーセントは企業」であり「企業の消費が半分になれば65%になるはず」とあるように企業の存在は大きい。しかし、同時に「あと家庭が30%カットすればこれで50%」となるのも確かなのだろう。さしあたって、このような具体的な目標のもとで対処することで、可能なかぎり停電をせずに済む状態を目指すことが大事だと思う。そして、それは、上述したNYersのように、黙々と、やれることからやって行くということだと思う。

それは、企業であれば可能なかぎり在宅勤務で対処できることは対処するということなのかもしれない。それに付随して輸送に伴う電力消費を減らすということなのかもしれない。何が最善の策かはもちろんわからない。

しかし、まずはなし崩し的であっても構わないから、可能な限り、ピークを減らす分散型の対応をこの機に試みてもいいのではないかと思う。

震災直後の海外メディアでは、日本国内の人々の対応に対して、我慢強く秩序だった対処をしていることに賛辞を贈るものが多い。それはそれで誇りに思っていいことだろう。

Japan is rich in resilience
【Financial Times: March 11, 2011】

Sturdy Japan
【Wall Street Journal: March 12, 2011】

とはいえ、日本国内に住む者としては疑問に思うこともある。たとえば、今回の情報提供においては、Ustやニコ動によるネット再送信やネット中継が大切な役割を果たしたし、いまだに果たしていると思うが、これらも震災という事実の甚大さがなし崩し的に起こしたという印象は拭えない。

政府であれ、東電であれ、マスメディア記者との間で、とにかく「正確な」情報の授受に終始してしまう会見=広報の場を中継で見ていても、今、私たちが必要とする、「指針」となる情報はどうやら得られそうにないと感じないではいられなかった。

むしろ、私も途中から参考にしたが、東京大学の早野龍五教授(@hayano)のような専門家による、福島原発の情報の解釈や推測が、この三日間ほどは最も「安心」を与えてくれ、同時に「指針」となるヒントを授けてくれたと思っている。解釈も推測も、早野教授の主観的判断に過ぎない。その点では絶対確実な情報ではない。しかし、震災直後、原発事故発覚直後に、多くの人々が求めていたのは、そのような絶対ではないが指針となる、判断材料となる情報だったはずだ。あるいは、判断の仕方そのものだ。

あわせて、早野教授のTLに登場する、MITやNASA等による原発の構造レポートや気流シミュレーションの結果にも、その内容もさることながら、そのようなレポートが迅速に提示されることに素直に感心した。もちろん、これは、先日オバマ大統領が、代替エネルギーの一つとして原子力発電の推進を取り上げたことも影響しているだろう。実際、共和党からは、足下の日本の状況を鑑み、既に反対論が出始めている。

U.S. Nuclear Industry Faces New Uncertainty
【New York Times: March 13, 2011】

そのような政策的対立があることはわかった上で、しかし、その迅速な情報提供には驚かざるをえない(この他にも、ウェブ上の情報提供についてはGoogleによる被災地情報の提供や、BBCやCNNによる映像情報というように、国外の企業によって、ウェブの能力を活用した情報提供が目立ったことはウェブ利用者なら既に了解済みのことだと思う)。

地震のような天災が起こらない限り事態が動かない日本という国の状況には、日本に住むものとして、海外メディアの賛辞とは別次元で思うところはないではない。

けれども、今は、そのようななし崩し的対応でも構わないから、分散的な発想や行動様式を試しながら、事態に対処していくことでよいのだと思う。そして、その限りにおいて、額面通り、海外の賛辞を受け入れ、多少の自惚れや自負とともに対処していいのだと思う。

そうすることで、彼らの賛辞に見られる、弾性のある=resilientな、打たれ強い社会が現実のものになってしまえばいいからだ。

なし崩し的にでもいいから今は分散社会的な対応をしてみる価値がある時だと強く感じる。

author: junichi ikeda

CONCEPT

FERMATは、コミュニケーションという社会の基底を与える領域の変化の徴候に照準しながら、未来のビジョンを描くことで、新たな何か=“X”、の誕生を促します。