• はてなブックマーク
  • Delicious
  • twitter
  • 印刷
アイスバケット・チャレンジに見るアメリカ社会の「緩やかなつながり」

「アイスバケット・チャレンジ」という試みが、真夏のアメリカのソーシャルウェブでちょっとした話題を集めている。アイスバケット、すなわち氷水の入ったバケツを頭から被って、ALS Associationという難病治療の解決にあたる団体に寄付を呼びかけるものだ。

How the Ice-Bucket Challenge Got Its Start
【Wall Street Journal: August 14, 2014】

Ice Bucket Challenge: Cook, Zuckerberg, Nadella and More
【Wall Street Journal: August 15, 2014】

ALS Associationは「ルー・ゲーリッグ病」といわれる筋萎縮性の難病(ALS)への治療方法の推進に取り組んでいる。このアイスバケット・チャレンジを通じて、上のWSJの記事によれば、8月14日時点で、直近の二週間で760万ドルの寄付を受けたという。

当の「アイスバケット・チャレンジ」とは、ALS Associationに対して100ドルを寄付するか、アイスバケット(氷水の入ったバケツ)を被るか、の二択を迫る「チャレンジ」のことだ。そして、この「試練(!)」を通過した人は、次にチャレンジに臨む人を三名指名することができる。次に指名された人は、24時間以内に、寄付をするか、アイスバケットを被るか、選択しなければならない。

だから、これは、一種のチェーンメールであり、しかも、一人ではなく三人を指名できる点で、ねずみ講のように爆発的に拡散する仕掛けを伴っている。

もともと、この動き自体は、ALS Associationの拠点があるボストンを中心に起こっていた寄付行為だったのだが、それがソーシャルメディアの拡散力によって全米各地に飛び火している。

しかも、ソーシャルメディアの時代らしく、チャレンジを行う場面は録画されてYouTubeなどの動画サイトにアップされている。そして、アップされた動画はFacebookなどを通じてバイラルに拡散される。あるいは、Twitterでハッシュタグを付けてツイートすることで、アップされた動画をまとめてみることもできる。簡単に動画をアップでき、また、動画をチェックすることができるスマフォ時代らしいバイラルのあり方だ。

面白いのは、あるタイミングから、寄付もチャレンジも両方ともやって当然!ということになって、多くの個人、グループ、人びとがアイスバケットを被って、次の人を指名している。そもそも「寄付するか、氷水を被るか」という二択は、お金のある社会人は寄付を、ない学生はパフォーマンスでこの活動を社会にアピールする、という漠然とした役割分担のためだったはずなのだが、むしろ、両方をやって当然、という雰囲気が生まれている。

とりわけ、挑戦者として指名される人たちに、一連のセレブリティが含まれるようになってから、俄然人びとの注目を集めるようになり、単なる寄附行為から、一種の社会的ムーブメントへと変わりつつある。

もっとも、今が夏休みだから、こういう子どもじみた企画に皆が付き合ってしまう、という雰囲気があることも否めないわけだが(笑)。

セレブリティの中には、ウェブ企業のCEOも含まれる。Facebookのマーク・ザッカーバーグを始めとして、Googleのラリー・ペイジとセルゲイ・ブリン、Amazonのジェフ・ベゾス、Appleのティム・クックらがアイスバケットを被った上で寄付をしている。Microsoftの創業者であるビル・ゲイツに至っては、ただアイスバケットを被るだけでは「つまらない(笑)、自分の美学?が許さない(笑)」とばかり、自ら、アイスバケット・マシーンを設計し、その機械(笑)の下で見事に氷水を被っていたりする。

大学の学生寮で行われていたような、ちょっとおバカなイベントも、会社本社を「キャンパス」と呼んでしまうウェブ企業にとっては、彼ら自身の企業文化と大差がないようで、そのあたりがウェブ系企業のCEOがこぞって「氷水を被って」は、そのビデオをウェブにアップしていることにもつながっているように見える。ある意味で、社員に対するCEOのメッセージとして、俺はちゃんとこういうシャレもわかる人間だぞ!とアピールしているようだ。もちろん、社会一般に対しても自分たちはソーシャルな活動に関心があると伝える側面もある。一種の打算といえば打算ともいえるのだろうが、しかし、結果としてALS Associationには寄付が集まり、善行によって注目も得られ、社会の事を考える企業のイメージも得られる。そのイメージに社員自身も満足する、という意味ではいわゆるWin-Winの構図なのだろう。

もちろん、こんな感じに分析したところで、シニカルな視線を浴びせようとは思わない。実際、善いことをしているわけだから。そして、実際のところ、そうした「ソーシャルマインド」がウェブ企業で働く人たちのモチベーションや参加意欲にも繋がっているはずだからだ。ちょうどウェブ系の企業に対して、同じ働くなら将来的に自分にも起業の機会を与えてくれるオープンな文化を持つ企業、より具体的には可能な限りオープンソースを認める企業に、有能なプログラマやエンジニアが集まるようなものだ。そのような彼らの好みが、実際に企業にオープンソース的扱いを選択させることでウェブ業界にも活気が生まれるわけだから。むしろ、ウェブ企業群というクラスターの、集合的な文化として定着するのだろう。

(そういう意味では、ウェブ系企業ではない、Starbucksのハワード・シュルツも参加していることは、より大きな意味合いを持つものと解釈してもいいのかもしない。)

こうしたウェブ系企業のCEOの他にも、このような自発的な社会イベントが生じたら放ってはおかないコメディアンの人たちも当然のごとく、アイスバケット・チャレンジには参加している。人気コメディアンであるジミー・ファロンやコナン・オブライエンらは、それぞれ彼らが司会するテレビのトークショーの中で、番組の仲間とともに、氷水を被っている。

あるいは、ファンとの繋がりを重視するプロスポーツやアーティストの参加もある。アメフトのプロリーグであるニューヨーク・ジェッツがチームとして参加し、当然のごとく彼らのファンも参加している。政治サークルでは、ニュージャージー州知事のクリス・クリスティが加わっている。発祥の地ボストンでは、ケネディファミリーが一族で被っていた。

(ちなみに、ケネディ家の指名者の中にはバラク・オバマ大統領も含まれていたのだが、休暇中ということもあり、オバマ大統領は寄付だけで済ましている。ある意味で、冷静な対処をしたともいえる)。

こうして社会的な連鎖イベントになった結果、ALS Associationに例年以上の額の寄付が集まっているわけだ。

ところで、このアイスバケット・チャレンジで個人的に興味深いなと思ったことは、例えば次のようなことだ。

まず、イベントのチェーン性/連鎖性が高まってくる中で、次に誰を指名するかは一つの焦点となる。この点で意外なまでにウィットが効いていたのがジェフ・ベゾスだ。次に指名するのがエドワード・スノーデンだったらどうなるかなどと嘯いてみたりする。あるいは、当然、いつかはこのチェーン・イベントも終息するのだろうけど、最後は「クイーン(イギリスのエリザベス二世女王)」や「ポープ(ローマ法王)」にまで行き着くのだろうか、などととぼけたことを言ってみせたりする。

次に、ジミー・ファロンやコナン・オブライエンの行動に見られるように、こういった「ソーシャル」なイベントについては、もはやテレビもウェブ動画も関係がないということだ。むしろ、今回のイベントの中では、ソーシャルな連鎖の中に彼らのテレビ番組も組み込まれてしまっているという感じが強い。

そういう意味では、今まで(『ウェブ文明論』などで)何度か書いてきたけど、どうも日本の人には感覚的になかなかわかってもらえてないように思える「ソーシャルメディアを通じた選挙キャンペーン」の様子を知るにも、このアイスバケット・チャレンジの動きはよい参考事例になると思う。彼らのバイラルは、ソーシャルな対象をソーシャルなツール(=メディア)で拡散していくところに特徴がある。だから、大統領選でも「ミーム」として様々な動きがウェブ上で拡散される。

もともと寄付の文化があったところで、その寄付をどう集めるかという、ファンドレイジングの知恵の蓄積があり、その一つとして何かイベント的なことを皆で行う習慣があったわけだが、それがソーシャルの時代になるとこんな形になった、といういい例が、この「アイスバケット・チャレンジ」だ。

要するに、アメリカ人の場合、こんな具合に寄付文化があるからこそ、「消費するように連帯する」こともできる、というわけだ。

消費による繋がりが、一般的には「もろく、はかない」=エフェメラルなものであるように、こうしたイベントによる「寄付」による「連帯」も同様に「もろく、はかない」ものだ。けれども、消費の場面で見られるように、そのような微かな繋がりを強固にするように「反復」的に仕掛け(≒宣伝)が行われるように、もろい「連帯」においても、アイスバケット・チャレンジで見たように、反復が試みられる。そうした動きがバイラル中心のソーシャルメディアの時代は生じやすいということだ。

一つ付け加えると、日本でソーシャルメディアの文脈でよく言われる「祭り」的振る舞いとは異なるものと思っている。日本の「祭り」的理解では、あえてバカをやって消尽する、というところにエネルギーが向けられるように見えるが、上にも書いたとおり、アメリカの「緩やかな連帯」は消尽すること自体は目的ではない。むしろ、反復し継続することが、後続者への先行世代による啓発であるというニュアンスがある。参加者の多くは「自由な若者」である場合が多いのは確かだが、その一方で、ソーシャル・キャンペーンには、子供連れの家族が参加することも多いからだ。

今回のアイスバケット・チャレンジは、ボストン発祥で、それこそケネディ家も参加したところから、リベラルでデモクラットな人たちが行うもののように思われるかもしれないが、こうしたソーシャルな行為自体は、必ずしもリベラルな民主党支持者の人たちに限った話ではなくて、保守側の共和党支持者の間でも行われていることだ。

アイスバケット・チャレンジのような動きに対しては、もちろん、アメリカの中にも、一種の売名行為であり偽善に過ぎない、というようにシニカルに批判する人たちもいることはいる。だから、こうした動きをどう受け止めるかは最終的には個々人の判断に委ねられるものだと思う。ただ、そう言った上で、個人的には、こうした動きはアメリカ社会の愛すべきところの一つだと感じている。

author: junichi ikeda

CONCEPT

FERMATは、コミュニケーションという社会の基底を与える領域の変化の徴候に照準しながら、未来のビジョンを描くことで、新たな何か=“X”、の誕生を促します。