• はてなブックマーク
  • Delicious
  • twitter
  • 印刷
Pomoのささやかな抵抗

ミュージシャンのニール・ヤングが、デジタルミュージック全般の音質の「劣化」について憤り、ならば自分が、ということで、高品質の音楽をウェブ経由で提供するサービスをスタートするという。さしあたって、「Pomo(仮)」がそのサービス名(装置名)だ。

Neil Young Still Singing the Praises of Better Quality Digital Music
【All Things Digital: September 29, 2012】

簡単に言うと、iPod以後の、主にはMP3ファイルの音質にヤングが納得できず、音質を劣化させているのだから、これは改善どころか改悪で、従って、新テクノロジーやイノベーションとして言祝ぐことなど決してできない、というのが彼の基本的なスタンスだ。

これをまた感覚的に例えると、ジャンクフードばかり食べていると健康に悪い。ちゃんと栄養を考えた上で食事を取りなさい、と言っているのに近いのだろう。

もちろん、彼の主張はiPodが登場して10年余りが経過しているという事実も影響を与えるのだろう。つまり、iPod以後に音楽に親しんだ人たちが、既にHi-Fiの存在を知らない、という事実だ。

たいていの人がまだ高音質(high fidelity)の音楽に触れ、Hi-Fiの音源の存在を知っている時であれば、たとえば、MP3の再生音楽が「劣化」しているということに気付くことができる。けれども、最初から劣化したものにしか触れていなければ、それが標準になってしまい、そもそも高品質の音源があることにすら思いが至らない。そういう事態を多分、ヤングは憂慮している。

記事の中でリンクが張られているインタビューを見ると、ヤングによれば、アナログ音源のデータ量を100%とすれば、今のMP3のデジタル音源のデータ量は5%に過ぎないという(それくらい劣化されているといいたいようだ)。いわゆる「便利さ(convenience)vs 質(quality)」の二択的議論設定の中で、低品質のもの=convenienceであると信じこまされている環境に憤っているようだ。そこで、高品質の選択肢もある状況を作ろうとしてPomoの企画に至ったようだ。

もちろん、音質の問題は、CD登場の折にもさんざん指摘された話で、このヤングの話もその反復に見える(実際、ヤングはCDの時にも抵抗感を示していた)。

加えて、その音質の違いがどこまで意味を持つのか、というのは、実は、普通に音楽を聞く(消費)している側からするとあまりよくわからないというのが実感だろう。簡単にいうと、どうしてそこまで憤るのかがそもそもわからない。しかし、その普通の人がわからないと感じる部分に、低品質=コンビニエンス、という図式が既に刷り込まされているとヤングなら解釈するのだろう。

だから、ヤングの指摘は、やはり作り手側、つまり音楽を作曲し演奏する側の、提供する側から生じた疑念だということができる。高みに達した名人にはその違いはわかるが、しかし、それらを消費するだけの人間には、高みの存在は見えても、そもそもどの程度の高さにあるのかは想像できない。

つまり、このヤングの問題は、私たちが、次世代の制作者に何を残すか、何を継承させたいか、という教育全般の問題に繋がる。なぜなら、経験者、その中でもとりわけ名人にしか、その高みの設定をできないからだ。

しかし、この高みの設定というのは、数量的に圧倒的に非対称な関係である、制作者―消費者の関係を相当意識しない限り、便利で安ければいい、という方向からの傾斜から抜け出すことは難しい。

裏返すと、制作者と消費者の間にある、高段位の、いわば黒帯の消費者(往々にしてセミプロの制作者でもあるのだが)によって、高みの素晴らしさを語り続けてもらわければならない、ということなのだろう。改めてエヴァンジェリストが必要になる、ということなのだろう

となると、ヤングの試みも、文字通り老兵が鞭打って抵抗しようとする、ドン・キホーテ的試みのようにも見える。しかし、意外とこのようなウェブ以後のドン・キホーテは、今後、随所で登場するのかもしれない。

author: junichi ikeda

CONCEPT

FERMATは、コミュニケーションという社会の基底を与える領域の変化の徴候に照準しながら、未来のビジョンを描くことで、新たな何か=“X”、の誕生を促します。