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ソニーはメディア・コングロマリットであり続けるのか?

ソニーの株主で、在ニューヨークの投資ファンドであるサード・ポイントが、ソニーに対して、エンタテインメント部門の分社化を要求したという。

American Investor Targets Sony for a Breakup
【New York Times: May 14, 2013】

Investor Pushes Sony to Take Entertainment Unit Public
【Wall Street Journal: May 14, 2013】

さすがに日本の家電企業の一角を占めるソニーに対する提言だけに、アメリカだけでなく日本のメディアでもこの件は報道されている。だから、その詳細についてはここでは触れない(ググれば関連記事はすぐに検索できる)。

この報道で気になったことは、一つには、円安に誘導すれば確かにこのような国外の株主による、彼らの基準からすれば極めて合理的な要求が、特にソニーに限らず聞かれるようになるのだろうな、ということ。1ドル80円台の円高の時に、多くの日本企業が国外企業の買収に走ったことを踏まえれば、当然の動きといえる。当然というのは、日本企業も国外企業を買収し傘下に収める、という企業経営上合理的な行動を取ってきたのだから、同じゲームのルールの下で、今後は買われたり、いろいろと要求されたりするのだろう、ということ。何が言いたいかというと、一定範囲で公平で公正な見方が必要になるだろう、ということ。

そうした足下の経済環境の下での一般論の話を確認した上で、さて、ソニーという、アメリカではメディア・コングロマリットの一角を占める企業が、実際のところ、どのような行動を取るのか、ということに焦点が当たる。あるいは、どのような行動をとるのが適切なのか、ということだ。

今、さらりとコングロマリットという言葉を使ったが、これを単純に「総合企業」と捉えてはいけない。総合企業というのは、当該企業が属する産業の関連事業を一揃い持つ、という意味で「総合」というものだ。したがって、基本的に傘下にある企業群は相互に依存しあう関係であることが多い。

対して、コングロマリットとは、キャッシュを産み出す企業であれば、相互に事業上の関連性がなくとも傘下に抱える企業集団をいう。そして、しばしば、その頂点にはグループを統括・管理する持ち株会社となる。言うまでもなく持ち株会社は傘下の企業の株式を保有しそこからの配当でグループ全体の収益を確定する会社であり、傘下企業の株式を運用する一種のファンドのようなものだ。

となると、ポイントは、2010年代中盤にもなろうとする現在、「メディア・コングロマリット」という存在は未だに意味を持っているのか、ということになる。そして、この問については、アメリカの様子を見ると、どうも徐々に意味を失っているように思える。

たとえば、2000年前後であれば最大のメディア・コングロマリットあったタイム・ワーナーは、今ではほぼ映像部門しかない。過去10年の間に、音楽や出版等の部門は外部に売却するか、スピンオフさせてしまっている。バイアコムも分割された。ニューズ・コープも例のマードックのスキャンダルで今後の方向性が見直されている。

つまり、過去十年ほどの動きとしては、アメリカのメディア・コングロマリットの多くは、株主の要請に答えて、その都度、中核的な資産と周縁的な資産を仕分け、後者については切り離す方向で今日に至っている。

例外があるとすれば、ディズニーくらいで、ここは、近年、キャラクターを中心にそれらを複数のメディアで展開することで、所有コンテントの価値を増やす方向に向かっている。たとえば、アメコミの老舗であるマーベルを買収して以後は、『アベンジャーズ』を中心にその映画をたて続けに製作し成功を収めてきているが、その映画の公開の合間に、『アベンジャーズ』の中で登場する組織=SEALsのエージェント、つまり裏方スタッフ=脇役を中心にしたテレビドラマを企画し、ディズニー傘下のABCで放送しようとする。そうして、ディズニー傘下の複数の媒体を連携させ、特定のコンテント(この場合は『アベンジャーズ』)から得られるキャッシュ・フローを増大させようとしている。そのような営業戦略が展開可能であるなら、メディア・コングロマリットとしての意味をディズニーは持ち続けることができる。

こういう状況を見ると、元の疑問に戻って、では、ソニーは、そのようなシナジーを、エレクトロニクス部門とエンタテインメント部門の間で起こすことができるのか、という、アメリカのメディア業界から見れば極めて真っ当な問を投げかけられることになる。

もちろん、所有資産の処分については、単なる経営合理惰性だけで説明されるものではない。この点は、特段に日米の間でも差はない。

ただ気になるのは、先のディズニーの例のように、コンテントを通じてのバリューの最大化という方向は、コンテントの流通が複数のプラットフォームで可能になったことを想定してのものであるし、そのプラットフォームの基盤となるのがウェブ=インターネットである、という競争環境を認識してのことだと思われる。タイム・ワーナーが映像部門に本体の資産を集中させたのもディズニーにならってのものと思ってよいだろう。

つまり、特定のプラットフォームを提供するというエレクトロニクス部門と、プラットフォームを超えて流通させることで収益機会を増やそうとするエンタテインメント部門(コンテント部門)の間で、シナジーを起こすことが可能なのか、という問だ。

思い切り単純化していえば、ソニー・ピクチャーズの映画『スパイダーマン』によって、ソニーのテレビをより多く売ることができるのか、という問だ。あるいは、ソニー・ミュージック所属のアーティストがヒットを飛ばすために、ソニー製品がどのような貢献ができるのか、というものだ。

ソニーが映画や音楽部門を傘下に収めたのは80年代後半から90年代初頭のマルチメディアの時代であり、当時はテレビがマルチメディアの先導役とみなされていた(興味のある人は『デザインするテクノロジー』を参考にしてほしい)。だから、主要AVコンテントである映画や音楽のアーカイブとその生産力を抱えることに経営的意味があると思われた。当時はプラザ合意以後の円高基調の時代であり、その円高にあわせて、日本の家電産業の多くがハリウッドに投資をしたり買収を仕掛けたりしていた(それこそ『課長島耕作』の中でも当時の買収気運をモチーフにいくつかのエピソードが作られている)。松下電器がユニバーサルを傘下に収め、東芝がタイム・ワーナーと提携したりしていた時代だ。もっとも両社とも後日、資本関係や提携を解消している。技術標準作りにシナジーがないと判断されたためだ。

もっとも、ソニーについては、90年代中盤に発売されたプレイステーション(PS)によって、ゲーム市場への参入に家電産業としては例外的に成功した。ITバブルの時代には、PCに代わる家庭用ネットワーク型コンピュータとして、実は世界中で期待されていた時期もあった。まだ紙でしか発行されていなかった白黒刷り時代のThe Economistでそのような記事を読んだことを覚えている。裏返すと、PSの成功が、エレクトロニクスとコンテントのシナジーの可能性に一定の説得力をもたせることができた。

しかし、それももう十数年前の話だ。

マルチメディアの担い手は、テレビではなくインターネットとPCになり、メディアビューアーの中心は、スマートフォンとタブレットに向かっている。ゲーム機はポータブルの方に大きくシフトし、そこから同じくスマートフォン+タブレットに雪崩れ込みつつある。

つまり、インターネットがコンテント流通の中核としてほぼ確定してきている中で、傘下のコンテントをどのように生かしていくのか、が問われている。ちなみに、先ごろ『スター・ウォーズ』を所有するルーカスフィルムを買収したディズニーは、ゲーム開発は外部に委ねることを決定している。

今回要求されたエンタテインメント部門の分離については、多分、今後のソニーがどうなるのか、あるいは、どうしたいのか、という経営ビジョンと深く関わる問題になると思われる。

もちろん、キャッシュ・フローを産み出すコンテント部門を切り離したくはないという判断は大いにあり得る。そもそも、音楽メジャーは既に世界で3グループにまで集約され、ソニーはその一角を占めるわけで、複占から生まれる利益は硬い。もっともだからこそ、その音楽部門だけを分社化する声も止まらないように思われる。

単なる一企業の問題を超えた様々な要素を持つのが、今回のソニーへの要請なのだと思われる。為替と経営の問題、経営資源の問題、プラットフォームの問題、コンテントビジネスの問題、・・・等々。もちろん、ソニーからすれば、盛田/大賀時代に獲得した資産の処分を巡る問題になり、多分に企業文化の継承性に関わるものにもなるのだろう。このように、本家に対する興味は尽きない。

author: junichi ikeda

CONCEPT

FERMATは、コミュニケーションという社会の基底を与える領域の変化の徴候に照準しながら、未来のビジョンを描くことで、新たな何か=“X”、の誕生を促します。