炎上するピーター・ティール

PayPalの創業者で、今やシリコンバレーを代表するビジョナリの一人であるピーター・ティールが、ハルク・ホーガンの起こしたGawker Mediaに対する訴訟の支援者であったことが公表され、注目を集めている。

Peter Thiel, Tech Billionaire, Reveals Secret War With Gawker
【New York Times: May 25, 2016】

Billionaire Says He Helped Finance Hulk Hogan Suit Against Gawker
【Wall Street Journal: May 26, 2016】

問題となった訴訟は、プロレスラーのホーガンが、友人の妻とのセックスビデオをGawkerに公開されたことをプライバシー侵害で訴えたもので、裁判が行われたフロリダの陪審員は、ホーガンの訴えを受け入れ、Gawkerに対して1億4000万ドルの賠償金支払いを命じている。Gawkerは金策に走っているものの、放っておけば破産は免れない。それほど懲罰的な金額だ。

しかしそれだけならば、ゴシップサイトが著名人の怒りに触れ、懲らしめられただけのことで、よくある裁判の一つで終わるはずだった。だが、ホーガンの弁護チームのバックにティールが控えていることが公表されてからは、それだけでは済まなくなった。

というのも、ティール自身、約10年前にGawker Media傘下のゴシップサイトで、自らがゲイであることを暴露され、不快感を露わにしていた経緯があるからだ。そのことを発端にしてティールは、今回のホーガンの裁判のようなGawkerを相手取った訴訟に対して、弁護費用の支援を行ってきていた。ティールの主張によれば、こうした支援は決して私怨に発した報復でなく、自分と同じようにプライバシーに関わる情報を公開されても、裁判にかかるコストを考えると「泣き寝入り」するしかない人々に対して、適切な抵抗の機会を与えるものだという。つまりティールにとっては、一種の慈善事業(フィランソロピーないしはチャリティ)として位置づけられている。

しばしば指摘されるように、訴訟社会アメリカでは、こうした「公共的波及効果の多い民事裁判」を支援する行為は珍しいことはなく、過去にはタバコや環境汚染などについて、似たような支援がなされてきた。だから、ティールの主張を額面通りに受け止めることも、もちろん可能だ。実際、多くのシリコンバレーの住人からティールを支持する声が上がっているが、それも彼ら自身、ゴシップネタとして取り扱われていたことを不愉快に思っていたためなのだろう。ティールのような著名人自身だけでなく、交友関係にある人たちにまで累が及んでいたからだ。

なにより陪審員が懲罰的金額を提示したこと自体、エスカレートするゴシップサイトの活動に問題ありとみなした結果だと解釈できる。判例法社会のアメリカでは判決は一つの法として後続の裁判を拘束し、今だけでなく未来のゴシップサイトの行動をも一定方向に水路付けることになる。そのため、ティールの、いわば一種の義侠心に駆られて行った支援だ、という言い方にも首肯できるところはある。このあたりは、ティール自身、スタンフォード・ロースクール出身の法律家であった経験が活かされている。プロの法律家による法務戦略であるからだ。

とはいえ、破産の憂き目に合わされるGawker Mediaはたまらない。同社創業者のニック・デントンは、ティールの行動は、報道の自由を損ねるものだと非難している。また、ティールのような、ビリオネアによる「ステルス」の裁判支援を放置すれば、財務上の体力のないウェブメディアは閉鎖の憂き目に合わされるという見方も示している。

このあたりのウェブメディアの未来を憂慮する主張については、同じシリコンバレーの住人の中でもウェブメディアに投資している人たちからは賛同する声も上がっていて、eBayの創業者のピエール・オミダイアもその一人だ。オミダイアは、所有するFirst Look Mediaを通じてGawkerを支持する「アミカス・ブリーフ(「法廷の友」としての裁判当事者以外による意見書)」を用意しているという。

となると、ここでの主要な関心事は、この裁判結果を、どのような「判例」として後世に残すようにするか、というところにあるようだ。どの程度まで懲罰性を下げられるのかが主要な関心事となる。いずれにしても、この裁判は、判決だけでなく、その過程まで含めて、様々な含意を伴うものとなりそうだ。

興味深いことに、その「含意」の範囲は、徐々に広がっているようでもある。その一つが、ティールとドナルド・トランプとの関係への関心だ。

リバタリアンであることを公表しているティールは、それゆえ、以前から(シリコンバレーの中では珍しい)共和党支持者で知られており、今回のカリフォルニア予備選でもトランプの支持者として共和党の代理人リストに名を連ねている。その事実が、今回のGawker事件と繋げられることで、メディア関係者の間に必要以上に不安をかき立てているようだ。

もちろん、単純に既存の候補者の中から支持者を選ぶ過程でトランプが浮上しただけなのかもしれない。そもそもすでにトランプは事実上、共和党候補者となっているため、選択もなにもない状態にあることも確かだ。けれども、どうしてティールはトランプ支持なのか、何か特別な関係はあるのか、・・・、という興味が湧いてしまうのは、トランプの現在の状況を踏まえれば、自然なことだろう。そうした関心はただのゴシップに留まらず、場合によって公的な意味合いを持つものでもある。

なぜこんなことを書いているかというと、Gawkerのニック・デントンが、ゴシップの機能にそのような含みを持たせているところがあるからだ。つまり、ゴシップという、噂レベルの玉石混交の取材から得られた、一見するとただの醜聞でしかないネタであっても、後日、より大きな、公けに関わるネタに変貌する可能性がある、というものだ。もちろん、これはパパラッチ行為に対する単なる言い逃れにしか聞こえないところもある。ティールがゲイであるかどうかということはあくまでも個人的秘密でとどめておくべきことだろう。しかし、トランプとの交友関係となるとどうなるのだろう。その意味では、ティールからすれば、今回の公表は、少しばかりタイミングが悪かったのかもしれない。

このように見てくると、ゴシップやパパラッチ行為への対策や耐性がどの程度あるのか、というのも、実は、今回の一件で気にかけてもいいことなのかもしれない。そして、それもまた「文化」の一つであるということだ。

そう思うと興味深いのは、ティールがシリコンバレーに拠点をおくスタンフォード卒のドイツ人でああり、ニューヨークに本社を構えるGawkerの創業者のデントンはオックスフォード卒のイギリス人であるという対照的な事実だ。

女王と貴族がいまだに存在するイギリスは厳然たる階級社会であり、そこでは平民が貴族やそれに準じる事業の成功者たちを皮肉るのは一つの文化様式となっている。けなすこともそれをかわすことも、一つの流儀となっている。ゴシップもそうした文化の一つであり、決して褒められる行為ではないが、しかし、それをやり過ごす方法も同時に歴史の中で洗練されてきた。有名になるということは他人の目に常に晒されるということを意味し、経済的成功者もそうした有名人のカテゴリーに組み込まれる。なにしろイギリスでは、経済的成功者に対しては、平民であっても「一代貴族」として「サー(Sir)」の称号が与えられる可能性があるからだ。

だから端的に言えば、デントンとティールとの間の確執も、諧謔を愛し日頃の会話の中に混ぜてくるイギリス人的態度と、実直を良しとして言葉を額面通りに受け止めようとするドイツ人的態度が、正面からぶつかってしまった結果と言えなくもないだろう。デントンからすれば不幸だったのは、ティールが司法での戦い方を熟知した法律家でもあるビリオネアであったところだ。諧謔には諧謔で返すのではなく、法的実行手段に出られてしまったのだから。コミュニケーションの様式が互いに間でずれていたということだ。コミュニケーションにはコミュニケーションで返すという流儀が共通理解でなければ、イギリスやフランス、イタリアであれほどまでにイエロージャーナリズムが放置されたままであったりしないだろう。

だとすれば、ここでもう少し視界を上げてみて、イギリスとドイツとの間でのゴシップという文化事象についての受け止め方の違いが、多文化がせめぎあうアメリカ社会において、浮き彫りにされてしまったとはいえないか。その上で、陪審員制などアメリカ特有の司法文化を通じて、ウェブメディアの取材・報道機能について、社会的許容範囲の線引きがなされようとしているわけだ。

このようにホーガンがGawker Mediaを相手取った裁判は、ティールの登場によって微妙にその意味合いを変えてきている。後で振り返れば、ウェブ時代におけるメディアのあり方を模索した裁判の一つとして、「メディア法」の判例集に組み込まれるような事件になるのかもしれない。

もっともまさかそのような文脈で、ピーター・ティールの名を目にすることがあろうとは思いもしなかった。コントラリアン(ひねくれ者)として、通説に対して斜めから見ることで知られ、同時にそれを自認しているティールであるが、想像以上に、根は生真面目だったということなのかもしれない。

author: junichi ikeda