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プロスポーツと認められた、eスポーツとしてのゲーム

ゲーム業界の話であるが、League of Legendsというゲームでハイランクされたゲームプレイヤーが、アメリカに入国する際、プロスポーツ選手と同様の、長期滞在ビザを申請できることが可能になったという。

US visa bureau says 'League of Legends' is a professional sport
【THE VERGE: July 13, 2013】

League of Legends(LoL)を運営するRiot社からすると、LoLはe-sport(eスポーツ)と呼ぶカテゴリーに入る。つまり、スポーツの電子版、デジタル版、ということだ。そして、このLoLという「競技」で好成績を残したプレイヤーは、陸上やバスケットなどのスポーツジャンルで秀でた選手がプロスポーツ選手とみなされるのと同様に、「プロプレイヤー」とみなされることになるのだという。

要するに、記事中でも名前が挙がってるが、たとえば、イギリス人のデイビッド・ベッカムが、欧州大陸のプロサッカーリーグでプレイするのと同じような行動を、LoLのハイランクプレイヤーは行うことができるということだ。

では、それがどういう意味をもつのかというと、どうやらRiotの思惑としては、NFLやNBAなどのプロスポーツリーグのような「プロゲームリーグ」をいつか設立できたりはしないか、と考えているようだ。

だとすれば、ゴルフやテニスの世界のように、「Riot Open」なり「Santa Monica Open」(Riotの本社はサンタモニカにある)なりのコンテストが開催され、そこに「プロ」のゲームプレイヤーが参集するようなことが起こるのかもしれない。あるいは、先述のように、プロのゲームリーグが結成され、そこでチームを組むメンバーが世界中から集まる、ということもあるのかもしれない。バスケットの世界でアフリカ系の選手が多数を占め、注目を集めたように、もしかしたら、ゲームのプロリーグができたら、アジア系の選手がマジョリティを占めるのかもしれない。

・・・と、このようなことを夢想してもリアリティがない、あるいは、それがどういう意味を持つのだ、と思う人も中にはいるだろう。しかし、この「(ビデオ)ゲームプレイヤー」をアスリートと同様に扱う、というのは、ちょっと考えれば、実はそれほど無茶な話でもないように思える。

というのは、以前から思っていたのだが、冬季オリンピックの種目、というのが、スキーにせよ、ボブスレーにせよ、とにかく、何らかの補助具を伴うものが多く、身体を通じてそれらの補助具を操作ないし制御するという点で、究極的は、ゲームと変わらないな、と感じていたからだ。

もちろん、夏季オリンピック種目でも、球技となると、同様に対象となる「球」の制御が中心になり、身体能力といっても、必ずしも「瞬発力」や「持久力」のような「力」の発散方法の制御というわけでないものが多々あるからだ。

あるいは、こうした球技においては、勝利に向かって、「ゲームメイク」することが必要なことからもゲームとの隣接性が示せると思える。

更には、昨今のパラリンピックにおける、補助器具の高度化を見ると、オリンピックにおけるよりも、身体と競技用器具との一体性が前面に出ることになり、より「制御」が重要な要素になっているように思われる。

だから、ハイランクのビデオゲームプレイヤーが、プロのアスリートと同様に扱われる正当な理由は確かにあるように思われる。

その一方で、プロリーグでプレイするプロのゲームプレイヤーが誕生することで、ゲームの社会的位置づけや文化的位置づけもまた変わることになるのだろう。端的にいえば、ミュージシャンのようにセレブリティの仲間入りを果たし、中にはBonoのようなアドボケイトとして、むしろ一般社会を先導するような役割を担う人が現れるのかもしれない。

そして、ゲームプレイヤーが、ゲームクリエイターとは異なる文脈で、ゲームのあり方や、その土台となるコンピュータやセンサーに関わる技術の向かうべき方向に、影響を与えることになるのかもしれない。

もちろん、いわゆる「クリエイティブ・クラス」の一翼を担うような、プロの頭脳労働行使者としてカウントされることにもなるのだろう。

以上に記したことの多くは、ゲームプレイヤーにプロアスリート同様のビザが発効される、という動きからの想像だ。したがって、実現するかもしれないし、実現しないかもしれない。

けれども、ゲームという存在が、世界中で普及の段階を終えて、むしろ、スポーツ同様、コミュニケーションのための共通通貨になりつつあることを、表しているようにも思える。

裏返すと、世界の多くの国でプレイされるゲームか、それとも特定のローカルな地域でプレイされるゲームか、という違いも、ゲームの社会的付加価値を定める大事な指標になっていくということなのだろう。

そうした、世界中で親しまれる文化という点では、従来のハリウッド映画に近いのかもしれないが、映画と異なるのは、ゲームの場合、一人一人のプレイヤーも、そうした世界に広がる文化の「次」を指し示す役割を担えるところにある。

ともあれ、ビデオゲームで、サッカーのような「世界杯(ワールドカップ)」が開かれたりするのであれば、それはとても興味深いし、夢のある話のように思える。

author: junichi ikeda

CONCEPT

FERMATは、コミュニケーションという社会の基底を与える領域の変化の徴候に照準しながら、未来のビジョンを描くことで、新たな何か=“X”、の誕生を促します。