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ラリー・ペイジは『学園都市』の実現を切実に所望する

デベロッパー向けのカンファレンスである、Google I/O Conferenceで、GoogleのCEOのLarry Pageが、企業間競争に拘泥されずに、純粋に=肯定的に科学技術の可能性を求める楽園のような場所が必要だと主張したという。

Larry Page Wants Earth To Have A Mad Scientist Island
【TechCrunch】

可能性のうち1%にしか関わることができていない。今まで存在しなかったことを産み出すことがきっと出来るはずなのに、そのような取り組みができていない。それは、日常の報道によって、A対B 、Google対A社、という形の、競争の行方を占うようなフレームで世界を見ることが強いられているからだ。このようなことをPageは考えているようだ。

これはPageが以前、Steven Levyのインタビューに答えて、Moonshot thinkingが大切だ、1%の効率向上よりも10倍、100倍の効果を上げるものの開発に向かうのが望ましい、と言っていたこととも呼応している(Google Xで行っている研究活動のようなものだ)。そのためにPageが望んでいるのが、自由に研究活動を行うことができる場所だ。そこではあらゆる科学の可能性の追及が肯定され、したがって、科学の怪物が産み出されても構わないという。

こうした科学研究のパラダイスに対して『ドクターモローの島』のような怪物創造ものの物語が参照されているようだが、人間のもつ可能性を様々なレベルで追求するというのではあれば、むしろ『学園都市』と呼ぶ方がよいように思える。

ここで『学園都市』といっているのは、人気(と売れ行き)随一のラノベの一つである『とある魔術の禁書目録』(鎌池和馬著、電撃文庫)の舞台である「学園都市」のことを指している(詳しくはググるなりwikiを見るなりして下さい。人気のありようとしては、ラノベにおける『ワン・ピース』のようなものと思えばよいかと(笑))。

この物語は、科学の力を使って超能力を開発する・・・という、要するにトンデモ研究を行っているところで、能力開発上、学園都市は基本的に中高生が集まって成立している。要するに教育と、人間の能力開発のための研究(心理、生物/細胞、AI、ロボット、サイボーク・・・等々)が渾然一体となっており、結果的に学園都市の内部と外部とでは、科学技術の発展の程度で数十年の開きがあり、その落差が学園都市の優位を更に増している。。。という設定だ(『禁書目録』はコンテントとしては大成功の作品でこれはこれでいつか取り上げてみてもいいのかもしれない。物語としても設定としてもキャラクターとしてもいろいろと興味深い点は多い)。

どちらかと言うと、シリコンバレー的世界をラノベというジャンルに接木したら、学園都市という設定に辿り着いたというのがもともとの発想のようにも思えるのだが、しかし、Pageの希望する世界のイメージを聞くと、むしろ、この学園都市のイメージの方が、超能力開発というトンデモ(=怪物創造)目標の副産物として様々な技術開発が促されてしまう点で、彼の所望する場所に近いのではないかと思えてしまう。

とはいえ、『ドクターモローの島』を使おうが、日本のラノベの『学園都市』を使おうが、Pageの求めるものが、エンジニアないしギークの、かなり偏向した願望であることも確かで、これについては、実は以前のMoonshotの話を出してきた頃から疑問に思っていた。何というか、ある種の「性急さ」を感じていた。

だが、この漠然と感じていたPageの性急さについては、先日、Pageが声帯麻痺を患っている事実を公開したことで了解できてしまったように思える。

Vocal-Cord Paralysis Afflicts Google CEO Larry Page
【Wall Street Journal: May 14, 2013】

命には関わらないかもしれないが、遠くない将来、自分の声を失う可能性がある。そのことと向き合うことで、科学技術の可能性の追及に踏み込もうとしているのではないだろうか。そう考えると、暫くの間、Pageが公の場から離れていたこともわかるし、Pageの代わりに、いわばGoogle的トンデモ開発案件の一つであるGoogle Glassを、共同創業者であるSergei Brinが色々と触れ回っていたことも納得がいく。

もちろん、個人的な動機や心理状態だけで全てを説明することはできないけれど、競合企業との競争なんかどうでもよく、とにかく凄いものを産み出すことがもっと優先されてしかるべきだ、とPageが唱えるのも、単なる科学技術の可能性だけでなく、自分自身の身体にも直接係る問題として捉えているからではないだろうか。それだけ、誠実さを伴うものとして受け止めてもよいのだろう。宇宙物理学者のスティーブン・ホーキングのように身体的障害を抱えていたとしても、人類を代表して知の領野を切り開く人も存在する。そのような可能性をPageは考えているように思える。

何が言いたいのかというと、PageとBrinが創業者としてGoogleの経営に関わっている限り、彼らのこうした個人的意向は、大なり小なり、Googleの舵取りに影響を与える、ということだ。そして、Pageの抱えた個人的事情は、科学技術の可能性を切り開くための一種の覚悟として通用するのではないか。こういう形で、創業者の意志が表明されるとは正直思っていなかったけれど、しかし、このPageの抱える科学技術の飛躍的進歩=moonshotへの切望は、Googleの今後を考える上で考慮に値すると思われる。彼の考えが少しだけボール気味の、トンデモ寄りのものであったとしても、それを空想や夢想に終わらせずに、現実のものとして実現させるだけの意志がある。したがって、Googleが開く技術的可能性について、今まで以上に真正面から受け止める必要があるように思われる。

author: junichi ikeda

CONCEPT

FERMATは、コミュニケーションという社会の基底を与える領域の変化の徴候に照準しながら、未来のビジョンを描くことで、新たな何か=“X”、の誕生を促します。