火星に望む想像力

火星での生活を想定し、ハワイのある地区を擬似火星とし、一年間、男性3人、女性3人の計6人が生活する実験が予定通り完了したという。

Six Astronauts Spend a Year on Mars — in Hawaii
【TIME: August 29, 2016】

NASAとハワイ大学が共同して行ったこの実験は、HI-SEAS(Hawaii Space Exploration Analog and Simulation)と呼ばれる。標高2,400メートルの火山マウナ・ロア火山での実験に相応しい呼称だ。居住施設として火星基地をみたてた白いドーム(the hab)が設置され、食事は保存食を調理し、必要な運動は施設内でルームランナーのような器具を用いて行った。

もちろん、施設の外に出る場合は宇宙服を着用する。外部との交信は可能であるが、通信の伝達には20分のタイムラグがあるように設定されていた。それも火星と地球との交信時差を再現したものだった。

文字通り、物理的な部分での見立てを含む「アナログ」な実験であり、火星での生活を論理的に再現する点で「シミュレーション」であった。

擬似火星の実験はユタでも行われていたはずだが、いずれにしても興味深いのは、火星として想定される土地が、いわゆるウィルダネス(Wilderness)で呼ばれる原生自然の地であることだ。

いわゆる地球上の生活圏から外れるようなところで、いわばならし運転のように、少しずつ生活環境を変えていく。要するに、火星であろうがウィルダネスであろうが、今、人間が生活の基盤としている空間とは異なるものであることが重要になる。生息可能地域はハビタットと呼ばれるが、そのハビタットを探求する試みなわけだ。先ほどの白いドームの呼称がthe habと呼ばれるのもhabitatから取られている。

だから、HI-SEASに参加した6人の科学者は、映画『オデッセイ(火星の人)』でマット・デイモンが演じた世界を実際に演じつつ体験してみたことになる。わざわざそのようなシチュエーションを経験する理由の多くは、そのような特殊環境に置かれた時の「人間」の側の心理状況について観察することであったようだ。

もちろん、本当の火星で暮らすこととは全く異なることであるのだろうが、「擬似的なものを想定して取り組む」姿勢そのものがある意味で現代的で、少し不思議だ。ゲーム感覚やシミュレーション感覚と言われるものが、そのままの意味で、複雑な機械、混沌とした状況を制御するための「コア」として想定される人間に存在することが想定されているようだからだ。

つまり、AIの可能性が喧伝される時代だからこそ、AIの暴走が懸念される横で、ではAIが仕えるべき人間の方の「判断/意思決定」のコンディションはどうなのか、という問いが発せられているように思えるのだ。

何が言いたいかというと、小さなことではあるが、今ある世界を少しだけ斜めから見る姿勢がいつの間にか自然な感覚になっているような感じが、この擬似火星実験からは感じられるということだ。現実を少しだけずらす感覚の一般化だ。

とりたてて驚くことではないのかもしれないが、どうも、この手の実験については、一面で他愛のないものであるように感じるだけに、その他愛なさに執着して一年間のミッションに専心できる実験参加者の心持ちの方が気になってくる。

もちろん、そのような類の関心は、科学的というよりは文学的なものだろう。そういえば平野啓一郎の小説『ドーン』は、火星探索の宇宙飛行士の話だったが、確か、その話の多くは地球と火星の間の航行途中のことであった(もしかしたら記憶違いかもしれないけれど)。最近の作品で、宮内悠介の『エクソダス症候群』も、火星「人」の心理を扱っていた。

火星が心の問題と繋がるのは、宇宙(Space)の話が、そのまま宇宙論(Cosmology)に直結してしまうことを踏まえれば、ある意味では当然の想像的飛躍といえる。そして、どうも火星や宇宙探索を巡る話題は、そのような想像力を少しずつ当たり前のもののようにしているような気がする。

なぜ、こんな話にこだわっているのかというと、こうした領域に、ある日、ポケモンGo的な、いわゆるARアプリに対する反動が、創作の領域で起こるのではないかな、と感じているからだ。

ARゲームは、GPSの活用策を考えていた過程の副産物のようなものであるから、利用者の位置情報ありきのものになっている。ポケモンGoであれば、律儀に自らの生活空間の周辺に一生懸命、狩るべき対象のモンスターが仕込まれている。その意味では、極めてローカルな設定だ。

けれども、もともとITは、そうしたローカルな軛から離れて自由にどこにでも行けるという触れ込みで実現されたものではなかったか。再びポケモンGoに戻れば、どうしてNYのセントラルパークのモンスター狩りに参加できないのか、という不満であり、そこから生じるどうしようもない閉鎖感だ。

そんなITであるにもかかわらず、わざわざ周囲500メートルくらいの空間に縛られることをGPSの活用は当然のように仕向けている。そして、ここでようやく火星にもどってくるわけだが、そうした閉塞感をいきなり飛び越えるものとして、火星的なもののシミュレーションが望まれているのではないか。

いわば、GPSによって蟻のように地面に縛り付けられた想像力をもう一回振り切って、上昇する機会を与えてくれるのが火星なのではないか。

そんなことはわざわざ言うまでもなく、そもそも火星SFとかそういうものだろう?という人もいるかもしれない。実際、そうだったのだろう。だが、ここで言いたいことは、そうした「創作者」側の想像力のことではない。受容する側の想像力として、つまり誰かがつくってくれることが渇望される想像力としてのものだ。そして、ソーシャルメディア以後の世界では、多くの人の渇望は、実現されるべき社会的欲望として肯定的に取り上げられる。

そのような意味で、確かに、火星的なものを求める想像力の水位は上がっているのかもしれない。むしろ、そのような水位が上がりつつあるからこそ、HI-SEASのような実験がオーソライズされ、それなりに人びとの注目を集めているのかもしれない。

その意味で、だから火星は、GPS時代に求められる「飛躍」の象徴なのである。

author: junichi ikeda